2024年12月26日
透明性の錯覚:私たちの考えは見抜かれているのか
私たちは日々、職場で他者とコミュニケーションを取りながら働いています。その中で、自分の考えや感情が相手にどれだけ伝わっているのか、不安に感じることは誰にでもあるでしょう。実は、この不安の背景には「透明性の錯覚」と呼ばれる心理メカニズムが隠れています。
透明性の錯覚とは、自分の内面の状態が他者に見抜かれていると過大評価してしまう傾向です。例えば、プレゼンテーションで緊張していると、その緊張が聴衆に伝わっていると感じやすくなります。また、部下に改善点を伝えようとするとき、自分の意図が相手に十分理解されていると思い込んでしまうこともあります。
本コラムでは、透明性の錯覚が職場におけるコミュニケーションにどのような影響を及ぼすのかについて、研究知見をもとに解説します。特に、交渉、フィードバック、意思決定といった場面で、透明性の錯覚がどのように作用するのか、そしてそれがキャリア形成にどのような意味を持つのかを考えていきます。
知識の呪いだけではない
交渉の場面では、自分の意図や好みが相手にどれだけ伝わっているかについて、私たちは誤った判断をしてしまいます。ある研究では、交渉者に複数の選択肢から価値の高いものと低いものを選んでもらい、その後、相手がどの程度自分の選択の意図を理解できるかを予測してもらいました[1]。
その結果、交渉者は自分の意図や好みを相手が理解している度合いを14%も過大評価していることが判明しました。例えば、交渉者が「この商品の価格が最も重要だ」と考えているとき、相手もそれを理解していると思い込みがちですが、実際には相手はそこまで理解していないことが多いのです。
この現象を説明するため、研究者たちは第三者である観察者を実験に加えました。観察者は交渉の様子を外から見て、交渉者の意図がどの程度相手に伝わっているかを評価しました。すると、交渉者本人は「自分の意図は相手によく伝わっている」と考える一方で、観察者はより冷静に「実際にはそれほど伝わっていない」と評価しました。
この結果から、単に「自分が知っていることを他者も知っているはず」という「知識の呪い」だけでは説明できない心理メカニズムが働いていることが明らかになりました。
交渉者が最も価値を置く項目について分析すると、興味深い結果が得られました。交渉者は自分にとって重要な項目(例えば、契約期間や納期など)について、相手もその重要性を理解していると強く信じる傾向がありました。
しかし、実際の交渉場面では、相手は異なる価値観や優先順位を持っており、交渉者が重視する点をそれほど重要だと考えていないことが多かったのです。このように、交渉者の認識と相手の理解の間にはギャップが存在し、それが交渉の成果に影響を及ぼしていました。
これらの現象の根底には、私たちの心理的特徴が関係しています。人は自分の内面的な感情や考えを意識しており、それが鮮明に感じられます。例えば、交渉の場面で「この条件は絶対に譲れない」と強く感じているとき、その感情があまりに強いため、相手もその重要性を同じように理解していると思い込んでしまいます。
さらに、自分の立場や考えに没入すればするほど、その感情や考えが外部から見ても明らかだと錯覚するようになります。これは、私たちが自分の視点から離れることの難しさを示しています。
スポットライト効果との共通点
透明性の錯覚は、「スポットライト効果」という別の心理現象とも関係があります[2]。スポットライト効果とは、自分の外見や行動が他者から注目されている度合いを実際よりも高く見積もってしまう傾向です。例えば、新しい髪型で出社したとき、周囲の人々が自分の変化に気付いていると思い込みがちですが、実際にはそれほど注目されていないことが多いのです。
他方で、透明性の錯覚をめぐる心理学実験では、不快な飲み物を飲んだときの表情が他者にどれだけ伝わるかを調査しました。その結果、飲んだ人は自分の不快感が周囲に明らかだと感じましたが、実際の観察者はその不快感をそれほど認識していませんでした。
透明性の錯覚もスポットライト効果も、それらが生じる理由は、私たちが自分の内面的な感情や状態を強く意識しているためです。自己意識が高まると、他者も同じように自分の状態を認識していると錯覚してしまうのです。
意思決定が簡単な場合に強まる
日本の大学生を対象とした実験が行われています。研究者たちは、学生に複数の選択肢(例えば、音楽、映画、食べ物など)を提示し、その中から「最も好きなもの」と「5番目に好きなもの」を選んでもらいました[3]。その後、他の人がその選択の理由をどの程度理解できるかを予測してもらいました。
実験結果は興味深いものでした。学生たちは、最も好きな選択について、その好みが他者に容易に理解されると強く確信していました。一方で、5番目に好きな選択については、そこまでの確信は持てないと回答したのです。
例えば、ある学生が「寿司が大好き」という場合、その好みは誰にでも分かるはずだと考えます。しかし、「ラーメンが5番目に好き」という選択については、他者の理解度を低く見積もる傾向がありました。
この結果から見えてくるのは、人間の判断プロセスにおける特徴です。私たちは、自分の中で判断が明確で迷いがない場合(例えば、「これが一番好き」という場合)、その判断の過程や理由も他者にとって明らかだと思い込みやすくなります。
しかし、実際の他者は、私たちの頭の中で行われている複雑な判断プロセスを直接見ることはできません。他者が得られるのは、私たちが言葉や表情で表現する限られた情報だけなのです。例えば、「寿司が好き」という結論は伝わっても、なぜそれほど好きなのか、どのような経験や価値観がその判断の背景にあるのかは、明確には伝わらないことが多いのです。
権力を持たない人ほど感じる
米国の研究者チームは、交渉の場面における権力関係と透明性の錯覚の関係を調べる実験を行いました[4]。
アナリスト(組織内で相対的に権力が低い立場)とエグゼクティブ(権力が高い立場)のペアに交渉を行ってもらい、それぞれが相手にどの程度自分の意図が伝わっていると感じるかを測定しました。
アナリストの方が自分の意図や目標が相手によく伝わっていると強く感じる傾向が見られました。しかし、実際に両者の意図がどれだけ相手に伝わっているかを客観的に測定すると、アナリストとエグゼクティブの間に有意な差は見られませんでした。低権力者は自分の意図の伝わりやすさを過大評価していたということです。
この現象の背景には、権力関係による心理的な影響が存在します。権力が低い立場にある人(アナリストなど)は、高権力者(エグゼクティブなど)の一挙手一投足に敏感になります。これは生存戦略として自然な反応です。低権力者は高権力者の意向や反応を慎重に観察し、それに応じて自分の行動を調整する必要があるからです。
この注意の向け方が、思わぬ副作用を生み出します。低権力者は相手の反応を細かく観察するあまり、「相手は自分の意図をよく理解している」と思い込んでしまうのです。例えば、アナリストが提案を行う際、エグゼクティブのわずかな頷きや表情の変化を「理解の印」として解釈してしまうことがあるかもしれません。
ネガティブフィードバックをする際に生じる
職場におけるマネジャーと部下の関係においても、透明性の錯覚は影響を及ぼします。特に注目すべきは、マネジャーが部下に対して改善点や課題を指摘する場面です。
研究では、このようなネガティブなフィードバックを行う際に、マネジャーは自分の意図が部下に明確に伝わっていると感じる傾向があることが分かりました[5]。例えば、「この報告書の構成を改善する必要がある」と伝える場合、マネジャーは自分の意図(何をどう改善してほしいのか)が部下に理解されていると考えがちです。
実験では、マネジャーに部下の業務遂行について改善点を伝えてもらい、その後、部下の理解度を予測してもらいました。同時に、部下の実際の理解度も測定しました。
結果としては、マネージャーは部下の理解度を過大評価していることが判明しました。マネジャーが「理解してもらえた」と考えている場面でも、部下は具体的に何をどう変えればよいのか、十分に理解できていないことが多かったのです。
この錯覚の存在を確認するため、研究者たちは観察者を実験に加えました。観察者には、マネジャーのフィードバックの様子を見てもらい、部下がどの程度理解しているかを評価してもらいました。
観察者の評価は部下の実際の理解度により近いものでした。これは、マネジャーが自分の意図の明確さを過信していること、すなわち、透明性の錯覚に陥っていることを裏づけています。観察者は感情的にも物理的にも距離を置いた立場にいるため、より客観的に状況を判断できるわけです。
透明性の錯覚について知れば弱まる
これまでの研究から、透明性の錯覚に関する理解を深めることで、その否定的な影響を軽減できることが分かってきました。特に興味深い知見が、スピーチ不安に関する研究から得られています[6]。
研究者たちは、人前でスピーチを行う参加者に対して、「あなたが感じている緊張は、実際には聴衆にそれほど伝わっていない」という情報を事前に提供しました。この情報は、参加者の不安を軽減する効果がありました。
私たちは往々にして、自分の緊張や不安が周囲に筒抜けになっていると感じますが、実際にはそうではないという認識が、心理的な負担を軽くするのです。
研究では、二つのグループを比較する実験が行われました。一方のグループには、スピーチの前に透明性の錯覚について詳しい説明が提供されました。「あなたが感じている緊張は、実際の聴衆にはそれほど伝わっていません。これは心理学的な研究でも確認されています」といった具合です。
もう一方のグループには、このような説明は一切提供されませんでした。実験の結果、説明を受けたグループは、スピーチに対する不安が減少し、実際のスピーチの評価も高くなりました。参加者はきっと「自分の緊張が見抜かれていないと分かって安心した」「リラックスしてスピーチに集中できた」といった感想を持ったことでしょう。
この研究から得られた知見は、職場におけるコミュニケーション全般に応用可能です。私たちは自分の内面状態(感情、意図、考え)が他者に明確に伝わっていると思い込みがちですが、実際にはそうではありません。
この事実を理解することで、不必要な不安や緊張から解放され、より効果的なコミュニケーションが可能になります。例えば、重要なプレゼンテーションの前に緊張している場合、「自分の緊張は見た目ほど明らかではない」という認識が、落ち着いてプレゼンテーションを行う助けとなります。
同様に、部下にフィードバックを行う際も、「自分の意図が十分に伝わっていない可能性がある」という認識を持つことで、より丁寧な説明を心がけることができます。
職場における透明性の錯覚
透明性の錯覚が職場に及ぼす影響について、実証研究の知見をもとに含意を探ってきました。この心理メカニズムは、交渉、フィードバック、意思決定など、様々な場面で私たちのコミュニケーションに影響をもたらしています。
職場のマネジメントにおいては、透明性の錯覚の存在を認識し、対策を講じることが求められます。特に、ネガティブフィードバックを行う際には、自分の意図が十分に伝わっているか、確認する姿勢が大切です。また、権力関係による心理的影響も考慮に入れ、低い立場の人々の声に耳を傾ける必要があります。
透明性の錯覚は、自己認識と他者認識のギャップから生じる避けがたい現象です。しかし、この錯覚について理解を深め、適切な対応を取ることで、より効果的なコミュニケーションが可能になります。
脚注
[1] Van Boven, L., Gilovich, T., and Medvec, V. H. (2003). The illusion of transparency in negotiations. Negotiation Journal, 19, 117-131.
[2] Gilovich, T., and Savitsky, K. (1999). The spotlight effect and the illusion of transparency: Egocentric assessments of how we are seen by others. Current Directions in Psychological Science, 8(6), 165-168.
[3] Endo, Y. (2007). Decision difficulty and illusion of transparency in Japanese university students. Psychological Reports, 100(2), 427-440.
[4] Garcia, S. M. (2002). Power and the illusion of transparency in negotiations. Journal of Business and Psychology, 17, 133-144.
[5] Schaerer, M., Kern, M., Berger, G., Medvec, V., and Swaab, R. I. (2018). The illusion of transparency in performance appraisals: When and why accuracy motivation explains unintentional feedback inflation. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 144, 171-186.
[6] Savitsky, K., and Gilovich, T. (2003). The illusion of transparency and the alleviation of speech anxiety. Journal of Experimental Social Psychology, 39(6), 618-625.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。