2024年11月14日
感情が織りなす職場のダイナミクス:その隠れた影響力
一日の仕事を振り返ってみましょう。同僚との楽しい会話、締め切りに追われてのストレス、上司からの評価に喜びを感じた瞬間。こうした感情は、私たちの日々の職業生活に彩りを添えるだけでなく、組織にも影響を与えます。
「感情イベント理論」は、職場における感情の動きとその影響を理解するための視点を提供してくれます。日々の出来事が従業員の感情をどのように形作り、その感情が態度や行動にどう反映されるのか。この理論は、職場の日常に新しい光を当てています。
感情イベント理論に基づいた研究が増えています。例えば、情報の遅れが思わぬ行動を引き起こすことや、オフィスの環境が従業員の協力行動に影響を与えることなどが見えてきました。
本コラムでは、感情イベント理論に基づく研究知見を紹介します。情報のやりとりの遅れ、職場での問題行動、感情を使う仕事、オフィスの環境、そして日々の感情の変化が、従業員にどのような影響を与えるのか。職場に対する理解を深め、効果的で人間味のある組織づくりへの道筋を示してくれるでしょう。
情報交換の遅れが感情を通じて反生産的行動に
職場におけるコミュニケーションは、スムーズな仕事の進行に欠かせません。一方で、情報のやりとりが遅れることで、従業員の感情や行動にどのような影響が出るのでしょうか。
ある研究者たちは、情報交換の遅れが職場の人間関係や従業員の行動に与える影響を、感情イベント理論を用いて、理論的に考察しています[1]。
研究によると、情報交換の遅れは従業員の「自分で物事をコントロールできている」という感覚を損ない、ネガティブ感情を増やします。例えば、情報がタイミングよく得られないと、従業員は仕事の進み具合をコントロールできないと感じ、不安やイライラが高まります。このネガティブ感情は、生産性の低下や問題行動につながる可能性があります。
情報の遅れによって生じた怒りやイライラが、同僚との関係を悪くすることがあります。従業員は遅れに対する不満を、協力的でない態度や失礼な言動として表すことがあるのです。また、イライラがたまると、仕事から心理的に離れてしまい、他の同僚との協力を避けたり、仕事の質が下がったりする可能性もあります。
遅れの影響は遅れの時間的なパターンや、同僚の対応によって違ってくるかもしれません。例えば、同僚が遅れの理由や期間を説明したり謝ったりすることで、従業員の「自分でコントロールできている」という感覚が少し回復し、ネガティブ感情が抑えられる可能性があります。
これらの見解は、職場におけるコミュニケーションの大切さを改めて認識させるものです。情報をタイミングよく共有すること、そして遅れが避けられない場合の対応が、従業員の感情マネジメントと生産的な行動の維持に重要であることを示しています。
問題行動は本人のネガティブ感情を高める
職場における問題行動は、組織や他の従業員に悪影響を与えるだけでなく、行動を取った本人にも影響を及ぼし得ます。ある研究では、この点に注目し、問題行動が従業員自身に与える影響を感情イベント理論に基づいて調べました[2]。
67名の従業員を対象に、10日間にわたる調査を行いました。調査では、従業員がその日に取った問題行動が、自身の感情や仕事への取り組み方にどのような影響を与えるかを確認しました。
結果としては、従業員が問題行動を取るほど、不安や怒りなどのネガティブ感情が強まることが分かりました。この仕組みは、認知的不協和という心理現象で説明できます。
問題行動は、他者や組織に害を及ぼす行為であり、行動者自身がそれを認識している場合、その行動が自分の道徳観や自己イメージと矛盾します。この矛盾が認知的不協和を引き起こし、不快感や不安、罪悪感などのネガティブ感情を生じさせるのです。
さらに、研究では問題行動によって引き起こされたネガティブ感情が、従業員の仕事への没頭度を下げることも明らかになりました。ネガティブ感情は、従業員の心のエネルギーを消耗させ、仕事に対するやる気や成果を下げてしまうのです。
この影響は個人の道徳観によって違うことも分かりました。道徳観が高い従業員は、問題行動を取った際に強いネガティブ感情を抱きやすく、仕事への没頭度が大きく下がります。一方、道徳観が低い従業員は、問題行動による感情への影響が小さく、仕事への没頭度への悪影響も少ないことが分かりました。
ネガティブ感情が表層演技につながる
感情を使う仕事は、多くのサービス業に含まれています。ホテル業界では、従業員が自分の感情をコントロールし、顧客に対して適切な感情表現をすることが求められます。ホテル業界における感情を使う仕事の要因と結果について、感情イベント理論を用いて分析した研究を取り上げましょう[3]。
研究では、中国の7つの五つ星ホテルの424名のフロントスタッフを対象に調査を行いました。調査は4つの異なる時期にわたって実施され、上司のサポート、公平な扱いの感覚、感情の状態、感情を使う仕事、仕事の満足度、サービスの質、離職意思などを測定しました。
研究の結果、上司からのサポートが公平な扱いの感覚を高め、その結果、従業員の感情的な負担を減らすことが確認されました。しかし、ネガティブ感情が強い従業員ほど「表層演技」を行い、仕事の満足度が下がり、離職意思が高まることが分かりました。
表層演技とは、従業員が自分の内面の感情を押し殺し、会社の期待に沿った感情を表面的に演じることを指します。例えば、実際には不満やストレスを感じていても、それを抑えて笑顔を作り出すような行動です。表層演技は、感情的な不一致を引き起こし、従業員にストレスをもたらします。ストレスがたまることで、従業員の疲れや不満が増し、仕事に対する満足感が下がって、辞めたいと思うきっかけとなるのです。
一方、感情を内面的に変える「深層演技」を行う従業員は、仕事に対する満足度が高く、結果としてサービスの質が上がり、辞めたい気持ちが低くなることが明らかになりました。
深層演技は、従業員が自分の感情を内面から変え、会社が求める感情を実際に感じるように努めることを指します。この方法では、表現する感情と実際に感じている感情が一致しているため、感情的な不一致が生じず、従業員に心理的な安定感をもたらします。
プライバシーの侵害が同僚を助ける行動を妨げる
オフィスの環境が従業員の行動にどのような影響を与えるのか、この問題に注目した研究があります[4]。オープンオフィスでの「混雑感」と「プライバシーの侵害」に焦点を当て、これらが従業員の「同僚を助ける行動」にどのような影響を与えるかを調査しました。
テヘランの4つのIT企業に勤める299名の従業員を対象に調査を行いました。調査項目には、混雑感、プライバシーの侵害、人間関係の対立、共感、そして同僚を助ける行動に関する項目が含まれていました。
研究の結果、プライバシーの侵害が同僚を助ける行動を減らすことが確認されました。プライバシーの侵害とは、個人的な空間や時間が他の人に侵されることを指します。例えば、同僚が許可なく机のものを取ったり、電話の会話を遮ったりすることが挙げられます。このような侵害は、従業員のイライラや不満を引き起こしやすく、感情的な対立を生む要因となります。
一方で、混雑感は直接的な影響を及ぼしませんでした。混雑感は物理的な空間が狭く、人が多すぎると感じる状態を指しますが、それ自体が他の人との対立を引き起こすわけではないためでしょう。
さらに、人間関係の対立が同僚を助ける行動を直接減らすことが検証されました。人間関係の対立とは、同僚との間に感情的な緊張や摩擦が生じる状況を指します。プライバシーの侵害などの行為が感情的な負担を引き起こし、同僚との関係が悪化します。感情的な対立が深刻になると、従業員は同僚を助けたり協力したりすることに対して消極的になります。
組織に合っているという感覚や共感が仲介役として働いていることも明らかになりました。プライバシーの侵害や人間関係の対立が続くと、従業員は自分が組織や同僚と「合わない」と感じるようになり、組織に合っているという感覚が低下します。また、人間関係の対立が生じると、従業員は同僚に対する共感が減少し、助け合いや協力する行動が減少します。
悲しみの感情が辞めたい気持ちを強める
職場における日々の感情の変化が、従業員の仕事に対する態度や行動にどのような影響を与えるのか。この疑問に答えるため、ある研究は若いパートタイム従業員を対象に調査を行いました[5]。
具体的には、平均20時間のパートタイム労働を行っている36人の大学生を対象に、2週間にわたる調査を実施しました。参加者は職場で強く感情を動かされた出来事をすぐに日記形式で記録し、さらに開始時点と終了時点でアンケート調査に答えました。
調査の結果、いくつかの発見がありました。まず、ポジティブな感情を抱きやすい人は、仕事中に「喜び」や「満足」などのポジティブ感情を頻繁に経験する傾向が確認されました。しかし、この関連性は弱いものでした。
一方、ネガティブな感情を抱きやすい人は、特に「不安」や「悲しみ」といったネガティブ感情を仕事中に強く経験していることが確認されました。
さらに、ポジティブ感情は仕事の満足度とあまり関連がなかった一方、ネガティブ感情は離職意思と強く関連していました。とりわけ「悲しみ」の感情が辞めたい気持ちに強く関連していることが分かりました。
「悲しみ」とは、失望や不満、達成感の欠如を伴う感情です。このような感情が頻繁に生じることで、仕事へのやる気が下がり、最終的には辞めることを考えることが示唆されています。
また、「怒り」と「誇り」の感情を引き起こす出来事についても発見がありました。怒りの感情を引き起こす出来事の多くは、顧客や同僚、上司との人間関係において発生しました。特に顧客による失礼な振る舞いが原因となることが多く、これに対して従業員は本当の感情を隠して対応していました。
一方、誇りの感情を引き起こす出来事は、仕事の成果が認められることで発生し、この場合、従業員は感情を隠すことなく、自分の感情をそのまま表現していました。誇りを感じることで、仕事へのやる気が高まり、他の従業員を助けるなどの積極的な行動につながることも見えてきました。
従業員の感情との向き合い方
以上の研究は、職場のマネジメントに対して、どのような意味を持つでしょうか。改めて、簡単にそれぞれの研究を振り返っておきましょう。
初めに、情報交換のタイミングの良さとその管理の重要性が挙げられます。情報の遅れは従業員のネガティブ感情を引き起こし、それが生産性を下げる行動につながる可能性があります。組織としては、効率的な情報共有の仕組みを作り、遅れが避けられない場合の適切な伝え方を検討する必要があります。
続いて、職場における問題行動への対応です。問題行動は組織全体に悪影響を与えるだけでなく、行動を取った本人にも悪影響を及ぼします。組織としては、ルールを設けるだけでなく、従業員の道徳意識を高め、問題行動が自分にも悪影響を及ぼすことを理解してもらうことが有効かもしれません。
感情を用いる仕事のマネジメントも重要です。従業員の感情マネジメントをサポートし、内面から感情を変える方法を促進するような環境づくりが求められます。これによって、従業員の満足度を高め、サービスの質の向上と離職者の減少を実現できる可能性があります。
オフィスの環境も見直す余地があります。オープンオフィスの良い点を活かしつつ、従業員のプライバシーを守る方法を考える必要があるでしょう。従業員間の対立を減らし、組織に合っているという感覚や共感を高めるような取り組みを行うことで、同僚を助ける行動を促進し、職場の協力的な雰囲気を作り出すことができます。
そして、日々の感情の変化、特にネガティブ感情への対処が求められます。「悲しみ」の感情が辞めたい気持ちと関連していることから、この感情を減らすための取り組みが、従業員のリテンションにつながり得ます。あわせて、従業員が誇りを感じる機会を増やすことで、積極的な行動を促進できるかもしれません。
脚注
[1] Guenter, H., Van Emmerik, I. J. H., and Schreurs, B. H. J. (2014). The negative effects of delays in information exchange: Looking at workplace relationships from an affective events perspective. Human Resource Management Review, 24(3), 283-298.
[2] Sun, L., Chen, C., Chen, X., Qin, X., Wang, H., and Xue, W. (2021). Impacts of employee workplace deviant behavior on themselves: An empirical study based on the affective events theory. Foreign Economics & Management, 43(6), 138-149.
[3] Lam, W., and Chen, Z. (2012). When I put on my service mask: Determinants and outcomes of emotional labor among hotel service providers according to affective event theory. International Journal of Hospitality Management, 31(1), 3-11.
[4] Zoghbi-Manrique-de-Lara, P., and Sharifiatashgah, M. (2020). An affective events model of the influence of the physical work environment on interpersonal citizenship behavior. Journal of Work and Organizational Psychology, 36(1), 27-37.
[5] Grandey, A. A., Tam, A. P., and Brauburger, A. L. (2002). Affective states and traits in the workplace: Diary and survey data from young workers. Motivation and Emotion, 26(1), 31-55.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。