2024年12月25日
仕事のエコシステムを生きる:持続可能なキャリアの可能性
度重なる経済の変動を経験する中で、長期雇用を維持することが容易ではなくなっており、日本の労働市場は変化の時期を迎えているという見方もあります。
新型コロナウイルスの感染拡大を経験した後、私たちの働く形はさらに代わりました。今後の仕事人生をどのように築いていくべきか考えている人も少なくないでしょう。
組織の中で長く働き続ける従来の形が変わりつつある一方で、新しい働き方の選択肢は広がりを見せています。在宅での仕事が増えており、場所を問わない働き方が一部で実現しました。本業と別の仕事を持つ人も出てきて、様々な仕事の組み合わせ方が生まれています。このような状況は、私たちに仕事の在り方を問いかけています。
「サステナブル・キャリア」という考えが広がり始めています。これは、ただ長く働き続けることではありません。個人の成長と会社の発展、そして社会全体の持続性を一体として考える新しいキャリアの形です。本コラムでは、研究成果を基に、サステナブル・キャリアについて説明します。
サステナブル・キャリアの中心は自己認識や意味づけ
サステナブル・キャリアの本質は、自分をよく理解し、仕事に意味を見出すことにあります[1]。研究によれば、仕事人生において意味のある体験を積み重ねることが示唆されています。仕事の経歴を積むだけでなく、人としての成長や自分らしさの実現につながるプロセスとして捉えることが大切です。
仕事人生を長く続けるには、過去を振り返り、将来を考え、今の行動を見直すプロセスが必要です。このプロセスは三段階から成り立っています。
最初に、これまでの経験から得た成功や失敗、その時の気持ちや学びを丁寧に見つめ直します。次に、自分が目指したい方向と、それを実現するために必要なものを考えます。そして、過去の経験と将来の希望を踏まえて、今の行動をどう変えるべきかを検討します。
例を挙げると、営業の仕事をしていた人が、お客様との関係を築く喜びを感じた経験から、人との関わりをより深められる仕事に就きたいと考え、今までの経験を活かしてキャリアコンサルタントになることを決めるケースがあるかもしれません。
自分に関する理解は、時とともに変化します。時代の流れや新しい経験によって、自己理解は更新されていきます。例えば、営業の仕事でデジタル技術の活用が求められるようになった時、新しい技術を学び、可能性を広げた人がいるでしょう。一方で、変化を受け入れず、従来のやり方にこだわった結果、仕事で行き詰まりを感じた人もいます。
環境の変化に応じて自己理解を柔軟に更新できる人は、仕事の満足度が高く、長期的な成功を収めやすいことが示されています。柔軟な自己理解をもつ人が、新しい機会を見出しやすく、変化する環境に適応しやすいためです。
IT業界においても、「特定の言語の専門家である」という固定的な考えをもつ人より、「技術の変化に合わせて学び続ける人間である」という柔軟な考えをもつ人の方が、仕事を長く続けられることでしょう。
個人のキャリアの持続性に焦点化しすぎている
とはいえ、近年のサステナブル・キャリアの議論では、個人の適応力や柔軟性が必要以上に強調される傾向にあります。これは、働く人々の自助努力や自己責任を中心とする新自由主義的な考え方が広まった結果だと指摘する研究もあります[2]。
「仕事人生は個人で管理するもの」という考え方が急速に広まり、組織や社会による支援の必要性が見過ごされるようになりました。近年の仕事関連の書籍においては、「自己責任」や「個人の努力」を強調する表現が増えています。
こうした個人を中心とした見方は、今の労働環境が抱える根本的な問題を見えにくくしています。例えば、非正規雇用の増加や賃金が上がらないという問題は、個人の努力だけでは解決できない社会全体の課題です。
研究者たちは、この「個人化」の問題点を詳しく分析しています。まず、仕事の不安定さは、世界経済のグローバル化や技術の革新といった社会全体の変化によって引き起こされているのに、それが個人の能力や努力の問題として語られがちです。
例えば、ある製造業において、工場の海外移転で仕事を失った人々が、「自分のスキルが足りなかった」と自分を責めているとしても、本人の責任であるとは言いにくいでしょう。
仕事に関する支援の制度や仕組みが、実際には一部の恵まれた労働者しか使えない現状もあります。正社員とそれ以外の雇用形態で、教育訓練の機会に大きな差があるかもしれません。
サステナブル・キャリアを実現するには、個人の努力に加えて、社会全体で支援する体制を整えることが欠かせません。例えば、デンマークでは「フレキシキュリティ」という制度により、労働市場の柔軟性と社会保障の充実を両立させています。
会社による雇用の調整がしやすい一方で、失業した時の収入保障や職業訓練の機会を充実させることで、働く人の生活と仕事の持続性を確保する方向性もあるということです(この方向性を選ぶべきという主張ではありませんが)。
個人と組織の相互利益をもたらすのが大事
サステナブル・キャリアを考える際に見落とせないのが、個人と組織の関係です。個人の成長と組織の目標が調和することで、双方にとって良い結果がもたらされます[3]。
従業員の得意分野や興味、大切にしている価値観に合った仕事を提供している組織では、従業員の満足度と仕事への思い入れが高まり、生産性も上がることが分かっています。例えば、ある製造業において、技術者の興味や専門性を考えて配属を決めた結果、製品開発が早くなり、特許出願数も増える可能性があります。従業員が自分の関心のある分野で仕事ができることで、新しいアイデアが生まれ、自発的な改善提案も増えるためです。
価値観が合うことも欠かせません。環境に優しい製品を開発したいと考える従業員が、実際にそうした製品の開発チームで働く場合、仕事への満足度が高まり、長く働き続けたいという気持ちにつながります。個人の価値観と組織の目指す方向が一致することで、長く続く関係が築かれやすくなります。
学びと能力の向上も、個人と組織の両方に利益をもたらします。あるIT企業では、従業員に自己啓発時間を保証し、その時間を新しい技術の学習に使うことを奨励しました。その結果、従業員は最新技術を身につけ、市場での価値を高められるだけでなく、組織としても新しいプロジェクトに対応する力が上がるかもしれません。
仕事の安定性についても、従業員の市場価値を高めることは、一見すると組織にとってリスクに見えるでしょう。しかし、実際はそうではありません。
従業員の市場価値向上を支援する組織ほど、むしろ従業員の定着率は高いという見方もあります。というのも、組織が従業員の成長を支援することで信頼関係が築かれ、たとえ外に転職の機会があっても、今の組織に残ることを選ぶ従業員がいるためです。
従業員が高い市場価値を持つことは、組織が変わるときに強みとなります。例えば、デジタル化への対応が必要になった際、従業員が既に関連するスキルを身につけていたら、スムーズに移行できます。
仕事と生活のバランスを取ることも、個人と組織の双方にとって欠かせません。柔軟な勤務制度を取り入れることで、従業員の生産性が上がり、辞める人が減るでしょう。コアタイム制の導入により、子育て中の従業員が学校行事に参加しやすくなり、介護を担う従業員も仕事と両立させやすくなる可能性があります。
サステナブルなHRMとキャリアはエコシステムで捉える
サステナブル・キャリアを理解するには、個人と組織を取り巻く環境全体を「エコシステム」として見る視点が重要です[4]。仕事人生を個人や組織の枠を超えた、より広い文脈で理解することが求められます。
エコシステムの観点からすれば、個人の仕事管理能力を高めることが鍵となります。仕事管理能力が高い従業員の特徴として、以下の3つが挙げられています。
- 第一に、自分の得意不得意を正確に把握し、必要に応じて能力を高めることです。
- 第二に、組織の内外でつながりを築き、必要な情報や支援を得られる関係を作ることです。
- 第三に、変化する環境を読み取り、新しい機会を見出すことです。
予期せぬ出来事への対応も、エコシステムの中で考える必要があります。仕事上の予期せぬ出来事を危機としてではなく、新たな可能性を見出す機会として捉えられる人ほど、長期的に仕事を発展させられるでしょう。
例えば、ある営業部長の経験を考えてみましょう。突然の組織再編で管理職から外されてしまいましたが、この機会を活かして新規事業の立ち上げに関わり、結果的により大きな責任を任されるようになりました。このケースは、予期せぬ出来事を前向きに捉え、新たな可能性を見出した好例です。
他者や社会への貢献も含まれる
サステナブル・キャリアの考え方は、個人の成功や組織への貢献を超えて、社会全体への価値創造を含むものとして理解されています。イタリアとスペインの大学生を対象とした調査は、この点について深い学びをもたらしています[5]。
調査では、両国の学生に「サステナブル・キャリアとは何か」という質問を投げかけました。その結果、多くの学生が「社会への貢献」や「他者への価値提供」を欠かせない要素として挙げました。
特徴的なのは、これまでの仕事観との違いです。従来、仕事の成功は主に収入や地位といった個人の達成で測られていました。しかし、現代の若者は、そうした個人の成功に加えて、より広い社会的な価値の創造を仕事の大切な要素と考えています。
このように、仕事人生の持続可能性は、個人の満足や組織の利益だけでなく、社会全体への貢献や環境への配慮も含む、より広い概念として理解する必要があります。それは、一人ひとりの幸せな人生の実現であると同時に、組織の発展、そして社会全体の持続可能性につながる課題なのです。
サステナブル・キャリアの含意
サステナブル・キャリアという考え方が示唆するのは、私たちの仕事人生が収入の手段や個人の成功物語を超えた、より広範な意味を持つということです。それは個人、組織、そして社会の三層が調和的に結びつく新しい働き方のビジョンを提示しています。
この考え方の核心には、仕事を通じた自己実現と社会貢献の両立があります。組織への忠誠と引き換えに安定を提供していた時代から、個人の主体性と社会的価値の創造を重視する時代への転換を意味していると考える人もいるかもしれません。ここでいう主体性とは、自己責任や個人主義とは異なり、周囲との関係性の中で形作られるものとして受け止めたほうが良いでしょう。
サステナブル・キャリアは、変化への適応を個人の責任として押し付けるのではなく、組織や社会による支援の重要性を強調します。個人の柔軟性や学習能力は確かに重要ですが、それらは適切な制度的支援があって初めて意味を持ちます。個人の適応力と社会的セーフティネットは相互補完的な関係にあります。
さらに重要なのは、サステナブル・キャリアが示す時間的な視点です。短期的な成果や即時的な適応だけでなく、長期的な視野で個人の成長、組織の発展、社会の持続可能性を考えることを促します。この時間軸の拡張は、現代社会が直面する環境問題や社会的課題への取り組みとも共鳴します。
これからの仕事人生においては、経済的成功と社会的意義の両立がますます重要になるでしょう。サステナブル・キャリアは、そうした新しい働き方のモデルを提供すると同時に、組織や社会システムの在り方自体を問い直す視点も提供しています。
脚注
[1] Schweitzer, L., Lyons, S., and Smith, C. J. (2023). Career Sustainability: Framing the Past to Adapt in the Present for a Sustainable Future. Sustainability, 15, 11800.
[2] Bal, P. M., Matthews, L., Doci, E., and McCarthy, L. P. (2021). An ideological analysis of sustainable careers: Identifying the role of fantasy and a way forward. Career Development International, 26(1), 83-101.
[3] Valcour, M. (2015). Facilitating the crafting of sustainable careers in organizations. In A. De Vos & B. I. J. M. Van der Heijden (Eds.), Handbook of research on sustainable careers (pp. 20-31). Cheltenham, UK: Edward Elgar Publishing.
[4] De Vos, A., and Van der Heijden, B. I. J. M. (2017). Current thinking on contemporary careers: The key roles of sustainable HRM and sustainability of careers. Current Opinion in Environmental Sustainability, 28, 41-50.
[5] Russo, A., Valls-Figuera, R. G., Zammitti, A., and Magnano, P. (2023). Redefining ‘Careers’ and ‘Sustainable Careers’: A Qualitative Study with University Students. Sustainability, 15, 16723.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。