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コラム

アイデアは「思いやり」で育つ:イノベーターのための新しい基盤

コラム

この度、『イノベーションを生み出すチームの作り方:成功するリーダーが「コンパッション」を取り入れる理由』(すばる舎)を上梓しました。「イノベーション」という言葉は、ビジネスの世界で日々飛び交っています。しかし、その実現は簡単ではありません。

なぜイノベーションは困難なのでしょうか。そして、その困難をどのように乗り越えればよいのでしょうか。本書では、その解決の糸口として「コンパッション(思いやり)」という概念に注目しました。

イノベーションと思いやりは、一見すると無関係に思えるかもしれません。しかし、イノベーションの実現過程で直面する様々な障壁を乗り越えるには、思いやりの力が大きな助けになります。

本書では、セルフ・コンパッション(自分への思いやり)とコンパッション(他者への思いやり)に関する研究知見を紹介しながら、それらがどのようにイノベーションの実現を後押しするのかについて、理論と実践の両面から解説しています。

本コラムにおいては、本書における各章の概要を紹介します。本書の全体像を把握していただくとともに、イノベーションと思いやりの関係性について理解を深めていただければ幸いです。

1章はイノベーション実現の難しさを解説

イノベーションのプロセスは、大きく3つの段階に分けることができます。「生成」の段階では、アイデアを創造します。「推進」の段階では、生まれたアイデアの価値を組織内外に説明し、支持を集めていきます。「実現」の段階では、アイデアを具体的な形にして、リリースします。

生成段階では、例えば、ブレインストーミングやアイデアソンなど、様々な手法を活用してアイデアを生み出します。この段階も決して容易ではありませんが、推進段階や実現段階と比べると、組織的な抵抗や調整の必要性は相対的に少ないと言えます。

一方、推進段階と実現段階では、アイデアの創造性が高ければ高いほど、大きな困難に直面します。なぜなら、創造的なアイデアは既存の仕組みや考え方を根本から覆すような提案であることが多く、それだけに組織内での抵抗も強くなるためです。

例えば、新しい技術を導入するアイデアは、既存の業務プロセスの大幅な変更を必要とするかもしれません。革新的な商品企画は、現行製品のビジネスモデルと競合する可能性があります。画期的なサービス案は、社内の人員配置や予算配分の見直しを迫ることになるかもしれません。こうした変化は、必然的に関係者からの抵抗を引き起こします。

また、創造的なアイデアを提案する人材は、組織内で孤立しやすいという問題も存在します。その理由の一つは、創造的な人材が既存の枠組みにとらわれない発想を持つことにあります。

例えば、「この方法でやってきて問題なかったのに、なぜ変える必要があるのか」という声に直面することがあります。新しいアイデアは往々にして不確実性が高く、失敗のリスクも大きいため、「そんな危険な提案は受け入れられない」という反応を招きやすいのです。

創造的な人材は自身のアイデアに強い思い入れを持つことが多く、それが時として「独りよがり」と受け取られ、周囲との軋轢を生む原因となることもあります。「もっと現場の意見を聞くべきだ」「実務を知らな過ぎる」といった批判を受けることも少なくありません。

2章はセルフ・コンパッションがイノベーションに有効と紹介

セルフ・コンパッションとは、自分自身に対する深い思いやりのことです。困難や失敗に直面した時に自分を責めたり否定したりするのではなく、温かい理解と受容の態度で接することを意味します。

例えば、プロジェクトが上手くいかなかった時に「自分は無能だ」と自己否定するのではなく、「誰でも失敗することはある。この経験から何を学べるだろうか」と考えるような態度です。

従来のイノベーションに関する議論の中には、失敗を恐れない勇気、困難に立ち向かう強さ、逆境に負けない忍耐力など、「強さ」や「タフさ」を重視するものがありました。

しかし、そうした特性だけでは長期的なイノベーションの推進は困難です。むしろ、困難に直面した時に自分を思いやる力、すなわちセルフ・コンパッションが重要だというのが本書の基本的な考えです。

イノベーションの過程では必然的に多くの失敗や挫折を経験することになります。アイデアは組織内の抵抗に遭い、批判を受け、時には全面的な否定を経験することもあります。そのような状況で自分を過度に責めたり、失敗を自分の価値と結びつけたりすると、次第に自信を失い、創造性が低下し、イノベーションの推進自体を諦めてしまう可能性があります。

対して、セルフ・コンパッションが高い人は、失敗や挫折を異なる視点で捉えることができます。失敗を「自分は駄目な人間だ」という証明としてではなく、「新しいことに挑戦する過程で必然的に起こる事態」として受け止めます。そして「この経験から何を学べるだろうか」「次はどうすればより良くなるだろうか」という建設的な思考を持つことができます。

こうした思考パターンは、イノベーションの実現過程において重要です。最初から完璧なアイデアというものは存在せず、様々な試行錯誤を経て徐々に改善されていくものだからです。セルフ・コンパッションが高い人は、試行錯誤のプロセスを前向きに捉え、各段階での学びを次のステップに活かすことができます。

セルフ・コンパッションは個人の心理的健康を支えるだけでなく、他者との関係性にも影響を与えます。自分に対して思いやりを持てる人は、他者に対しても同様の思いやりを持って接することができます。

これは、イノベーションの推進に必要な協力関係を築く上で効果的です。例えば、自分のアイデアに対して批判的な意見を受けた時、それを個人攻撃として受け止めるのではなく、建設的なフィードバックとして受け止めることができます。

そして、批判者の立場や視点を理解しようと努め、対話を通じてより良いアイデアを生み出していくことができます。このような態度は周囲からの信頼を高め、結果的に多くの人々の協力を得やすくなります。

3章はコンパッションとイノベーションの事例を紹介

3章では、17のケースを通じて、コンパッションがイノベーションの実現にどのように貢献するのかを解説しています。例えば、新しい製品アイデアを上司に提案したものの全面的に否定された場合や、革新的なビジネスモデルの提案が既存事業部門から強い反発を受けた場合など、イノベーションの推進者が遭遇する困難な状況を取り上げています。

各ケースでは、コンパッションの実践方法を示しています。例えば、上司から否定された場合、まず自分を責めすぎないようにする(セルフ・コンパッション)、次に上司の立場や懸念を理解しようとする(他者へのコンパッション)、そしてそれらの理解を基に対話を進める、といったステップを説明しています。

さらに、イノベーション実現のプロセスで直面する様々な困難や挫折を具体的に描き出しています。例えば、技術的な課題に直面して士気が低下したプロジェクトチームの事例では、メンバー間の対立や不安、焦りといった感情の機微を描写しています。

そして、そうした状況でコンパッションがどのように機能し、チームを前向きな方向に導いていくのかを、実際の会話や行動のレベルまで掘り下げて紹介しています。

例えば、「この部分はまだ改善の余地がありますね」「確かにリスクはありますが、一緒に対策を考えていきましょう」「あなたの懸念はもっともです。詳しく聞かせていただけますか」といった声がけを示しています。

4章はすぐに実践できるコンパッションの高め方を説明

「二つの椅子」のエクササイズは、自己批判的な声と思いやりのある声を具体的に体験し、建設的に自己対話を進める方法です。参加者は二つの椅子を用意し、一方の椅子では自己批判的な声を表現し、もう一方の椅子では思いやりのある声を表現します。

このプロセスで重要なのは、それぞれの声が持つ感情や意図を理解することです。例えば、自己批判的な声の裏には、より良い結果を求める強い願いが隠れているかもしれません。思いやりのある声は、単なる慰めではなく、建設的な改善を促す役割も持っています。

異なる視点を体験することで、普段の自己対話のパターンに気づき、建設的な対話方法を身につけることができます。例えば、「なぜこんな単純なミスをするのか」という批判的な声に対して、「誰でもミスはある。重要なのは、ここから何を学べるかだ」という思いやりのある声で応答する練習を重ねることで、実際の困難な状況でも同様の対応ができるようになっていきます。

コンパッションを段階的に広げていく方法も紹介しています。まず自分自身への思いやりを育て、次に身近な人々、そして徐々により広い範囲の人々へと思いやりを拡張していくアプローチです。

「優しい友人からの声がけ」という手法も取り上げています。困難な状況に直面した際に、最も信頼できる友人ならどのように接してくれるかをイメージするエクササイズです。プロジェクトで大きな失敗をした場合、その友人はどんな表情で、どんな言葉で、どんな態度で接してくれるだろうかを想像します。

その友人は恐らく、あなたの努力を認め、失敗は誰にでもあることを伝え、次に向けての提案をしてくれるでしょう。こうした想像を通じて、自己批判的な思考から抜け出し、建設的な思考パターンを身につけることができます。

これらの実践がもたらす効果については、様々な研究によって裏づけられています。例えば、定期的なコンパッション・トレーニングを行った人々は、ストレスホルモンのレベルが低下し、心拍変動性(ストレス耐性の指標)が改善することが報告されています。また、fMRIを用いた研究では、コンパッション・トレーニングによって、共感や感情制御に関わる脳領域の活性化パターンが変化することも確認されています。

注目すべきは、これらの変化が比較的短期間(8週間程度)で観察されることです。このことは、コンパッションが意識的な練習によって確実に向上可能な能力であることを示しています。また、この変化は長期的に維持されることも確認されており、継続的な実践の重要性がうかがえます。

コンパッションを高める実践は、心理的な慰めではなく、生理学的なレベルでも実証された効果を持つということです。実証的な基盤があることで、組織におけるコンパッション実践の意義がより明確になり、その導入や継続的な実践の動機づけにもつながります。

イノベーションの実現には、様々な困難や挫折が伴います。しかし、本書で紹介した方法を実践することで、そうした困難を乗り越えるための心理的な強さを育むことができます。それは、失敗や挫折を受け止め、そこから学び、成長していく力です。この力は、イノベーションの長い道のりを支える基盤となるのです。

また、これらの実践は個人レベルの効果だけでなく、組織全体にも好ましい影響をもたらします。コンパッションの実践が組織内に広がることで、メンバー間の信頼関係が深まり、開放的で創造的な組織文化が育まれていきます。これは、持続的なイノベーションを生み出すための土壌となるでしょう。

最後に強調しておきたいのは、これらの実践は決して「柔軟すぎる」あるいは「甘い」アプローチではないということです。困難な状況に対して、建設的かつ効果的に対応するための実践的な方法です。


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

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