2025年3月3日
心が疲れるとき、脳は何を始めるのか:疲れているときこそ創造性が高まる
会議の最中に同僚の発言に苛立ちを覚えながらも、それを表に出さずに穏やかに対応する。遅くまで続く業務で疲れているにもかかわらず、最後まで集中力を保って仕事をやり遂げる。普段の職業生活の中で、私たちは自分の感情や行動を意識的にコントロールしながら過ごしています。しかし、こうした自己統制を続けていると、次第に心が疲れていくのを感じたことはありませんか。朝は冷静に対応できていた相手に、夕方になると思わず厳しい言葉を投げかけてしまう。丁寧に確認していた作業手順も、日が暮れる頃には雑になってしまう。このような経験は、「自我消耗」という心理現象と関係しています。
近年の研究は、この自我消耗について興味深い事実を明らかにしてきました。単純な疲れとは異なるメカニズムが働いていること、予想外の場面でむしろプラスに作用することもあること、そして職場における人間関係や業務の質に影響を及ぼす可能性があることなどです。
本コラムでは、自我消耗という現象の多様な側面に光を当てていきます。完璧主義者はなぜ周囲との関係を損ないやすいのか、医療現場の安全性になぜ影響するのか、そして時として創造性を高める可能性があるのはなぜか。これらの問いを解き明かしていく過程で、私たちの心の働きについての新たな理解が得られることでしょう。
完璧主義がもたらす自我消耗と対人関係
職場における完璧主義と自我消耗の関係について見ていきましょう。医療機関での調査によると、完璧主義的な性格を持つ人は、同僚に対して無礼な行動をとりやすくなることがわかっています[1]。
調査では、従業員と同僚のペアを対象に、三つの時点でデータを収集しました。完璧主義の性格傾向、自我消耗の度合い、同僚の共感的関心、そして同僚に対する無礼行為について測定しています。
完璧主義は三つのタイプに分類されます。一つ目は自分自身に高い基準を課す「自己志向完璧主義」です。このタイプの人は、わずかなミスも許せず、自己評価が厳しくなります。二つ目は他人に高い期待を持つ「他者志向完璧主義」です。相手がその期待を満たせないと苛立ちを感じやすくなります。三つ目は「社会的期待完璧主義」で、周囲から完璧を期待されていると思い込み、そのプレッシャーに苦しむ傾向があります。
自己志向完璧主義者の場合、自分を厳しくチェックし続けることで心理的エネルギーを消耗させます。例えば、仕事で小さなミスをしただけでも「自分はダメだ」と落ち込み、イライラが募ります。その結果、同僚とのコミュニケーションにおいて感情をコントロールする余裕がなくなり、きつい言葉を投げかけたり、冷たい態度をとったりしてしまいます。
他者志向完璧主義者は、同僚に対して過度に高い期待を抱くため、その期待が満たされないとストレスを感じます。「こんな簡単なこともできないのか」という不満を抱きやすく、周囲に対して高圧的になったり、批判的な態度を示したりします。このストレスが自我を消耗させ、同僚への無礼な態度として表れるのです。
社会的期待完璧主義者は、周囲からのプレッシャーにさらされていると感じるため、心理的な余裕を失いがちです。「自分が100%の成果を出さなければ評価が下がる」「失敗したら取り返しがつかない」といった思い込みが、強い不安とストレスを生みます。その結果、同僚との関係において防衛的になったり、気を使う余裕がなくなってぶっきらぼうな態度になったりします。
調査では、同僚からの共感的な関心が、自己志向完璧主義者の自我消耗を和らげる効果があることが確認されました。自分を責めがちな完璧主義者に対して、周囲が理解を示し支援的な態度で接することで、心の余裕が生まれ、対人関係が改善されることがわかったのです。
一方で、他者志向完璧主義者や社会的期待完璧主義者の場合、同僚からの共感的な関心は自我消耗の緩和にあまり効果を示しませんでした。他者への高い期待や周囲からのプレッシャーは、単純な共感だけでは解消されにくい問題であることが示唆されます。
他者志向完璧主義者は、同僚の配慮を受け入れにくい傾向があります。社会的期待完璧主義者は、共感を示してくれる同僚に対しても「本心では自分のことを批判しているのではないか」と疑心暗鬼になりやすく、根本的な不安が解消されにくいのです。
医療現場における自我消耗と安全行動
医療現場における自我消耗と安全行動の関係について、考えさせられる研究結果が報告されています。従来は、自我消耗が進むほど安全行動が単純に低下すると考えられてきましたが、実際にはより複雑な関係があることが明らかになりました。
ある研究チームは、医療従事者を対象に、自我消耗の程度と安全行動の関係を調査しました[2]。その結果、両者の間にU字型の関係があることが分かりました。自我消耗が極めて低い状態と極めて高い状態では安全行動が保たれやすい一方で、中程度の自我消耗状態では安全行動が低下しやすいのです。
U字型の関係が生じる理由として、次のようなメカニズムが考えられます。自我消耗が低い状態では、医療従事者は十分な心理的エネルギーを持っているため、意識的に安全規則を順守することができます。例えば、手順の確認や保護具の適切な使用といった基本的な安全行動を、注意深く実行することができるのです。
一方、自我消耗が中程度の状態では、心理的エネルギーが中途半端に残っているため、かえって危険な状況が生じやすくなります。まだ少し余力があるために無理をしてしまい、安全確認が不十分になったり、規則を軽視したりする傾向が強まるのです。
そして、自我消耗が極めて高い状態に達すると、意外にも安全行動が回復する傾向が見られました。これは、医療現場に根付いている安全文化が関係していると考えられます。極度の疲労状態では意識的な判断が難しくなる代わりに、長年の訓練で身についた安全行動が自動的に発現されやすくなるわけです。
研究ではさらに、「反すう」という心理傾向が、この関係性に影響を与えることも明らかになりました。反すうとは、過去のネガティブな経験を繰り返し思い返す傾向のことです。自我消耗が中程度の時に反すう傾向が強いと、安全行動がより一層低下しやすくなります。
しかし、自我消耗が極めて高い状態では、反すう傾向が逆に安全行動を促進する効果を持つことがわかりました。過去の失敗や事故の記憶が、安全行動を自動的に引き出すきっかけとなるのです。
「疲労を避ける」だけでなく、各個人の自我消耗の状態や心理傾向を考慮した、より細やかな安全管理の仕組みが必要とされています。
勤務環境と自我消耗の関係
勤務環境が自我消耗に及ぼす影響について検討した研究をみていきましょう[3]。研究では、異なる部署で働く医療従事者の自我消耗度を比較分析しています。
調査の結果、勤務する部署によって自我消耗の程度に違いが見られました。例えば、緊急性の高い処置が多い部署や、患者との密なコミュニケーションが必要な部署では、自我消耗が進みやすい傾向にありました。これらの部署では、緊張状態を強いられ、感情のコントロールや注意力の維持に多くの心理的エネルギーを必要とします。
特に緊急部門では、突発的な事態への対応や迅速な判断が求められるため、高い集中力を維持する必要があります。患者や家族との感情的なやり取りも多く、自己統制の機会が頻繁に生じます。このような環境では、心理的エネルギーの消耗が加速度的に進むことがわかりました。
一方、比較的定型的な業務が中心の部署では、自我消耗の程度が低い傾向にありました。業務の予測可能性が高く、緊急対応の頻度が低い環境では、心理的エネルギーの消費を抑えることができます。
年齢や性別といった個人属性による違いは、それほど顕著ではありませんでした。若手でもベテランでも、勤務する部署の特性によって自我消耗の程度が変わることが示されました。このことは、自我消耗が個人の特性よりも、むしろ勤務環境や業務内容に強く関連していることを示唆しています。
部署における業務負担の分布も自我消耗に影響を与えることが明らかになりました。一部の職員に業務が集中する環境では、その職員の自我消耗が著しく進みます。複雑な意思決定が求められる業務や、感情労働の要素が強い業務が特定の職員に偏ると、心理的エネルギーの消耗が顕著になります。
夜勤やシフト勤務の頻度も自我消耗と関連していることが確認されました。不規則な勤務時間は、生活リズムの乱れを引き起こし、心理的エネルギーの回復を妨げる要因となります。連続した夜勤や短時間での勤務シフトの変更は、自我消耗を加速させる可能性があります。
この研究は、自我消耗を個人の問題として捉えるのではなく、組織や環境の問題として考える必要性を示しています。個人の努力だけでは解決できない構造的な課題が存在することが明らかになったのです。例えば、業務の偏りを是正する、休息時間を確保する、シフト設計を改善するなど、組織レベルでの対応が求められています。
自我消耗と疲労は似て非なるもの
自我消耗と疲労は一見似ているように見えますが、異なる性質を持つことが研究によって明らかになってきました。ある実験では、睡眠不足による疲労と、感情抑制による自我消耗が、人の行動にどのような違いをもたらすのかを検証しています[4]。
参加者を「24時間の睡眠不足を経験した群」と「感情を抑制する課題を行った群」に分け、その後の行動を比較しました。具体的には、ゲーム形式の課題を用いて、参加者がどの程度攻撃的な反応を示すかを測定しました。
そうしたところ、感情抑制による自我消耗を経験した参加者は、攻撃的な反応が増加することが確認されました。自己統制のエネルギーが消耗することで、衝動的な反応を抑える力が低下したためと考えられます。
一方、24時間の睡眠不足を経験した参加者では、予想に反して攻撃性の顕著な増加は見られませんでした。これは、単純な疲労が必ずしも自己統制の低下には直結しないことを示しています。
睡眠不足と自我消耗を同時に体験させた場合でも、攻撃性は特に増加しませんでした。従来は「睡眠不足による疲労」と「自我消耗」が重なると、強い攻撃性が現れると予想されていましたが、実験結果はその予想を覆すものでした。
感情抑制による自我消耗を経験した参加者は、ゲームで負けた直後により強い攻撃的反応を示す傾向がありました。自我消耗によって感情的な反応を抑制する能力が低下していたためと解釈できます。
一方、睡眠不足による疲労を経験した参加者は、ゲームでの勝敗に関わらず、比較的安定した反応を示しました。この結果は、身体的・精神的な疲労が、必ずしも感情制御の能力を損なうわけではないことを示唆しています。
この研究は、自我消耗と疲労が異なるメカニズムで人の行動に影響を与えることを明らかにしました。自我消耗は主に自己統制や感情制御の能力に直接的な影響を与えるのに対し、疲労はそれとは異なる形で私たちの行動に作用するのです。
自我消耗がもたらす意外な効果
最後に、自我消耗に関する興味深い発見を紹介しましょう。これまでの研究では、自我消耗は多くの場合、パフォーマンスの低下をもたらすと考えられてきました。しかし、ある種の問題解決場面では、むしろ有利に働く可能性があることがわかってきました。
実験では、自我消耗状態にある人とそうでない人に、固定観念を打破する必要がある問題を解かせました[5]。具体的には、マッチ棒を使った算数問題など、従来の思考パターンにとらわれていると解決が困難な課題が用いられました。
その結果、自我消耗状態にある参加者のほうが、柔軟な発想で問題を解決できることが明らかになりました。通常の状態では、私たちは既存の思考パターンや固定観念に縛られがちです。しかし、自我が消耗した状態では、そうした思考の枠組みが緩み、新しい発想が生まれやすくなるのです。
参加者の多くは、課題に取り組む過程で「インパス」と呼ばれる行き詰まりを経験しました。これは、従来の思考パターンでは解決できないことに気づく段階です。
自我消耗群と非消耗群の両方で、このインパスを経験する割合に大きな違いはありませんでした。しかし、インパスから抜け出し、新しい解決策を見出す過程で違いが現れました。自我消耗状態にある参加者のほうが、固定観念から解放され、斬新なアプローチを試みる傾向が強かったのです。
この結果は、自我消耗が必ずしもパフォーマンスの低下をもたらすわけではないことを示しています。従来の枠組みにとらわれない柔軟な思考が求められる場面では、自我消耗がプラスに作用する可能性があるのです。
参加者の主観的な疲労感についても興味深い結果が得られました。自我消耗群と非消耗群の間で、課題に対する認知的な負担感に大きな違いは見られませんでした。創造的な問題解決において、主観的な疲労感と実際のパフォーマンスが必ずしも一致しないことを示唆しています。
脚注
[1] Hussain, M. A., Chen, L., and Wu, L. (2021). Your care mitigates my ego depletion: why and when perfectionists show incivility toward coworkers. Frontiers in Psychology, 12, 746205.
[2] Chen, M., Chen, L., Yan, X. M., Yu, Z., Fang, Y. Y., and Yu, Y. Q. (2018). Investigating the nonlinear effect of ego depletion on safety compliance: The moderating role of rumination. Journal of Safety Research, 67, 27-35.
[3] Cui, Y., Yang, T., Gao, H., Ren, L., Liu, N., Liu, X., and Zhang, Y. (2022). The relationship between ego depletion and work alienation in Chinese nurses: A network analysis. Frontiers in Psychology, 13, 915959.
[4] Vohs, K. D., Glass, B. D., Maddox, W. T., and Markman, A. B. (2011). Ego depletion is not just fatigue: Evidence from a total sleep deprivation experiment. Social Psychological and Personality Science, 2(2), 166-173.
[5] DeCaro, M. S., and Van Stockum Jr, C. A. (2018). Ego depletion improves insight. Thinking & Reasoning, 24(3), 315-343.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。