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コラム

高度専門人材の新たな可能性:博士号取得者の社会的役割の再考

コラム

博士号取得者のキャリアについて、皆さんはどのようなイメージを持っていますか。大学の教授や研究所の研究員といった姿を思い浮かべるかもしれません。しかし、現実は少しずつ変化しています。今では、博士号取得者々が新しい会社を立ち上げたり、大企業で新しいアイデアを生み出す部門のリーダーになったり、公的機関で政策を作る役割を担ったりするなど、活躍の場が広がっています。

本コラムでは、博士号取得者のキャリアに関する海外の研究をご紹介します。個人のネットワークの大切さ、企業と一緒に研究することの影響、さらには製造業と非製造業での仕事の違いなど、いくつかの発見をお伝えします。

ただし、ここで一つ注意点があります。本コラムで紹介する研究はすべて海外のものです。日本の仕事の環境や大学の状況は、外国とは違う特徴もあります。そのため、これらの研究結果をそのまま日本に適用することは難しいかもしれません。

しかし、キャリア選択をめぐる心理や行動という意味では、一定の共通性を見出すこともできます。その意味では、日本で博士号取得者材をどう育て、活用するかを考える上で、ヒントになるはずです。

個人のネットワークが活きてくる

博士号取得者のキャリアにおいて、個人のネットワークが重要な役割を果たします。特に、大学から企業への移行において、このネットワークが仕事を見つける上で有効に機能しています。

ノルウェー、スウェーデン、イギリスの博士号取得者を対象にした研究では、個人のネットワークの重要性が強調されています[1]。研究によると、博士号取得者自身が築いたネットワークが、企業での就職に大きな影響を与えることがわかりました。特に、博士課程の間に作られたネットワークが、彼ら彼女らの専門知識と企業のニーズを結びつける助けになっています。

加えて、国によってキャリアの形に違いが見られました。スウェーデンやノルウェーでは、同じ地域内での仕事の移動が多く見られた一方、イギリスでは地域にとらわれない仕事の移動が一般的でした。これは、それぞれの国の仕事の環境や、大学と企業のつながり方の違いによるものと考えられます。

他方で、ネットワークにも限界があります。博士課程の指導教員や大学のネットワークが直接的に企業への移行を手伝うことは少なく、ほとんどの場合、博士号取得者自身のネットワークが重要であることもわかっています。

ネットワークが博士号取得後の実践的価値を高める

博士号の仕事上の価値は、学位を取得することだけでなく、博士課程中の活動やネットワーク構築によっても形作られることが見えてきました。フランスのリヨン大学で博士号を取得し、現在は企業で働く20名の人を対象にした研究では、博士号取得者の仕事上の価値が、彼ら彼女らが博士課程中に行った活動や、構築したネットワークに影響されることが示されました[2]

とりわけ、企業とのネットワーク構築が博士号の産業界における価値を高める要因となっています。博士課程中の研究活動やグループ形成を通じて、博士号が仕事の世界でどのように評価されるかが決まってくるということです。

研究では、博士号取得者の大半(20名中17名)が、仕事を見つけるプロセスをネットワークの論理で説明しました。特に、ネットワーク作りが博士課程中に役立ったケースが多く、これには企業や業界との関係が深い研究室での研究や、CIFRE(フランスの企業と大学が一緒に博士の研究を支援する制度)による企業からの資金提供を受けて研究を行った人が含まれます。

この結果は、博士課程の院生が早い段階から自分のキャリアを意識し、ネットワークを作ることの大切さを示しています。また、大学や研究機関が、博士課程の院生に対して企業とのネットワークを作る機会を提供することの意義も強調されています。

博士課程中の企業との共同研究が影響

博士号取得者のキャリア選択において、博士課程中の研究環境や経験が影響を与えます。具体的には、企業との共同研究や民間資金に基づく研究の経験が、その後のキャリアを左右します。

フランスのグルノーブルで学んだ400名の工学系の博士号取得者を対象にした研究では、博士号取得者が、大学と企業の2つの採用基準の間で悩んでいる様子が明らかになりました[3]。大学での採用基準は論文の数に依存していますが、企業では別の基準が重視されます。

博士号取得者は博士課程を始める段階で、大学と企業のどちらで働きたいかを大まかに決めており、その後の選択は、共同研究の有無や論文の数などによって固まります。例えば、博士課程で企業との共同研究を行った場合、その企業や業界とのネットワークが強まり、その後のキャリアとして企業への就職が有利になります。

博士号取得者の半数以上が大学ではなく企業での就職を選択し、その理由として、企業との共同研究や博士課程中に築いたネットワークが重要であることが指摘されています。企業との共同研究に携わることで、その企業とのネットワークが作られ、企業はその博士号取得者の仕事能力を把握しているため、採用がスムーズになるのです。

博士課程のカリキュラムや研究環境が、院生の将来のキャリアに影響を与えます。院生のキャリアの希望に応じて、企業との共同研究の機会を提供したり、大学での研究に専念できる環境を整えたりするなど、柔軟な対応が求められると言えます。

研究室外のキャリア準備が重要

博士号取得者のキャリア形成において、研究室での活動だけでなく、研究室外でのキャリア準備が重要であることが見えてきました。特に、大学以外の分野でのキャリアを考える、博士号取得者にとって、これらの活動は大切です。

トロント大学の生命科学分野の博士課程の院生、ポスドク研究員、および卒業生を対象にした研究では、大学以外の分野での就職に有効なキャリア準備活動として、インターンシップや資格取得プログラム、面接の練習、起業などの実践的な学習機会が高く評価されています[4]

これらの活動は、学問的な知識に加え、実践的なスキル(問題解決力、コミュニケーション力、チームワークなど)や業界内でのネットワーク構築を促進します。特に大学以外の分野での就職において、これらのスキルは重要とされており、大学における研究成果だけでは補えない部分を強化できるのです。

しかし、研究では同時に、こうした活動に参加している人は少数派であることも明らかになりました。例えば、研究者の50%以下が資格取得プログラムや非公式な面接に参加していたことが報告されています。

また、多くの研究者は、キャリア開発の活動に参加する際に時間や指導教員のサポート不足といった障害に直面しています。これは、研究や学業が時間を要し、キャリア開発に取り組む余裕がないことが主な理由です。大学では伝統的に研究を優先する文化が根強く、キャリア開発が十分に重要視されていないことも一因です。

博士課程の院生やポスドク研究員が、研究活動と並行してキャリア開発の活動に参加することの大切さを示す研究です。大学や研究機関がこれらの活動を支援し、奨励する体制を整えることの必要性も示唆しているでしょう。

民間資金のプロジェクトへの参加が影響

博士号取得者のキャリアにおいて、民間資金のプロジェクトへの参加が影響を与えます。大学以外の分野でのキャリア形成や高い報酬の獲得に関して、これらのプロジェクトへの参加が一定の役割を果たしています。

イタリアにおける博士号取得者のキャリアに関する研究では、民間資金のプロジェクトに参加することが、大学以外の分野への就職に関連していることが検証されました[5]。ポスドク期間中に実施されたこのようなプロジェクトが、大学でのキャリアの終了や高い報酬への移行に影響を与えることが確認されています。

これらのプロジェクトに参加することで、博士号取得者は実践的なスキルを身につけ、企業のニーズや市場の動向に対する理解を深めることができます。また、大学外でのネットワークが広がり、大学以外での就職機会が増えるのです。

企業や国際機関がお金を出すプロジェクトに参加した博士号取得者は、大学がお金を出すプロジェクトに参加した人よりも高い報酬を得ることも明らかになっています。これは、企業の研究開発や商業的なニーズに応じた成果を出す経験を持つ博士号取得者が、企業にとって価値のある人材と見なされるからでしょう。

一方で、大学がお金を出すプロジェクトに参加している場合、こうした高い報酬に結びつくケースは多くありません。大学のプロジェクトは、学術的な研究や教育活動に重点を置いており、企業や市場のニーズに直接関わる機会が限られているからかもしれません。

博士人材のキャリアパスを多様化するためには、大学や研究機関が企業や国際機関との連携を強め、こうしたプロジェクトへの参加機会を増やすことが必要でしょう。博士号取得者の多様なキャリアを支援し、彼ら彼女らの専門知識や能力を社会で活かすためには、大学と産業界の連携がますます重要になってきます。

製造業と非製造業でキャリアパスが異なる

博士号取得者のキャリアパスは、製造業と非製造業で異なる特徴を示します。スペインの産業界における博士号取得者のキャリアパターンを分析した研究では、製造業と非製造業の間で、博士号取得者のキャリアパターンに違いがあることが確認されました[6]

製造業では、特に物理学や工学分野の博士号取得者が求められます。これは、製造業が技術を中心とした産業であり、特に高度な技術革新を必要とする分野では、専門的な科学知識や技術開発の能力が重要だからです。物理学や工学分野の博士号取得者は、自然の法則や工学の原理を製品開発に活かすことができます。

一方、非製造業では、幅広い分野の博士号取得者が活躍しています。非製造業(例えば、サービス業、金融業、コンサルティングなど)では、特定の技術スキルよりも、問題解決能力や分析力、リーダーシップなどの幅広いスキルが求められることが多いと言えます。そのため、社会科学、ビジネス、医療科学など、様々な分野の博士号取得者が活躍しています。

博士課程における研究の種類も、その後のキャリアに影響を与えていました。博士課程で技術開発を重視していた人は、製造業に進む可能性が高くなります。これは、製造業では基礎研究よりも、実際に使える技術の開発や製造方法の改善に重点を置くためです。技術開発の経験が豊富な博士号取得者は、すぐに企業の研究開発部門に適応しやすく、またそのスキルが製造業のニーズに合うため、製造業での就職機会が多くなります。

博士号取得者のキャリアパスは、製造業と非製造業で異なる特徴を持っており、それぞれの分野で求められる能力や経験も異なります。博士号取得者自身、大学、企業がこの点を理解し、適切なキャリア支援や人材採用を行っていくことが、知識経済における人材の有効活用につながるでしょう。

脚注

[1] Germain-Alamartine, E., Ahoba-Sam, R., Moghadam-Saman, S., and Evers, G. (2021). Doctoral graduates’ transition to industry: Networks as a mechanism? Cases from Norway, Sweden and the UK. Studies in Higher Education, 46(12), 2680-2695.

[2] Canolle, F., and Vinot, D. (2021). What is your PhD worth? The value of a PhD for finding employment outside of academia. European Management Review, 18(2), 157-171.

[3] Her, S., Jacob, M. D., Wang, S., Xu, S., and Sealey, D. C. F. (2018). Non-academic employability of life science PhDs: The importance of training beyond the bench. bioRxiv.

[4] Her, S., Jacob, M. D., Wang, S., Xu, S., & Sealey, D. C. F. (2018). Non-academic employability of life science PhDs: The importance of training beyond the bench. bioRxiv.

[5] Marini, G. (2022). The employment destination of PhD-holders in Italy: Non-academic funded projects as drivers of successful segmentation. European Journal of Education, 57(2), 289-305.

[6] Herrera, L., and Nieto, M. (2015). PhD careers in Spanish industry: Job determinants in manufacturing versus non-manufacturing firms. Technological Forecasting and Social Change, 104, 202-211.


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

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