2025年2月28日
見えない心の消耗:デジタル時代の職場ストレスに迫る
職場におけるストレスや精神的負荷が注目を集めています。業務中に生じる自己統制の消耗、いわゆる「自我消耗」は、働く人々の心理状態に負担を及ぼすことが分かってきました。自我消耗とは、意思決定や感情制御などの心理的な作業を続けることで、精神的なエネルギーが徐々に低下していく現象を指します。
職場では日々、締め切りに追われたり、人間関係を円滑に保ったり、複雑な判断を迫られたりと、自己統制を必要とする場面に直面します。このような状況で自我消耗が進むと、業務のパフォーマンスが低下するだけでなく、対人関係にも支障をきたす可能性があります。
本コラムでは、職場における自我消耗の実態について詳しく見ていきます。サイバーいじめの問題から睡眠の質まで、自我消耗を引き起こすさまざまな要因とそのメカニズムを解明し、私たちの働き方を見つめ直す機会としたいと思います。
サイバーいじめによる自我消耗
デジタル技術の発展により、職場でのコミュニケーションの多くがオンライン上で行われるようになりました。その一方で、「サイバーいじめ」という新たな問題が浮上しています。
オンライン上での嫌がらせを受けた従業員は、不公平な扱いや攻撃的な言動に対処しなければならず、多大な精神的エネルギーを消耗します。その結果、仕事への集中力が低下し、ストレスが蓄積されていきます。
この問題について、中国本土で働くフルタイム労働者を対象にした研究が実施されました[1]。調査では、サイバーいじめを受けた従業員の状態を分析し、その日の仕事上のストレスとの関連を探りました。
分析の結果、サイバーいじめは従業員の自我消耗を通じて仕事のストレスを高めることが明らかになりました。特に自己効力感の低い従業員は、サイバーいじめによる悪影響を受けやすく、エネルギーの消耗がより深刻でした。
サイバーいじめを受けると、被害者は不公平なメッセージや攻撃的言動に対処するために自己統制資源を大量に使います。自己統制資源が枯渇すると、ポジティブな思考を保ったり、職務に集中したりするのが難しくなり、日々の仕事上のストレスが増大してしまいます。
自己効力感という個人の心理的資源が、このプロセスで重要な役割を果たすことも判明しました。自己効力感が高い人は、困難な状況でも新たな対応策を模索したり、被害を過大評価しないように認知をコントロールしたりする能力が比較的高い傾向があります。
一方、自己効力感が低い人は、サイバーいじめに直面した際に「うまく対処できない」「周囲も助けてくれないかもしれない」と感じやすく、自己統制資源の枯渇を深刻化させてしまいます。このような悪循環によって、ストレスがより強く蓄積されていくことになります。
研究では、日々の変化を追跡することで、サイバーいじめの影響が単なる一時的な不快感にとどまらず、自己統制資源の継続的な消耗を引き起こすことを明らかにしました。職場でのオンラインコミュニケーションが増加する中、このような知見は組織の健全性を保つうえで重要な示唆を与えています。
努力への過度な執着と自我消耗
「努力は必ず報われる」という考えに親しんでいる人もいるかもしれません。しかし、この信念が強すぎると、自我消耗を招くことがあります。
職場環境において、努力を重視しすぎる従業員は、課題に対して必要以上に全力を注ぎ込む傾向があります。その末に、自己統制のためのエネルギーを消費し、後続のタスクや意思決定に支障をきたすことが少なくありません。
ある研究では、仕事倫理の各要素と自我消耗との関係を調べました[2]。特に努力、遅延の満足、余暇、自立という4つの側面に注目し、これらが自我消耗にどのような影響を与えるかを検証しています。
調査の結果、「努力をすれば必ず結果が伴う」「どんな状況でも努力を惜しまない」という信念が強い人ほど、自我消耗が顕著であることが判明しました。エネルギーを注ぎ込みすぎることで、次のタスクや判断に必要なリソースが不足してしまうためです。
困難があっても「とにかく自分が頑張れば解決できる」と信じることで、周囲に頼ったり休息を入れたりする選択肢を自ら狭めてしまう可能性も指摘されています。ストレスフルな状況が長引き、意志力をより大きく削られることになります。
遅延の満足や余暇に関する価値観は、自我消耗との間に明確な関連が見られませんでした。長期的な目標のために我慢する能力や、余暇時間の重視度が、必ずしも日々の自己統制資源の消耗には直接影響しないことを示唆しています。
一方で、自立性の高い従業員は、自我消耗を比較的抑えられることも分かりました。他者に頼らず自分で解決しようとする自立志向が高い人は、タスクに伴うストレスや負荷をうまく扱い、自己統制の消耗を抑えることができるのです。
自立的な姿勢が「自分なら乗り越えられる」という自己効力感につながり、エネルギーが枯渇しにくくなることも示されました。このように、努力と自立という異なる側面が、自我消耗に対して相反する影響を及ぼすのです。
職務ストレスと自我消耗の関係
職場では、時間的なプレッシャーや感情労働など、さまざまなストレス要因に直面します。これらの要因は、従業員の自我消耗に関係していることが明らかになっています。
時間に追われる状況では、自己統制を働かせ、焦りを抑えながら業務を遂行する必要があります。感情労働を伴う職種では、本来の感情を抑制し、適切な感情表現を維持するために、多くの精神的エネルギーを費やします。
研究では、時間的プレッシャー、計画・意思決定、感情の不一致という3つのストレス要因が、自我消耗を通じて職場におけるストレスを高めることを明らかにしました[3]。とりわけ、時間的プレッシャーと感情の不一致は、自己統制努力を介して自我消耗に大きな影響を及ぼすことが分かっています。
時間的プレッシャーがある場合、従業員は「焦っていても落ち着いて仕事をする」という自己統制を強いられます。また、感情の不一致がある場合は「腹が立っていても笑顔を作る」など、内面と行動にギャップが生じやすくなります。
こうした自己統制の継続は、いわば「自分を抑えながら働く」状態が続くことを意味します。その「抑えるための努力」が大きいほど、自己統制資源が消耗され、自我消耗につながっていきます。
経験サンプリング法を用いた調査により、これらのストレス要因が日々の業務の中でどのように自我消耗を引き起こすのかが分析されました。研究では、従業員が1日の中で経験するストレスと自我消耗の関係を時間を追って観察しています。
職務自律性は、このプロセスで重要な役割を果たすことが分かりました。職務自律性が高い場合、「自分でコントロールできる」という認知評価が働きやすく、不確実性への恐れや緊張を緩和しやすくなります。その結果、状態不安の高まりが抑えられ、不安による自己統制努力の追加消耗も軽減されます。
一方で、職務自律性が低い場合、「この状況はどうしようもない」「自分には対応できない」と悲観的に捉えやすくなります。すでに自我消耗で精神的な余力が減っている中で、さらにネガティブ思考が重なり、ストレスが加速度的に高まってしまいます。
このように、職務ストレスが自我消耗に及ぼす影響は、仕事の自律性によって異なることが示されました。この知見は、職場でのストレスマネジメントを考える際に、従業員の自律性を高めることの重要性を示唆しているでしょう。
自我消耗下での挑発と攻撃性
自我消耗状態にある人は、挑発を受けた際に攻撃性を示しやすいことが研究で明らかになっています。自己統制資源が枯渇した状態では、通常なら抑制できる感情的な反応が表出しやすくなるのです。
実験研究では、参加者を自我消耗群と非消耗群に分け、その後に挑発を受けた際の反応を観察しました[4]。実験では、架空のパートナーとのチケット交換というタスクを通じて、参加者がどの程度攻撃的な行動を取るかを測定しています。
その結果、自我消耗状態の参加者は、挑発を受けると時間の経過とともに攻撃性が上昇することが分かりました。自己統制資源が消耗している状態では、挑発による感情的な反応を抑制することが難しくなるのです。
試行を重ねるごとに攻撃性の差が開いていきました。最初の試行では、まだ認知資源がある程度残っているために攻撃行為を抑制できますが、何度もタスクを行ううちに自我消耗の影響が色濃くなり、挑発への衝動を抑えきれなくなっていきます。
研究ではさらに、感情をコントロールしようとする認知的再評価の傾向についても調査しました。その結果、再評価特性が高い人でも、自我消耗状態で挑発を受けると、その抑制効果が十分に機能しないことが明らかになりました。
再評価を行うこと自体にも認知的リソースが必要であり、自我消耗状態ではそのリソースも不足するためと考えられます。すなわち、普段なら感情をうまくコントロールできる人でも、自我消耗状態では感情的な反応を抑えきれなくなるのです。
このような知見は、職場での対人関係において重要な意味を持ちます。ストレスの多い環境では、些細な挑発的言動が予期せぬ攻撃的反応を引き起こす可能性があることを認識しておく必要があります。
睡眠不足による自我消耗
睡眠は、私たちの心身の回復に不可欠です。しかし、職場のプレッシャーや長時間労働により、十分な睡眠時間を確保できない従業員も少なくありません。睡眠不足は身体的な疲労にとどまらず、自己統制能力の低下を通じて、職場における対人関係にも影響を及ぼすことが分かってきました。
中国東部に勤務する従業員を対象に、睡眠と職場での対人関係について詳細な調査が行われました[5]。調査では、睡眠日誌を用いて就寝時間や起床時間を記録し、その日の対人関係の状態を継続的に分析しています。
調査の結果、人間関係やプロセスに関する対立において、睡眠不足の影響が顕著であることが判明しました。睡眠不足は自己統制資源の枯渇を招き、その結果として感情のコントロールが難しくなり、周囲への配慮も行き届かなくなるということです。
関係対立やプロセス対立では、相手のやり方や態度、自分への配慮の度合いなどに対してネガティブ感情が喚起されやすく、睡眠不足だとその制御が困難になります。他者との協調や助け合いを意識するには、相手の視点を理解する認知的・感情的リソースが必要ですが、睡眠不足はそれらのリソースも低下させてしまいます。
睡眠不足は状態不安を高め、それが自己統制努力を増大させることで、自我消耗を深刻化させることも分かりました。このような悪循環により、職場での対人関係が徐々に悪化していく可能性があります。
一方、業務内容に関する意見の相違(タスク対立)については、睡眠不足の影響がそれほど見られませんでした。認知機能の低下により、深い議論自体が行われにくくなるためと考えられます。タスク対立では本来、互いの意見やアイデアを理性的にぶつけ合うことで生産的な結論を導くことが想定されますが、睡眠不足状態ではそもそも突っ込んだ議論に至らず、「思考停止」状態になってしまう可能性があります。
この研究は、質の高い睡眠を確保することが、身体的な回復だけでなく、職場における良好な人間関係を維持するためにも不可欠であることを示しています。感情的な側面が強い関係対立やプロセス対立を防ぐためには、十分な睡眠による自己統制資源の回復が重要な役割を果たします。
自我消耗への組織的対応
組織のマネジメントにおいて、従業員の自我消耗に対する理解と対策は欠かせない課題です。サイバーいじめ、過度な努力主義、職務ストレス、睡眠不足など、さまざまな要因が自我消耗を引き起こすことが分かってきました。
これらの知見は、職場環境の改善に向けて示唆を与えています。たとえば、オンラインコミュニケーションのルール整備、適切な休息時間の確保、業務の自律性の向上などが、自我消耗の予防につながるでしょう。
従業員一人一人が自身の心身の状態に目を向け、質の高い睡眠を確保することも大切です。自我消耗のメカニズムを理解し、効果的なセルフマネジメントを身につけることで、持続可能な働き方の実現が可能になるはずです。
職場の対人関係においても、相手の自我消耗状態に配慮することが求められます。挑発的な言動は自我消耗状態の相手の攻撃性を高める可能性があることを認識し、建設的なコミュニケーションを心がける必要があります。
このように、自我消耗への理解を深め、組織全体で対策を講じることは、働く人々の心身の健康を守り、生産性の向上にもつながる重要な取り組みだと言えるでしょう。
脚注
[1] Zhang, Z., Xiao, H., Zhang, L., and Zheng, J. (2022). Linking cyberbullying to job strain: Roles of ego depletion and self-efficacy. Journal of Aggression, Maltreatment & Trauma, 31(6), 798-815.
[2] Bazzy, J. D. (2018). Work ethic dimensions as predictors of ego depletion. Current Psychology, 37, 198-206.
[3] Prem, R., Kubicek, B., Diestel, S., and Korunka, C. (2016). Regulatory job stressors and their within-person relationships with ego depletion: The roles of state anxiety, self-control effort, and job autonomy. Journal of Vocational Behavior, 92, 22-32.
[4] Barlett, C., Oliphant, H., Gregory, W., and Jones, D. (2016). Ego‐depletion and aggressive behavior. Aggressive Behavior, 42(6), 533-541.
[5] Chen, M., Dong, H., Luo, Y., and Meng, H. (2022). The effect of sleep on workplace interpersonal conflict: The mediating role of ego depletion. International Journal of Mental Health Promotion, 24(6), 901-916.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。