2024年11月6日
セルフコントロールの隠れた代償:心の筋肉も疲れる
仕事中に気を散らすものを無視したり、難しいタスクに取り組んだり、感情的にならないよう自制したりすることは、当たり前のように感じられるかもしれません。しかし、実際には、これらのセルフコントロールは心理的リソースを消費する行為です。
セルフコントロールには限られた資源が必要であることがわかってきました。何度もセルフコントロールを使うと、その能力が一時的に低下してしまうのです。
セルフコントロールの枯渇は、心理的な問題にとどまらず、日常生活や仕事のパフォーマンスにも影響を与えます。例えば、仕事中に強いセルフコントロールを求められると、帰宅時の運転が乱暴になったり、翌日の仕事への意欲が低下したりすることがあります。
本コラムでは、セルフコントロールの要求が私たちの心理状態や行動にどのような作用を及ぼすのかを解説します。
仕事中のセルフコントロールが仕事後に影響
仕事中、様々な場面でセルフコントロールを求められます。気を散らすものを無視して集中を保ったり、感情的にならないよう自制したりすることがあります。セルフコントロールが仕事後の生活にどのような影響を与えるのか、研究結果が報告されています[1]。
仕事におけるセルフコントロールの要求と仕事後の生活との関連を調査しました。研究では、様々な職業の労働者を対象に、毎日の仕事内容や心理状態、そして仕事後の行動についてデータを収集しました。
研究の結果、仕事中に強いセルフコントロールを求められた日ほど、その日の終わりにはセルフコントロール能力が低下していることが分かりました。仕事中にセルフコントロールを多く使うと、仕事後には自制心が弱まるのです。
セルフコントロール能力の低下は、仕事とプライベートの境界線をあいまいにすることも明らかになりました。例えば、仕事の問題を家に持ち帰ったり、家族との時間に仕事のことを考えてしまったりします。
特に、朝のセルフコントロールの要求がその日の終わりの状態に影響を与えるという発見は注目に値します。朝に集中力を要するタスクや感情管理が必要な場面が多いと、夕方になってセルフコントロール能力の低下が顕著に見られました。
強いセルフコントロールを要する一日を過ごした後は、意識的にリラックスする時間を設けるなど、セルフコントロール能力の回復を図ることが大切です。例えば、趣味の時間を持ったり、家族とゆっくり過ごしたりすることで、消耗したセルフコントロールのリソースを補充できる可能性があります。
セルフコントロールは重要な心理的リソースです。セルフコントロールの仕組みを理解し、うまく管理することで、仕事とプライベートのバランスを取り、より充実した日々を過ごすことができるでしょう。
セルフコントロールの要求が通勤時の速度違反に
仕事中のセルフコントロールの要求は、仕事後の生活にも関係します。仕事中のセルフコントロールが帰宅時の運転行動にまで影響を及ぼすという研究結果が出されています。
ある研究チームは、仕事中のセルフコントロールの要求が通勤時の運転行動、特に速度超過にどのように影響するかを調査しました[2]。研究では、参加者の仕事中のセルフコントロールの要求を測定し、同時に帰宅時の運転データを収集しました。
研究の結果、仕事中に「気を散らす要求」が高い日、つまり注意を集中させるのが難しい状況が多かった日ほど、帰宅時の運転で速度違反が増加していました。
「気を散らす要求」とは、例えば、頻繁に中断される、複数のタスクを同時に処理する必要がある、雑音や他の人の動きによって注意がそがれるといった状況を指します。こうした状況下で仕事を行うと、注意を集中させるために多くのセルフコントロールのリソースを消費します。
その結果、仕事後の帰宅時にはセルフコントロール能力が低下し、速度制限を守るといった運転ルールを遵守する能力も低下してしまったのでしょう。仕事中に注意力を維持するために多くのエネルギーを使った結果、帰宅時の運転では注意力が散漫になり、スピード違反などのリスク行動が増加してしまいます。
一方で、「衝動の制御要求」、つまり感情や欲求を抑える必要がある状況は、運転行動に直接的な影響を与えないことも分かりました。感情のコントロールと運転行動のコントロールが、異なるメカニズムで機能している可能性を示唆しています。
この研究は、仕事中のセルフコントロールの要求が、思わぬところで私たちの安全を脅かす可能性があることを意味しています。注意力を要する仕事を多く行った日は、帰宅時の運転に特に注意を払う必要があるかもしれません。
組織としても従業員の安全を考慮し、過度に注意力を要する業務が重ならないよう配慮することが重要です。例えば、集中力を要する業務と比較的簡単な業務をバランスよく配置したり、適切な休憩時間を設けたりすることで、従業員のセルフコントロールのリソースの消耗を軽減できるかもしれません。
仕事中のセルフコントロールの要求は、私たちの生活のさまざまな面に影響を与えます。セルフコントロールのリソースをうまく管理し、仕事と生活のバランスを取ることが、私たちの安全と健康にとって重要です。
セルフコントロールの要求が仕事のストレスに
仕事におけるセルフコントロールの要求は、仕事後の行動だけでなく、仕事中のストレスにも作用します。ある研究チームは、セルフコントロール要求が仕事のストレッサーとして機能し、従業員の心理的ストレイン(ストレスによる負担)に影響を与えることを明らかにしました[3]。
研究では、セルフコントロール要求を主に3つの形態に分類しています。
- 衝動制御:自発的な反応や感情を抑える要求
- 気晴らしの回避:作業に無関係な刺激を無視または抑える要求
- 内面的抵抗の克服:不快なタスクを完了するための動機の欠如を克服する要求
これらのセルフコントロール要求は、それぞれが独立して心理的ストレインの予測因子となることが分かりました。これらの要求が高まるほど、従業員はより多くのストレスを感じるのです。
また、これらのセルフコントロール要求は互いに作用し合い、その影響を強化します。例えば、感情を抑えつつ(衝動制御)、同時に気を散らすものを無視し(気晴らしの回避)、さらに嫌なタスクに取り組まなければならない(内面的抵抗の克服)という状況では、それぞれの要求が単独で存在する場合よりも、高いストレインが発生します。
セルフコントロールを行うには認知的および行動的な制御が必要ですが、これらのリソースは有限であり、使い果たすと疲労や消耗感につながります。複数のセルフコントロール要求が同時に存在すると、これらのリソースがより早く枯渇し、結果としてより高いストレインを引き起こすのでしょう。
しかし、研究では同時に、セルフコントロール要求の影響を軽減する要因についても探っています。
例えば、仕事のコントロール(自分の仕事の進め方やペースをコントロールできる度合い)が高い場合、セルフコントロール要求の影響は軽減されることが分かりました。組織に対する情緒的コミットメント(愛着や帰属意識)が強い従業員は、セルフコントロール要求によるストレスをより効果的に管理できます。
個人のセルフコントロール能力も重要な要因であることも明らかになりました。セルフコントロール能力が高い人は、セルフコントロール要求に対して効率的に対処でき、結果としてストレインを感じにくいのです。
組織は従業員に適度な仕事のコントロールを与えることで、セルフコントロール要求によるストレスを軽減できるでしょう。組織への帰属意識や愛着を高めるような取り組みも、従業員のストレス耐性を向上させる一助となり得ます。
一方で、この研究はセルフコントロール要求が常にネガティブな影響を与えるわけではないことも示しています。適度なセルフコントロール要求は、むしろ従業員のスキル向上や自己効力感の増加につながる可能性があります。
多くの仕事が高度な認知的スキルや感情管理を要求する中、セルフコントロールの重要性はますます高まっています。これらの研究結果を踏まえて、従業員のセルフコントロール要求を管理する方策を検討する必要があります。例えば、次のような取り組みが考えられます。
- タスクを適切に設計し、過度にセルフコントロールを要求する業務が連続しないようにする
- 従業員に適度な自律性を与え、仕事のペースや方法をある程度コントロールできるようにする
- 定期的な休憩時間を設け、セルフコントロールのリソースを回復する機会を提供する
- 組織への帰属意識や愛着を高めるような取り組みを行い、従業員のストレス耐性を向上させる
個人のレベルでも、セルフコントロール要求に対する意識を高めることができます。規則正しい生活リズムを保つ、適度な運動を行う、十分な睡眠を取るなどの基本的な生活習慣に加えて、マインドフルネスの実践、目標設定とその達成など、セルフコントロール能力を鍛える活動を取り入れることが有効かもしれません。
セルフコントロール要求の変動が翌日に響く
仕事におけるセルフコントロールの要求は、従業員のストレスやパフォーマンスに影響を与えます。しかし、最近の研究では、セルフコントロール要求の「平均的な高さ」だけでなく、その「日々の変動」も重要であることが明らかになってきました。
ある研究チームは、10日間にわたって86人の従業員を追跡調査し、セルフコントロール要求の日々の変動が、エゴ枯渇(セルフコントロール能力の一時的な低下)を通じて、翌日の仕事のエンゲージメント(仕事への熱意や没頭度)にどのような影響を与えるかを調査しました[4]。
研究では、セルフコントロール要求を2つの側面から測定しています。
- 衝動制御要求:感情や衝動的な反応を抑える必要がある状況
- 内的抵抗の克服:不快なタスクに取り組むために必要な努力
研究の結果、「内的抵抗の克服」に関するセルフコントロール要求の変動が、エゴ枯渇と翌日の仕事のエンゲージメントに影響を与えることが分かりました。
内的抵抗の克服に関するセルフコントロール要求の変動が大きい日には、その日の夕方にエゴ枯渇が増加し、さらにそれが翌日の仕事のエンゲージメントの低下につながります。ある日に不快なタスクへの取り組みがあったりなかったりすると、その影響が翌日まで持ち越されるのです。
セルフコントロール要求の激しい変動は、私たちのセルフコントロール能力を消耗させ、その影響が翌日まで及ぶほど大きいのです。
この影響は個人の特性によって異なります。「感情的疲労」が高い人、すなわち慢性的なストレスや燃え尽き症候群の傾向がある人ほど、セルフコントロール要求の変動の影響を強く受けました。
組織としては、従業員のセルフコントロール要求を安定させることの重要性を認識する必要があります。極端に困難なタスクと簡単なタスクが日によって大きく変動するような仕事の割り当ては避けるべきでしょう。
特に感情的疲労が高い従業員に対しては、慎重な配慮が求められます。セルフコントロール要求の変動に対してより脆弱であり、その影響がより長く続くからです。
個人としても、困難なタスクに取り組んだ日の翌日は、自分の状態に注意を払い、必要に応じて追加的な休息や気分転換を取り入れると良いでしょう。
この研究は、セルフコントロール要求の「変動」という新しい視点を提供することで、職場のストレス管理や生産性向上に関する我々の理解を深めています。セルフコントロール要求の平均的な高さだけでなく、日々の変動にも注意を払うことで、より効果的なストレス管理と生産性向上が可能になるかもしれません。
以上、セルフコントロールの研究結果を紹介してきました。テレワークやフレックスタイム制など、柔軟な働き方が増える中で、セルフコントロール要求の管理はますます重要になってくるでしょう。
例えば、在宅勤務では、仕事とプライベートの境界が曖昧になりやすく、「気晴らしの回避」というセルフコントロール要求が高まり得ます。対面でのコミュニケーションが減ることで、「衝動制御」の要求も変化するかもしれません。
また、AI技術の発達により、単純作業や定型業務が自動化される一方で、人間の仕事は複雑で創造的なものになっていきます。こうした変化は、「内的抵抗の克服」に関するセルフコントロール要求を増大させる可能性があります。
脚注
[1] Clinton, M. E., Conway, N., Sturges, J., and Hewett, R. (2020). Self-control during daily work activities and work-to-nonwork conflict. Journal of Vocational Behavior, 118, 103410.
[2] Clinton, M. E., Hewett, R., Conway, N., and Poulter, D. (2022). Lost control driving home: A dual-pathway model of self-control work demands and commuter driving. Journal of Management, 48(4), 821-850.
[3] Schmidt, K.-H., and Diestel, S. (2015). Self-control demands: From basic research to job-related applications. Journal of Personnel Psychology, 14(1), 49-60.
[4] Gerpott, F. H., Rivkin, W., and Diestel, S. (2023). Keep it steady? Not only average self-control demands matter for employees’ work engagement, but also variability. Work & Stress, 37(4), 509-530.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。