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コラム

デジタル時代の従業員体験:オフィス環境より大切なもの

コラム

企業における人材マネジメントの考え方について、より包括的な「従業員体験」へと注目が移っています。従業員体験とは、従業員が組織と関わる中で得る総合的な経験を指します。職場環境や組織文化、キャリア成長の機会など、従業員が日々の業務で体験する様々な要素が含まれます。

従業員体験に着目することの背景には、企業が人材の確保と定着に苦心している現状があります。優秀な人材の獲得競争が激化する中、従業員にとって魅力的な職場環境を作り出すことは企業の競争力を左右し得ます。このような状況で、従業員体験の向上は組織課題として無視できない存在となっています。

デジタル化の進展やワークスタイルの多様化により、従業員が職場に求める価値も変化しています。待遇や福利厚生の充実だけでなく、仕事を通じた成長実感や組織との関係性など、多面的な要素が従業員体験を形作っています。企業は従業員体験を理解し、戦略的に向上させていく必要性に迫られています。

従業員体験に有効なものとは

従業員体験を高める要素について、インドのIT企業を対象とした調査が知見を提供しています。調査では、従業員体験に寄与する要素を分析し、エンパワーメント、インボルブメント、エネーブルメントの3点が有効であることが判明しました[1]

エンパワーメントは、従業員が自らの業務に対して自己決定権を持ち、組織からの支援を受けられる状態を指します。業務目標の達成方法を自ら決定できる裁量があり、上司から建設的なフィードバックを得られることで、従業員は主体性を持って仕事に取り組めるようになります。エンパワーメントが高い従業員ほど、組織への帰属意識が強く、業務への意欲も高いことが示されました。

エンパワーメントが従業員体験を高める理由として、自己決定感の醸成が挙げられます。従業員が自分の判断で業務を進められると感じることで、責任感と同時にやりがいも生まれます。組織からの支援は、従業員が挑戦的な課題に取り組む際の心理的な支えとなります。

インボルブメントは、従業員が組織の意思決定に参加し、自分の意見が尊重されていると実感できる状態です。業務改善の提案が受け入れられたり、プロジェクトの方向性について発言する機会があったりすることで、従業員は組織の一員としての実感を得られます。調査結果は、インボルブメントが従業員の満足度と相関を持つことを示しています。

インボルブメントの効果が高いのは、従業員の参画意識を高めるからです。自分の意見が組織の意思決定に反映されることで、従業員は組織との一体感を感じ、積極的に業務に取り組むようになります。意思決定への参加は、従業員の視点や経験が組織に価値をもたらすという認識を強めます。

エネーブルメントは、業務遂行に必要な支援やリソースが提供される状態を意味します。必要な研修機会の提供や、同僚からの技術的サポート、業務に必要な情報へのアクセスなどが含まれます。エネーブルメントが従業員の業務効率と成長実感に関連することが明らかになりました。

エネーブルメントが従業員体験を向上させる背景には、業務遂行への自信の醸成があります。必要なリソースやサポートが得られることで、従業員は自分の能力を最大限に発揮できます。スキル開発の機会は、従業員の長期的なキャリア展望にもプラスの影響を与えます。

組織的支援が従業員体験を高める

組織からの支援は、従業員体験の向上に効果をもたらします。中国の従業員を対象とした研究では、組織的支援が従業員の主体性を引き出し、それが職場での前向きな経験につながることが明らかになりました[2]

組織的支援は、従業員に心理的安全性をもたらします。組織から支援を受けていると感じる従業員は、新しい挑戦に取り組む意欲が高まり、自己効力感も向上します。研究では、心理的安全性が従業員の創造性や問題解決能力を引き出す基盤となることが示されました。

従業員の積極性は、組織からの支援を受けることで引き出されます。組織が従業員の成長をサポートする姿勢を見せることで、従業員は自発的に業務改善に取り組むようになり、それが職場での満足感につながります。研究結果は、組織的支援と従業員の積極性の間に相関関係があることを示しています。

組織的支援の効果は、従業員の性格特性によっても変化することが分かりました。積極的な性格を持つ従業員は、組織からの支援をより効果的に活用する傾向にあります。支援を受けることで積極性がさらに引き出され、それが職場での肯定的な経験につながるためです。

ただし、職場でのストレスや疲労は、組織的支援の効果を弱めることには注意が必要です。感情的な消耗が蓄積すると、従業員は組織からの支援を活用する余裕を失ってしまいます。研究では、感情的消耗が高い従業員は、組織からの支援があっても、それを十分に活用できないことが示されました。組織的支援の効果を最大化するためには、従業員の心理的な負担を軽減する取り組みが不可欠であるということです。

組織的支援は、従業員の心理的な報酬としても機能します。従業員は、組織からの支援を受けることで、自分が組織に価値をもたらす存在として認められていると感じます。この認識は、従業員の組織への信頼感を高め、より良い職場体験につながります。

物理的環境や技術的環境は関係しない

従業員体験の向上において、意外な発見もあります。インドネシアの大学を対象とした調査では、オフィスの物理的環境や技術的環境は、従業員のパフォーマンスに有意な影響を及ぼさないことが分かりました[3]。この発見は、従来の職場環境改善の考え方に再考を迫るものです。

調査では、文化的環境、物理的環境、技術的環境の3つの要素が従業員のパフォーマンスに与える影響を詳細に分析しています。その結果、文化的環境のみが従業員のパフォーマンスに関連を持つことが判明しました。

物理的環境は、オフィスの設備や快適さを指します。オフィスのレイアウト、照明、空調、家具などの要素が含まれます。従来の考え方では、快適なオフィス環境が従業員の満足度やパフォーマンスを高めると考えられていました。しかし、この研究では物理的環境の改善が必ずしもパフォーマンスの向上につながりませんでした。

この予想外の結果について、研究者たちは複数の解釈を提示しています。一つの可能性として、調査対象となった職場の物理的環境が従業員の期待値を満たしていない可能性が指摘されています。また、従業員が物理的環境を当然のものとして捉え、それがパフォーマンスに対する明確な意識につながっていない可能性も示唆されています。

技術的環境についても同様の結果が得られました。業務で使用するソフトウェアやハードウェア、通信インフラなどの技術的環境は、従業員のパフォーマンスに顕著な影響を与えませんでした。技術が日常的な業務に不可欠となっているため、その存在が当たり前のものとして認識されているためかもしれません。

また、技術的環境の影響が限定的である理由として、技術の導入が必ずしも従業員のニーズや期待に合致していない可能性も指摘されています。新しい技術やシステムが導入されても、それが従業員の業務効率の向上や満足度の改善につながらない場合があります。

一方で、文化的環境は従業員のパフォーマンスに影響を及ぼすことが確認されました。文化的環境には、組織の価値観、コミュニケーションスタイル、リーダーシップの在り方などが含まれます。研究結果は、これらの要素が従業員の動機づけや業務への取り組み姿勢に直接的な影響を与えることを示しています。

パンデミック中は給与と成長が重視

新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、従業員体験に対する認識を変えました。インドの大手企業50社を対象とした研究では、パンデミック下で従業員が特に重視した要素が明らかになりました[4]。この研究は、従業員が自発的に投稿したオンラインレビューを分析することで、より自然な形で従業員の声を捉えることに成功しています。

研究では、5238件のオンラインレビューを分析し、従業員体験に関わる20の要因を特定しています。分析にはトピックモデリング手法が用いられ、従業員の声から浮かび上がる共通のテーマが抽出されました。その中で、給与と成長の機会が関心の高い要因として浮かび上がりました。

給与への関心の高まりは、パンデミックによる経済的な不確実性を反映しています。多くの企業が経営的な困難に直面する中、従業員は自身の経済的安定性に対する不安を強めました。研究データでは、給与に関する言及が他の要因と比べて多く、その多くがネガティブな感情を伴っていました。

成長機会への関心も顕著でした。パンデミックによる業務環境の変化は、従業員のキャリア開発にも影響を与えました。研究では、従業員がスキル開発や昇進の機会の減少に対して強い懸念を示していることが明らかになりました。この傾向は、若手従業員において顕著でした。

組織のサポートや職場文化に対しては、好意的な評価が見られました。パンデミック下での企業の安全対策や柔軟な働き方への対応が、従業員に肯定的に受け止められたことを示しています。従業員は特に感染対策や在宅勤務の導入など、企業の迅速な対応を評価していました。これらの施策は、従業員の安全と健康を企業が優先していることの表れとして認識されました。

職場文化に関する評価においては、コミュニケーションの質が鍵となりました。パンデミック下でも従業員との対話を維持し、情報共有を徹底した企業では、従業員の不安が軽減される傾向が見られました。経営状況や今後の方針について透明性の高い情報提供を行った企業は、従業員からの信頼を獲得しています。

一方で、業務負荷に対しては不満が表明されました。パンデミックに伴う業務量の増加や仕事の厳しさは、従業員にストレスをもたらしました。業務負荷に関するネガティブな言及が、全体の一定割合を占めていたことが報告されています。在宅勤務への急激な移行に伴う業務の複雑化や、人員削減による負担増加が問題視されました。

研究では、従業員体験に関わる20の要因が分析されています。これらの要因には、組織のサポート、雇用の安定性、在宅勤務環境、ワーク・ライフ・バランス、組織内の政治、報酬と福利厚生、従業員の安全、スキル開発、会社方針、労働時間、職務のローテーション、職務体験、管理職の対応、差別や偏見、道徳的支援、承認と評価などが含まれます。

これらの要因の中で、雇用の安定性は特に注目すべき結果を示しました。パンデミック下での雇用不安は、従業員の心理的な負担を増大させる要因となりました。研究では、雇用の安定性に関する言及の多くがネガティブな文脈で語られており、この問題が従業員の最大の懸念事項の一つであったことが分かります。

在宅勤務環境に関する評価は、企業による支援体制の違いを反映して、差が見られました。適切な機器やツールの提供、技術的サポートの充実した企業では、従業員の満足度が維持されました。一方、インフラ整備が不十分な企業では、従業員の不満が高まる結果となりました。

ワーク・ライフ・バランスについても、パンデミックは課題をもたらしました。在宅勤務の普及により、仕事と私生活の境界が曖昧になり、多くの従業員が困難を経験しました。この問題に対する企業の対応が、従業員体験を左右する重要な要因となりました。

エンゲージメントは共創的な意味付けプロセス

アメリカの12業種32人の従業員を対象とした研究は、エンゲージメントが対話を通じた意味の共創プロセスであることを明らかにしました[5]。この研究の特徴は、現象学的アプローチを用いて、従業員のエンゲージメント経験を深く掘り下げた点にあります。

研究では、半構造化インタビューを通じて、従業員がどのようにエンゲージメントを経験し、理解しているかが調査されました。インタビューは一人当たり約40分間行われ、合計で21時間以上のデータが収集されました。対象者の役職は、トラック運転手から副社長まで幅広く、多様な視点からの洞察が得られています。

対話は、エンゲージメントの出発点となります。双方向のコミュニケーションを通じて、従業員は組織との信頼関係を築き、自分の役割の意味を見出していきます。インタビュー対象者の多くが、「コミュニケーションがなければ、何も始まらない」という認識を示しました。特に、上司との対話的な関係性が、エンゲージメントの形成に重要な役割を果たすことが分かりました。

対話の質を決定づける要素として、積極的な傾聴の重要性が浮かび上がりました。相手の意見に耳を傾け、適切に反応することで、対話は深まります。例えば、「耳は2つ、口は1つ」という表現で、傾聴の重要性を強調する参加者もいました。積極的な傾聴は、従業員が自分の考えや感情を安心して表明できる環境を作り出します。

対面でのコミュニケーションは、エンゲージメントを高める上で効果的です。対面での会話は、非言語的な情報も含めた豊かなコミュニケーションを可能にし、信頼関係の構築を促進します。電子メールや文書による情報交換では得られない、対面コミュニケーションならではの価値が強調されました。

研究では、対面のコミュニケーションが持つ独自の効果が分析されています。対面での対話は、即時的なフィードバックを可能にし、相互理解を深めます。また、表情やジェスチャーなどの非言語的手がかりは、コミュニケーションの文脈を豊かにし、メッセージの正確な理解を促進します。

内部コミュニケーションも、補完的な役割を果たします。組織からの情報提供は、従業員の理解を深め、信頼を高めることにつながります。ただし、研究結果は、一方向的な情報提供だけでは、エンゲージメントの向上には不十分であることを示しています。内部コミュニケーションは、対話的なコミュニケーションを支える基盤として機能する必要があります。

研究は、エンゲージメントの形成における「意味の共創」の重要性を強調しています。従業員は、組織との対話を通じて、自分の役割や貢献の意味を見出していきます。この過程は、組織と従業員が共に価値を創造していく相互作用的なプロセスとして理解されます。

脚注

[1] Kulkarni, M. B., and Mohanty, V. (2022). An experiential study on drivers of employee experience. International Journal of Management and Humanities, 8(12), 1-7.

[2] Li, X., and Yang, P. (2023). Facilitate or diminish? Mechanisms of perceived organizational support on employee experience of new generation employees. Psychological Reports, 126(6), 3329-3345.

[3] Harlianto, J., and Rudi. (2023). Promote employee experience for higher employee performance. International Journal of Professional Business Review, 8(3), 1-16.

[4] Joshi, A., Sekar, S., and Das, S. (2024). Decoding employee experiences during pandemic through online employee reviews: Insights to organizations. Personnel Review, 53(1), 288-313.

[5] Lemon, L. L. (2019). The employee experience: How employees make meaning of employee engagement. Journal of Public Relations Research, 31(5-6), 176-199.


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

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