2024年11月11日
エンゲージメントサーベイの結果の用い方:改善行動のジレンマを科学する(セミナーレポート)
ビジネスリサーチラボは、2024年10月にセミナー「エンゲージメントサーベイの結果の用い方:改善行動のジレンマを科学する」を開催しました。
近年、組織パフォーマンス向上のため、従業員エンゲージメントの重要性がますます高まっています。エンゲージメントサーベイの導入を検討している、或いは実施後の改善方法にお悩みのマネージャーの方も多いのではないでしょうか。
本セミナーでは、エンゲージメントサーベイに関する研究知見と、効果的な実施方法をご紹介します。また、エンゲージメントを高める施策が時に予期せぬ結果を招くことがあるという課題にも焦点を当てています。
※本レポートはセミナーの内容を基に編集・再構成したものです。
エンゲージメントサーベイの実践
樋口:
私の発表は三部構成で進めます。まずエンゲージメントについて、次にエンゲージメントサーベイについて、そして実践的なアプローチです。最後にマネージャーと従業員の方々へのメッセージを伝えて結びとします。
エンゲージメントとは
まず「エンゲージメント」についてです。これはみなさんもご存知の内容かと思いますので、簡潔に説明します。
エンゲージメントとは、働きがいに関連する概念で、厚生労働省も早くから注目してきました。厚労省は、「平成30年版の労働経済の分析」[1]中でもエンゲージメントについて、概念を紹介しており、また令和元年版[2]では、100ページ近くの特集を組んで説明をしています。
エンゲージメントの向上の効果を先にお話します。三つありまして、信頼が高まること、能力発揮ができること、健康で活き活きすることです。これらによって、定着や生産性の向上、職場の活性化が期待されます[3]。
エンゲージメントには代表的なものとして、ワーク・エンゲイジメント[4]があります。ワーク・エンゲイジメントは、仕事から活力を得て、熱意を持って仕事に取り組み、仕事に没頭している[5]、わくわくして、働きがいを持つという状態を指します。そしてこれは、個人と仕事の関係に着目する概念です。
もう一つ代表的なものが、従業員エンゲージメントです。組織が目指す方向性を理解して、個人と組織の方向性の重なりを感じて、組織への貢献意欲があり、この会社で一緒に成し遂げたいという思いを指しています[6]。これは、個人と組織の関係に着目する概念です。
ワーク・エンゲイジメントと従業員エンゲージメントを代表的なものとしてお伝えしましたが、これらの二つの関係について、研究者は、ワーク・エンゲイジメントは従業員エンゲージメントに包含されると説明をしています[7]。
これはどういうことかと申しますと、ワーク・エンゲイジメントは個人と仕事の間、そして従業員エンゲージメントは個人と組織の関係を示すということからすると、組織は仕事をする人の集まりだとすると、ワーク・エンゲイジメントは従業員エンゲージメントの一部であると説明できるということです。つまり、広い意味でのエンゲージメントが、従業員エンゲージメントという概念です。仕事の資源-要求度モデル、Job Demands-Resources Model(JD-Rモデル)[8]は、Demeroutiらが初めて提唱したモデルで、その後改良を重ねてきています。個人の資源と仕事の資源、そして仕事の要求度によって調整されながら、ワーク・エンゲイジメントに影響し、パフォーマンスに影響するというモデルです。
構成概念は三つあります。「仕事の要求度」は、従業員の適応能力を超えた場合、ストレス等を引き起こす可能性ある仕事の特性を指します。例えば、仕事のプレッシャー、対人業務における情緒的負担、精神的負担、肉体的負担、役割の過重などがあります。ただし、仕事の要求度は必ずしもネガティブなものだけではなく、挑戦的なストレッサーと妨害的なストレッサーといった観点から区別することも重要です。例えば、仕事の難易度が上がったものの、やりがいのある仕事として捉えられた場合、その挑戦的なストレッサーは、個人の成長を促進するものとなり得ます。
「仕事の資源」とは、組織での仕事の進め方、例えば自律性とか、あるいは課題、仕事のパフォーマンスに対するフィードバックと、対人関係や社会関係、これは上司によるコーチングとか、社会的な支援とか、こういうものを指しています。一般的には、仕事の要求度とコントロールのバランスが取れていない場合、従業員は仕事にストレスを感じるとともに、様々な仕事の資源の活用ができなくなり、ワーク・エンゲイジメントを低下させることが指摘されています。
「個人の資源」とは、個人の成長におけるポジティブな心理状態です。楽観性、これは現在とか未来の成功についてポジティブに考えていうこと、そして自己効力感があります。レジリエンスは、問題とか、逆境に悩まされたときも、成功するために、屈せず、立ち直り能力を得るということです。そして自尊心によっても特徴づけられています。個人の資源は、ワーク・エンゲイジメントに対する重要な予測因子です。その育成はワーク・エンゲイジメントの向上に繋がると指摘されています。
ワーク・エンゲイジメントとジョブ・クラフティングに関する研究があります[9]。ジョブ・クラフティングとは、従業員が自分の仕事の内容や方法、そして人間関係を自主的に調整、再設計をすることによって、自分の能力とか価値観によりあった形に仕事を変えていくプロセスのことです。ジョブ・クラフティングには、ワーク・エンゲイジメントから仕事の支援や個人の支援への正のフィードバック・ループが存在する一方で、疲労から仕事の要求への逆に負のフィードバック・ループも同時に存在するということに留意をする必要があります。
私はエンゲージメントを研究して、サステナブル・エンゲージメント・モデルという独自の概念モデル[10]を提案して、博士論文を書きました。サステナブル、つまり持続可能なエンゲージメント・モデルは、四つの重要なポイントを示しています。
- ジョブ・クラフティングが、内発的動機づけを通じてワーク・エンゲイジメントを高める。
- 内発的動機付けの媒介効果は、人々がリモートワーク環境に適応する際に高まる。
- 従業員エンゲージメントには、ワーク・エンゲイジメントも含まれる。
- 従業員エンゲージメントはESG投資の指標の一つと考えられている。
エンゲージメントの先行要因と結果要因を、従業員、経営者そして投資家の三つの視点から整理した概念モデルです。一過性のものではなく、持続可能性をもって、エンゲージメントを高めていく考え方を整理しました。
エンゲージメントサーベイ
次に、エンゲージメントについて触れたところで、エンゲージメントサーベイについて、世の中にどのようなものがあるかを紹介します。
エンゲージメントサーベイとは、エンゲージメントの状態を測定するための調査です。調査は一般的にリッカート尺度が用いられ、この尺度は段階的な評価尺度を設定して、意識、価値観、行動が、どの程度当てはまるのかをアンケート形式で回答してもらう心理測定手法です。
代表的なサーベイには、オランダのユトレヒト大学が研究した「ユトレヒト・ワーク・エンゲイジメント尺度(UWES)」、米国のギャラップ社が提供する「Q12®サーベイ」、そして東京大学の川上憲人先生らが開発した「職業性ストレスチェック簡易調査票80項目」があります。
次のスライドで、これら三つサーベイについて詳細に説明します。まず、UWESから紹介します。UWESは、「活力」「熱意」「没頭」から成るサーベイです[11]。著作権の関係で、設問項目は口頭で読み上げます。
学術研究目的であれば島津明人先生の研究室のホームページから無料で尺度をダウンロードすることができます[12]。今回は、9項目版で紹介しましたが、他に17項目版と3項目版の短縮版の3種類があります。測定には7件法が用いられ、「0:全くない~6:いつも感じる」で、測定をしています。
次に米国のギャラップ社のQ12®を紹介します[13]。従業員が仕事と職場に関与し、熱意を持っているかどうかを測定する12の設問です。こちらは公開されています。
設問はランダムに並んでいるのではなく、基本的ニーズ、個人のニーズ、チームワークのニーズ、そして成長のニーズという順で並んでいます。5件法で、「1:完全に当てはまらない~5:完全に当てはまる」を用いて測定をしています。
新職業性ストレスチェック簡易調査票80項目のストレスチェックは、厚生労働省が開発した57項目版の調査票に、ワーク・エンゲイジメントやハラスメント、上司のマネジメントなどの職場の雰囲気や特定ストレス要因に対する従業員の反応を示す設問を加えたものです[14]。
80項目版のストレスチェックの目的は、職場のストレス状況を詳しく把握して、確実性のあるストレス対策に繋げることです。57項目版よりも情報が多く取得できるため、細やかな集団分析ができ、ストレス状況を詳細かつ深く把握することができます。ストレスが低減できれば、ワーク・エンゲイジメントが高められ、会社の生産性向上にも繋がります。
サーベイで考慮するべき要素についてもいくつかお話します。まずトップのコミットメントと経営会議による機関決定についてです。これがないとエンゲージメントの推進は極めて難しいと言わざるを得ません。エンゲージメントにいかにトップを巻き込むかは成否を分ける大きなポイントです。トップで意思決定をして、メッセージを出す。繰り返しエンゲージメントについて語って伝えていくのが良いです。
次に、どのサーベイを使うかです。先に紹介した三つの他にも、民間の会社が提供するサービスは多くあります。グローバル展開している企業であれば、グローバルベンダーを使う。あるいはローカルベンダーでも参加企業数にばらつきがあります。他社や同業他社との比較をしたい場合には、参加企業数の多いベンダーを選ぶこともできます。
あるいは、型にはまったサービスよりも、独自項目で調査したい場合には、オーダーメイド型のサービスを提供するベンダーがあります。当社でもオーダーメイド型の組織サーベイを提供しています。
次に匿名性の問題があります。匿名にした方が、フリーコメントは特に書きやすいのでたくさん集まります。Q12®とストレスチェックは匿名が前提です。
実施頻度をどうするか。年に一度、四半期ごと、またはパルスサーベイとして実施するのか、改善アクションの期間サイクルに合わせて決めると良いでしょう。会社には他にも、サーベイがいろいろとあります。ですからサーベイ疲れには注意が必要です。サーベイをやるからには、改善アクションを必ず取るのが良いでしょう。
実践的なアプローチ
エンゲージメントは極めて実践的な要素が強いため、実践に役立つアプローチをこれからいくつかの角度でお話をしていきます。
鳥の目、虫の目、魚の目という言葉をみなさん聞いたことがあると思います。物事を多角的に見る重要性について比喩した言葉です。これをエンゲージメントの実践的な分析でどう活用していくのかということについて次のスライドで説明します。
まず、「鳥の目」とは全体俯瞰を表します。特に経営トップの目線で、会社全体の状況を確認し、サーベイ一つ一つのカテゴリーごとの傾向値を俯瞰することも、鳥の目の役割です。
次に「虫の目」です。部門、支店、あるいはグレード、年齢、性別、評価など様々なメッシュで細かく見ることです。
最後に「魚の目」は、前年からの変化に着目する経年比較です。こうした複合的な視点を持つことが、打ち手の仮説に対する検証に役立ちます。全体のスコアを見て対策を考えると、どうしても特定のセグメントには刺さらないというようなケースが出てくるからです。例えば合併した会社や、あるいは多角化経営を行っているそれぞれの事業、あるいは製造と販売など、きめ細かく様々な属性を見ていくことが大事です。
次に、分析結果を深掘りしていく際には、「聴く、聞く、効く」の流れを意識するとよいです。どれも読みは同じですが、それぞれ意味が少しずつ異なります。
耳偏の「聴く」とは傾聴力のことを言います。スモール・グループ・ディスカッションを活用して、少人数の集団で結果について話し合うことが深掘りの視点となります。ディスカッションでは匿名性を担保することに、注意が必要です。
つまり、スモール・グループ・ディスカッションに管理職は入るべきではないということです。心理的安全性が高い職場であれば、中間管理職が入ってもよいというケースはありますが、一般には管理職層を除いて、匿名性を保つことで忌憚のない意見が出てくるものです。
次に、門構えの「聞く」は質問力です。所属長がスモール・グループ・ディスカッションでチームから出てきた意見のまとめを、聞いて、従業員に質問を投げ返して、ヒアリングします。目的は前進することです。後ろ向きの質問は避けた方が良いでしょう。
最後の「効く」は効果力です。アクションを実行して、変化を実感して初めて効き目があるかどうかがわかってくるものです。このように分析を深堀していくには、聴いて答えて実行する。これによって初めて効き目があるということです。これには大変な時間を要します。しかし、ここをしっかりやらないとうまくいはかないものです。急がば回れという諺もある通り、ここでしっかりと時間をかけていくことが重要です。
エンゲージメントを向上させる活動では、個々のアクションのオーナーシップが重要になります。私は休日にランドナーという旅する自転車に気ままに乗ることがあるのですが、「エンゲージメントの自転車モデル」というものを考えました。
ハンドル・舵きりの役割は、経営者と人事部です。ギア・ブレーキコントロールは所属長です。ペダルを漕ぐのが従業員です。自転車はこれらが一体とならないと目的地に向かって前に進んでいくことができません。
エンゲージメントもこれと同じで、三位一体となって進めることが重要です。
オーナーシップの持ち方について具体的に説明します。まず経営者は会社を良くすることに全社的なオーナーシップを持ちます。特にリーダーシップ、戦略・方向性、あるいは顧客・品質志向、そして企業倫理・コンプライアンスのカテゴリーにオーナーシップを持ちます。約束したアクションを実行して信頼を得ます。
人事部は、報酬・福利厚生、成長の機会、個の尊重といった人事の業務所管分野についてオーナーシップを持ち、所属長のアクションを支援します。
所属長はチームにおける改善、リーダーシップ、協力体制など、現場でオーナーシップを持つ領域も広いです。PDCAを素早く回転させることができれば効果が出てきます。
従業員は組織への帰属意識と自分自身についてのオーナーシップを持ちます。アンバサダーという部署の代表である旗振り役で作って取りまとめることも良いことです。
他人ごとではなく、自分事として捉えて行動していくために、それぞれのアクションについてのオーナーシップを明確に持つこと、これこそがエンゲージメント実践における肝の部分です。打ち上げ花火で終わらせずに継続していくための秘訣です。
これには、大変なエネルギーを要します。そしてこれらがバランスよくオーナーシップを持たないと、自転車は前に向かって進んでいきません。「エンゲージメントって人事がやってるやつだよね」と部長が言っていたら、その組織は危険信号です。エンゲージメント向上の取り組みがうまくいっていない最大の理由だと考えます。
一方で、サーベイ設問は具体的に誰がオーナーシップを持っているのかについて、Q12®をベースに私が分析した結果をお伝えします。経営者・人事が関与する設問が5個、マネージャーが関与する設問が11個、そして従業員が関与する設問は13個もあるのです。ここでは一つの設問に対し複数がオーナーシップを持つ重複もカウントしています。それにしても、実は従業員がエンゲージメント向上にオーナーシップを持つ設問がたくさんあります。それも全項目に従業員が関わっており、従業員だけが関与している設問も2つあります。9番と10番です。
要するに、自分の気持ちの持ちようでエンゲージメントは高められるということです。そこで、私は目標管理にエンゲージメント向上目標を入れることを推進しており、実際に自社で導入もしています。
やると決めたことをちゃんとやる。有言実行こそが、エンゲージメントを高める最大の鍵です。スコアを測定したら、結果から課題を見出して改善策を実施する。そしてまたエンゲージメントを測定するというフィードバック・ループを繰り返します。
最後に二つ、マネージャーと従業員へのメッセージを送ります。まずマネージャーへのメッセージです。現場のことは、マネージャーが一番よくわかっているはずです。マネージャーの役割は組織パフォーマンスの最大化にあります。おそらくプレイングマネージャー化されていて、お忙しいとは思いますが、チームのメンバーによく目を配っていただきたいと思います。
そして従業員へ対するメッセージです。エンゲージメントが低いというのは一体誰の責任なのかと、言いっぱなしではいけないのです。自分も組織の一員として、エンゲージメントの一端を担っているという意識を持つことが大事です。
自分が組織に対してできることは何かないか、オーナーシップを持って、他人ごとではなくて、自分ごととして捉えるということです。
改善行動を阻む要因
藤井:
私からは改善行動を阻む要因について、三つの観点でお話しします。一つ目は組織変革への抵抗、二つ目は組織と従業員のジレンマ、そして三つ目は改善行動の注意点と対策です。
組織変革への抵抗
組織を変革していく際には、しばしば抵抗する力が働きます。この抵抗には認知的・感情的・行動的といった多次元的な性質があり、それぞれが相互に影響し合うと考えられています[15]。このような変革への抵抗を、単一の概念ではなく、様々な形態や要因からなる現象として理解することが、抵抗に対処していく上で重要になります。
研究によると、抵抗の対象は多様であることが示唆されています。変革する内容そのものや、変革を行っていくプロセス、そして変革後にどのような結果が得られるのか、これらそれぞれに対して抵抗が起こり得ます。また、それぞれの抵抗の強さは、時間やタイミングによっても変化していきます。
この知見は、変革を進めるマネージャーや担当者に対し、抵抗の内容や対象が様々であることを理解した上で細やかなアプローチを行うことが重要であることを示唆しています。
組織の慣行
続いて、組織の慣行という観点に注目してみたいと思います。デジタル化という環境変化が起きたときのアメリカの新聞産業を対象にした研究では、組織の変革を妨げる要因について調査が行われました[16]。
この研究では、戦略的変化に必要な投資をどのように配分していくかというリソースの配分と、既存の方法や手順といったルーティンという慣行が、組織の変革にどのように影響を及ぼしているかが調べられました。
研究から分かったことは、リソースの配分に関する意思決定はある程度柔軟に行われていた一方で、ルーティンの変更には困難が伴っていたということです。つまり、新しい方針の意思決定はできていても、長年培われてきた組織のルーティンが改善行動を進める妨げになっていたのです。
さらに、リソースの再配分の意思決定からルーティンが変わるまでには時間差が生じていることも明らかになりました。これにより、変革のプロセスには段階があることが示唆されます。
- 初期段階:意思決定が行われてリソースの再配分が決まります。例えば、「この部門に対して投資を行っていこう」といった決定が行われる段階です。
- 中期段階:リソースの再配分決定後に行動や方法を変えていく中で、既存のルーティンからの抵抗が見られる段階です。従来の組織で行ってきた慣行が固持されてしまうと、新しい改善行動への移行が難しくなります。ただし、これは永続的なものではなく、少しずつ変化していきます。
- 後期段階:ルーティンの変更が徐々に進行し、最終的には組織全体で新しい行動が採用されていくという段階です。
方針の意思決定がスムーズに行われても、それまでのルーティンへの固執が改善行動の妨げとなる可能性があります。このような変革への抵抗を引き起こす要因を考慮し、また変革のプロセスには複数の段階があることを踏まえ、長期的な視点を持って細やかにアプローチしていくことが大事です。
個人の価値観
続いて、個人の価値観という観点についてお話しします。
組織の変革に対する個人の抵抗や促進の傾向に焦点を当てた国際比較研究では、変革や変化に対して抵抗したり、逆にそれを推進しようとしたりする傾向が、個人の価値観と関連していることが示されています[17]。特に、保守性と開放性という価値観が、様々な文化圏で共通して影響を与えていることが明らかになっています。
- 保守的な価値観:例えば、伝統を重視したり調和を大切にしたりする考えを持つ人は、変化に対して慎重で抵抗を示しやすい傾向があります。つまり、改善行動を行う際にも、このような価値観を持つ方は慎重な姿勢を取りやすいということが考えられます。
- 開放的な価値観:例えば、新しい経験を重視したりアイデアを積極的に出したりする人は、変化を歓迎し、変化を促進する方向に動機づけられやすいことが示されています。このような人は、改善行動に対しても積極的に関与する傾向があると考えられます。
この観点は、改善行動を推進しているにもかかわらず、なかなか進展が見られない状況を分析する際の一つの視点として活用できます。主導者がどのような価値観を持っているのか、また、先ほどの組織の慣行という観点も含めて、組織内にどのような価値観が醸成されているのかを考察することが、改善行動のアプローチを考える役に立つでしょう。
例えば、従業員が保守的な価値観を持っている場合、そもそも改善行動に対して前向きではない可能性があります。また、職場の価値観として、組織の慣行や伝統を重んじる風潮がある場合には、改善による変化に対して抵抗が生じることが予想されます。こうした点に注意し、従業員の価値観や職場の風土を考慮したアプローチを検討することが大事です。
変革への抵抗を抑制する要因
ここまで変革への抵抗についてお話ししてきましたが、次にその抵抗を抑制する要因についてお話しします。変革プロセスにおける従業員の抵抗を抑制する要因に焦点を当てた研究によると、以下の二つの条件が重要であることが分かっています[18]:
- 変革について質の高い情報が得られていること
- 変革に参加する機会が多いこと
さらに、この研究では、組織から提供される情報や手続きの公正さに対する感覚が、組織の変革への抵抗を抑制することにも寄与していることが明らかになりました。
組織の公正さについて従業員がどのような認識を持っているか、つまり組織が公正であるという認識を高めることが、改善行動に対する抵抗を抑制することにつながるということです。
改善行動が進まない状況に直面した際には、これらの観点を思い出して、アプローチを検討する手掛かりとしていただければ幸いです。
組織と従業員のジレンマ
続いて、組織と従業員のジレンマについてお話しします。
改善行動について考える際に、その取り組みが全ての従業員に恩恵をもたらすのかという観点から見ていきます。
例えば、柔軟な働き方を推進するためにリモートワークを導入することを考えてみます。この場合に、業務の性質上リモートワークができず、出社が必須という従業員もいるでしょう。そういった方々にとっては、「リモートワークを選択できる人だけが恩恵を受けられてずるい」と感じるかもしれません。
このように、改善行動から恩恵を得られない、あるいは恩恵が少ないと感じる従業員にとって、改善行動への協力は単なる負担増になりかねません。自分の労力に見合う見返りがないと、そのように感じてしまうのは仕方がないように思われます。
この観点について、組織と従業員の協力に注目して話を進めます。組織の利益と個々の従業員の利益が一致しない場合について、特に「社会的ジレンマ」を手掛かりに考えていきます。
社会的ジレンマの状況
社会的ジレンマについて、ここでは組織の利益と個々の従業員の利益が不一致な状況として考えていきます。
利益を高めるという目的において、個人にとっての理想は、できるだけ少ない労力で高い見返りを得ることです。改善行動に当てはめると、自分はなるべく労力を使わずに、改善による成果の恩恵だけを他の人と同じように受けられれば、最も効率が良いということになります。
しかし、これは一般的に「ずるい」と見なされる行動で、「タダ乗り」や「フリーライド」と呼ばれることもあります。そして、仮に全員がこのような行動を取れば、改善行動は成功せず、組織としての成果も得られません。結果として、全員が協力した場合よりも損をすることになります。
特に、周囲の人々が非協力的であるとの認識がある場合、自分だけが努力しても見返りがなく、搾取されてしまうという見込みが高まります。このような状況では、協力しないことが個人にとって合理的な判断となってしまいます。
例えば、「自分だけ業務が増えているのに見返りがなく、何もしない人が恩恵を受けるのは納得できない」という心理が働き、協力を控える・人任せにするといった振舞いにつながります。
非協力を防ぐ「公正さ」
非協力的な風土や、相互不信の関係性が組織内にあると、改善行動は上手く進みません。このことを支持する知見として、道徳的な「逃げ道」(言い訳が可能な状況)の影響を検討した研究があります[19]。
この研究では、非協力的な選択を正当化できる状況があると、それまで協力的だった参加者の一部が自己利益を優先する判断をするようになったことが示されています。この知見からは、「周りの人が非協力的だから、自分が協力しないのはやむを得ない」という理由付けにより、非協力的な行動をとる人が増えてしまうことを示唆します。
これは先ほど述べた「公正さ」というキーワードに関連します。組織や周囲の人々が公正であると日頃から感じられていれば、皆が非協力的にならないだろうという期待につながります。従業員の協力性を高め、非協力性を低減するために、組織が公正な態度を示すことが重要ということです。
具体的には、協力が報われる制度や施策を整備することで、組織が公正さを重視していることを示すことができます。また、手抜きや人任せにするような行動を抑制する規則を設けることも、組織の公正さを示す重要な取り組みとなります。
改善行動の注意点と対策
最後に、ここまでお話した内容を踏まえて、改善行動を行う際の注意点と対策について説明します。
従業員のエンゲージメントを高めるために様々な改善施策を行っても、期待した成果が得られないことがあります。そのような場合に考慮すべき点について、特に社会的ジレンマの観点から具体例を挙げながら、公平性や公正さに焦点を当てて解説します。
チームビルディングの注意点と対策
チーム活動を促進する施策を実施する際の課題として、「フリーライダー」の存在が挙げられます。これは、自分の仕事を他のメンバーに任せきりにして、負担を避けようとするような人を示します。このような人が出てくると、その怠慢な態度が他のメンバーにも伝染し、チーム全体のエンゲージメントが低下する可能性があります。
対策としては、個人とチームの成果を分けて評価する制度の導入や、個人の責任・役割の明確化が考えられます。
フィードバック文化の注意点と対策
フィードバック文化を促進する施策を進めるなかでは、以下の二つの問題が発生する可能性があります:
- 他者の評価が上がると相対的に自分の評価が下がるのではないかという懸念から、改善のためのフィードバックを控える
- 自分のフィードバックが否定的に評価されることを恐れて意見を出さない
これらの課題に対しては、インセンティブを付与することでフィードバックを促進することや、匿名でのフィードバックを可能にすることでフィードバックを行う心理的な障壁を取り除くといった対策が考えられます。
柔軟な働き方制度の注意点と対策
リモートワークのような制度において、恩恵を受けられる従業員と受けられない従業員の間で不均衡が生じ、組織への不信感や反発を招く可能性があります。例えば、物理的に職場にいる必要がある従業員や、制度の対象外となる従業員に疎外感が生じることがあります。
対策としては、柔軟に制度設計することに加え、適用できない従業員への代替的な報酬の提供により、公平性を確保することが重要です。
目標設定・評価制度の注意点と対策
目標を設定することで、そこに到達するために過度な競争意識や非協力的な関係性が生まれる可能性があります。自分の評価を高めることに集中するあまり、過度な対抗心や敵対心が生まれたり、他者との協力を避けたりする行動が見られることがあります。
対策としては、1つの目標に対する達成度合だけで評価するのではなく、周囲との協調性やチームへの貢献度など、多面的な評価基準を導入することが重要です。
キャリア・スキル教育の注意点と対策
研修などのリソースが限られている場合、一部の従業員のみが対象となることで、選ばれなかった従業員に不満が生じたり、自尊心の低下につながる可能性があります。
対策としては、教育機会を均等に提供することや、選考基準の明確化や事前提示による理解を促進すること、それにより不公平感を軽減することが重要です。
最後に、上記の例にも含まれていますが、社会的ジレンマの観点から示唆される改善行動の実施における重要なポイントとして、以下の3点を挙げたいと思います:
- 従業員間の公平感の維持
- 組織の評価・選考基準の明確化
- フリーライダーなど、他者への依存や過度な競争の防止
改善行動を計画・見直しする際に、ここまでのお話とこれらの観点を思い出してみてください。より効果的な施策の一助になれば幸いです。
Q&A
Q:自社ではエンゲージメントサーベイが全然盛り上がらない状況です。何から始めていいかアドバイスをいただけますか。
樋口:
既に何回かサーベイを実施しても、効果が見られない場合、サーベイの結果に対して会社が何か具体的なアクションを行っているかどうかが重要なポイントです。社長からのメッセージや、具体的な改善策を打ち出すことで、社員が「会社が動いている」と感じ、次回のサーベイでの反応が改善する可能性もあります。アクションには多少のコストがかかることもありますが、少しでも改善がみられれば、プラスのサイクルが生まれてくるでしょう。
Q:エンゲージメントの三つの要素で、特に重要な要素はどれでしょうか。
樋口:
簡潔に振り返ると、「活力」は元気がみなぎる状態、「熱意」は熱心に取り組む姿勢、「没頭」はつい夢中になることです。新職業ストレスチェック簡易調査票では「活力」と「熱意」の2項目のみを測定し、「没頭」は測定対象から外されています。
その理由として、「没頭」はワーカホリズムを連想させ、うつ病の発症リスクを高める可能性が指摘されているからです。
令和元年版労働経済の分析では、順番としてはスコアが高いのが、熱意、次に没頭、一番低いのが活力でした。このことから、「熱心」から取り組むことが重要だと私は考えています。取り組み姿勢を見直し、やりがいを感じることで活力も次第に向上していくのではないでしょうか。
Q:組織内で「変化したくない」という価値観を持つ人がいる場合、どう対処すればよいでしょうか。
藤井:
まずは個人の価値観に加え、組織として醸成されている価値観や組織風土についての現状を確認することが大事です。そして、それらの価値観や組織風土が、実施予定の施策と合致する部分、相違する部分を明確にします。それらの情報をもとに施策を検討することで、変化に対する反発が起こりにくく、より効果的なアプローチ方法を見出していくことに繋がっていきます。
Q:エンゲージメントサーベイの対策に対して、役員や部長が消極的で進まない場合はどうすればよいですか
樋口:
エンゲージメントサーベイを行い、対策が明確になっているのに実行に移されない場合、組織の構造に問題があるかもしれません。エンゲージメントスコアは、近年では上場企業を中心に人的資本として対外的に開示するケースが増えています。スコアが公開され、下がると投資家からの評価に影響が出るため、外部からの圧力を利用して経営陣の意識を変えていくことも一つの手です。上場していない企業でも、経営の考えに沿ったアクションが求められるため、経営会議で人事が提案し、議論することが大切です。
脚注
[1] 厚生労働省(2018) 平成30年版 労働経済の分析 -働き方の多様化に応じた人材育成の在り方について-
[2] 厚生労働省(2019) 令和元年版 労働経済の分析 -人手不足の下での「働き方」をめぐる課題について-
[3] 厚生労働省 働き方・休み方改善ポータルサイト
[4] ワーク・エンゲイジメントの表記は、日本語版ユトレヒト・ワーク・エンゲイジメント尺度を開発された島津明人先生に倣うこととした。
[5] Schaufeli, W. B., Salanova, M., González-Romá, V., & Bakker, A. B. (2002). The measurement of engagement and burnout: A two sample confirmatory factor analytic approach. Journal of Happiness studies, 3, 71-92.
[6] Harter, J. K., Schmidt, F. L., & Killham, E. A. (2003). Employee engagement, satisfaction, and business-unit-level outcomes: A meta-analysis. Princeton, NJ: Gallup Organization.
[7] Schaufeli, W. B. (2013). What is engagement?. In Employee engagement in theory and practice (pp. 15-35). Routledge.
[8] Bakker, A. B., & Demerouti, E. (2008). Towards a model of work engagement. Career development international, 13(3), 209-223.
[9] Bakker, A. B., & Demerouti, E. (2014). Job demands–resources theory. Wellbeing: A Complete Reference Guide, 1–28. https://qqamano.com/oh/JDRTheory/JobDemandsResourcesTheory2014original.pdf
[10] Higuchi, T. (2024). Psychological Research on Engagement: From the Viewpoints of Employees, Executives, and Investors (K. Takahashi, Ed.) [Ph.D (Human Science), Ritsumeikan University].
[11][11] Schaufeli, W. B., Bakker, A. B., & Salanova, M. (2006). Utrecht Work Engagement Scale-9 (UWES-9)
[12] ユトレヒト・ワーク・エンゲイジメント尺度日本語版 島津明人研究室
[14] 川上憲人(2012) 平成21-23年度厚生労働省厚生労働科学研究費補助金労働安全衛生総合研究事業「労働者のメンタルヘルス不調の第一次予防の浸透手法に関する調査研究」
[15] Smollan, R. K. (2011). The multi-dimensional nature of resistance to change. Journal of Management & Organization, 17(6), 828-849.
[16] Gilbert, C. G. (2005). Unbundling the structure of inertia: Resource versus routine rigidity. Academy of Management Journal, 48(5), 741-763.
[17] Oreg, S., Bayazit, M., Vakola, M., Arciniega, L., Armenakis, A., Barkauskiene, R., … & Van Dam, K. (2008). Dispositional resistance to change: Measurement equivalence and the link to personal values across 17 nations. Journal of Applied Psychology, 93(4), 935.
[18] Georgalis, J., Samaratunge, R., Kimberley, N., & Lu, Y. (2015). Change process characteristics and resistance to organisational change: The role of employee perceptions of justice. Australian Journal of Management, 40(1), 89-113.
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登壇者
藤井 貴之 株式会社ビジネスリサーチラボ チーフフェロー
関西福祉科学大学社会福祉学部卒業、大阪教育大学大学院教育学研究科修士課程修了、玉川大学大学院脳情報研究科博士後期課程修了。修士(教育学)、博士(学術)。社会性の発達・個人差に関心をもち、向社会的行動の心理・生理学的基盤に関して、発達心理学、社会心理学、生理・神経科学などを含む学際的な研究を実施。組織・人事の課題に対して学際的な視点によるアプローチを探求している。
樋口 知比呂 株式会社ビジネスリサーチラボ コンサルティングフェロー
博士(人間科学)×人事専門家×キャリコン。アカデミック経歴は、立命館大学大学院博士課程修了 Ph.D(人間科学)、カリフォルニア州立大学MBA、早稲田大学政治経済学部卒。UCLA HR Certificate取得。研究テーマは、ワーク・エンゲイジメント、従業員エンゲージメント、モチベーション。従業員エンゲージメントに関する研究論文で人材育成学会奨励賞受賞。職業経歴は、通信会社で人事担当者、コンサルティングファームで人事コンサルタント/シニアマネージャー、銀行で人事部長を含む役席者を経て、2021年よりFWD生命にて執行役員兼CHROを務める。人事専門家として20年超の実務経験を有する。国家資格キャリアコンサルタント。