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コラム

職場の感情学:日々の出来事が仕事に与える影響

コラム

私たちは毎日、職場でいろいろなことを経験し、それに伴ういろいろな感情を味わっています。上司に叱られて落ち込んだり、仲間と協力して成果を上げて喜んだりします。しかし、これらの感情が仕事にどんな影響を与えているか、考えたことはありますか。

職場における感情の経験は、私たちの仕事ぶりや職場全体の雰囲気に影響しています。例えば、上司とのちょっとしたやりとりが長い目で見た仕事への姿勢を左右したり、毎日の小さな出来事の積み重ねが仕事の満足度を決めたりすることがあります。

本コラムでは、「感情イベント理論」という考え方に注目し、職場における感情の役割とその影響について見ていきます。この理論は、職場の出来事が従業員の感情を引き起こし、その感情が態度や行動に影響を与えるという流れを説明するものです。

上司と部下の関係、仲間同士の助け合い、日常的な出来事、そして仕事と家庭生活のバランスが、どのように従業員の感情や仕事の成果に影響するかを見ていきます。

感情が職場でどんな役割を果たし、それがどのように仕事や人間関係に影響を与えるかを理解することで、私たち一人ひとりが自分の感情をうまく扱い、また組織として効果的なマネジメントのあり方を見つけることができるはずです。

上司部下間では悪い出来事が強く記憶される

上司と部下の関係は、従業員の感情や仕事への態度に影響します。興味深いのは、悪い出来事が良い出来事よりも強く記憶されることです。

ある研究において、従業員が上司とのやりとりで、どんな感情になるかを調べました[1]。その結果、上司からの否定的な評価や分かりにくい指示など、悪い出来事がよく覚えられていることが分かりました。

例えば、「なぜその指示が出されたか分からず、イライラしてしまった」といった出来事です。このような悪い経験は、従業員の感情や態度に長く影響を与える可能性があります。

人間は進化の過程で、危険や不快な状況を強く記憶するようになったという「ネガティビティ・バイアス」があります。この傾向によって、従業員は悪い経験を何度も思い出し、感情の負担が増えることがあります。

一方で、良い出来事は比較的短い間しか影響を与えず、記憶に残りにくいのかもしれません。上司が部下に良い評価をする場合でも、その効果が限られている可能性を示しています。

この結果から、上司は従業員の感情に対して注意深く対応する必要があることが分かります。悪い出来事を減らし、良い感情を生み出すために、感情を理解し扱う能力が求められます。

従業員が良い経験をするようサポートすることで、やる気や生産性を向上させることができます。例えば、指示を出す時にはその理由を説明したり、評価を建設的な方法で伝えたりすることが大切です。

上司の悪い行動が同僚の思いやりを生む

上司の攻撃的な行動は、普通は悪い影響をもたらすと考えられがちです。しかし、このような状況が同僚同士の思いやりを促し、結果的に職場全体に良い効果をもたらす可能性があることが分かっています。

パキスタンの公立病院で働く看護師を対象に、上司からの攻撃的な行動が、同僚からの思いやり、楽観的な考え方、そして仕事への熱心さにどんな影響を与えるかを調べました[2]

研究の結果、上司が看護師に対して攻撃的な行動を取ると、その状況を見た同僚がその看護師に対して思いやりのある行動を取ることが分かりました。これは「苦しんでいる仲間を助けたい」という基本的な感情によるものです。

看護師という仕事は感情的に大変な状況に直面することが多く、職場での支え合いが大切な役割を果たします。同僚から思いやりを受けることで、攻撃的な状況に対する心の負担が軽くなり、「自分は職場で支えられている」という安心感が生まれます。

この安心感は、看護師の心の中で「未来は良くなる」という楽観的な考えを育てます。楽観的になると、看護師は仕事に対するやる気が増し、日々の仕事に積極的に取り組むようになります。「仕事をうまくやれる」という自信が強まり、結果として看護師の仕事への熱心さが高まります。

さらに、この研究では自分の感情をコントロールする自信の役割も明らかになりました。感情をうまくコントロールできる自信が高い看護師は、困難な状況に直面しても感情をうまく扱い、思いやりを受けることでよりポジティブな感情(楽観的な考え)を育むことができます。

この結果は、職場における悪い出来事が必ずしもマイナスに働くわけではないことを示しています。同僚からの思いやりというプラスの反応を引き起こし、それが結果的に従業員の仕事への積極的な取り組みを高める可能性があるのです。

ただし、これは上司の攻撃的な行動を正当化するものではありません。むしろ、困難な状況下でも従業員同士の支え合いや思いやりが大切だということを示しています。組織としては、このような自然に生まれる支援の仕組みを認識し、さらに促すような環境づくりが求められます。

些細な出来事が感情を通じて幸福感に影響

職場における日々の小さな出来事、マイクロイベントが、従業員の感情や幸福感、そして仕事の成果に影響を与えることが分かっています。ホテルや飲食業で働く人たちを対象にした研究では、これらの日常的な出来事がどのように従業員の感情を通じて幸福感に影響するか、そしてマインドフルネスがその過程でどんな役割を果たすかが明らかになりました[3]

研究では、日常のマイクロイベントとして、上司からの良い評価や、逆に職場でのストレスの多い状況などが挙げられています。これらの出来事は、それぞれ従業員の感情の反応を引き起こし、その感情がさらに幸福感や仕事の成果に影響を与えることが示されました。

例えば、上司から褒められた従業員は、喜びや達成感といったポジティブ感情を経験し、それがその日の仕事の満足度や生産性を高める可能性があります。一方で、難しい顧客対応に直面した従業員は、ストレスや不安といったネガティブ感情を抱き、それが一時的に幸福感を下げる可能性があります。

マインドフルネスがこの過程で重要な役割を果たすことも見えてきました。マインドフルネスとは、今この瞬間に意識を集中させ、物事をあるがままに受け入れることを指します。研究によると、マインドフルネスが高い従業員は、日常の出来事に対する感情の反応をうまく処理しやすいため、良い出来事や悪い出来事に関係なく、幸福感に与える影響は限られていました。

具体的には、マインドフルネスが高い従業員は、ストレスの多い状況に直面しても、その状況を客観的に見て、感情の反応をコントロールすることができます。例えば、難しい顧客対応の後でも、その経験から学ぼうとしたり、自分の感情を落ち着かせるために深呼吸をしたりすることができるのかもしれません。

一方、マインドフルネスが低い従業員は、日常の出来事の影響を受けやすく、感情の波に左右されやすいことが分かりました。例えば、上司から批判的な評価を受けた後、ネガティブ感情にとらわれ、その日の残りの仕事に集中できなくなり得ます。

しかし、感情の反応が仕事の成果に与える影響は、マインドフルネスの高低にかかわらず確認されました。マインドフルネスが感情の処理には役立っても、仕事の成果自体を直接良くするわけではないということです。

まず、日々の小さな出来事が従業員の感情や幸福感に影響を与えることを認識し、良い出来事を増やす努力が必要でしょう。例えば、上司は日常的に部下の良い点を見つけて褒めるよう心がけたり、チーム内で互いの成功を祝う習慣を作ったりすることが有効です。

同時に、悪い出来事の影響を最小限に抑えるための支援体制も重要です。例えば、ストレスの多い顧客対応の後には、短い休憩時間を設けたり、同僚と振り返りの機会を持ったりすることで、感情をリセットすることができます。

仕事と家庭の相乗効果が感情を通じて良い影響

仕事と家庭生活のバランスは、多くの働く人にとって大切な課題です。ただバランスを取るだけでなく、仕事と家庭が互いに良い影響を与え合う「仕事と家庭の相乗効果」という考え方が注目されています。この考え方に基づいた研究では、仕事と家庭の相互作用が従業員の感情を通じて仕事の成果にどのように影響するかが検討されています[4]

研究では、「仕事から家庭への良い影響」と「家庭から仕事への良い影響」の2つの方向に注目しています。

まず、「仕事から家庭への良い影響」について見てみましょう。研究によると、仕事で得た能力や資源が家庭生活を豊かにすることで、従業員は仕事に対して良い感情を抱きやすくなります。例えば、仕事で身につけたコミュニケーション能力が家族との関係改善に役立つ場合、その従業員は仕事に対して前向きな感情を持つようになります。

このポジティブ感情は、仕事に対する満足度を高め、結果として仕事の成果の向上につながることが分かりました。例えば、仕事で学んだ時間管理の方法を家庭生活に活かすことで生活の質が上がり、それが仕事へのやる気を高めるといった良い循環が生まれるのです。

この「仕事から家庭への良い影響」の効果は、従業員自身の評価だけでなく、上司による評価でも確認されました。仕事が家庭生活にプラスの影響を与えることで生まれるポジティブ感情が、実際の仕事の成果にも表れることを表しています。

一方、「家庭から仕事への良い影響」、家庭での経験や能力が仕事に良い影響を与える効果については、結果が分かれました。従業員自身の評価では効果が確認されましたが、上司による評価ではっきりとした効果が見られませんでした。

この違いには、いくつかの理由が考えられます。まず、家庭で得た能力や経験(例えば、子育てで身につけた、複数の仕事を同時にこなす能力)は、仕事に間接的に役立つ可能性がありますが、上司にとってはそれを直接見て評価することが難しいのかもしれません。

また、家庭からの良い影響は、従業員の内面的な満足感ややる気の向上につながりますが、それが具体的な仕事の成果として現れるまでには時間がかかる可能性もあります。

「家庭から仕事への良い影響」の効果が従業員の自己評価で確認されたことは重要です。家庭生活が充実していることが、従業員の仕事に対する態度ややる気に良い影響を与えていることを示唆しています。

いずれにせよ、仕事と家庭生活の両立を単なる「バランス」の問題としてだけではなく、お互いに良い影響を与え合う機会として捉えることが大切です。組織は、従業員が仕事で得た能力や経験を家庭生活に活かせるような機会を提供することで、ポジティブ感情と高い仕事の成果を引き出すことができるかもしれません。

また、上司は部下の家庭生活がもたらす潜在的な利点にも目を向け、それを職場での成果向上につなげる方法を探ることが大切です。例えば、定期的な面談の中で、家庭生活での経験や学びが仕事にどのように活かせるかについて話し合う時間を設けるなど、家庭と仕事の相乗効果を意識的に引き出す取り組みが考えられます。

職場のマネジメントに対する含意

感情イベント理論を応用する研究から、職場における感情の重要性が明らかになりました。これらの発見は、組織マネジメントにヒントを与えています。

まず、上司と部下の関係において、悪い出来事が良い出来事よりも強く記憶される傾向があることが分かりました。これは、上司が部下とのコミュニケーションにおいて、注意深く建設的なアプローチを取る必要性を示しています。良い経験をより意識的に作り出し、強調することの大切さも浮き彫りになりました。

次に、上司の攻撃的な行動が同僚間の思いやりを促し、結果的に従業員の楽観的な考えと仕事への熱心さを高める可能性があることが明らかになりました。困難な状況下でも職場内の支え合いの仕組みが機能することを示しており、組織としてはこのような支援的な環境をさらに促すことが求められます。

日常の些細な出来事(マイクロイベント)が従業員の感情や幸福感に影響を与えることも分かりました。マインドフルネスがこの過程で重要な役割を果たすことも示されました。組織は、良い日常体験を増やす努力と同時に、従業員のマインドフルネス能力を高めるための取り組みを検討する必要があります。

最後に、仕事と家庭生活の相乗効果が、従業員の感情を通じて仕事の成果に影響を与えることが見えてきました。仕事と家庭生活のバランスを「両立」の問題としてだけではなく、お互いに良い影響を与え合う機会として捉える重要性を示しています。

これらの発見をまとめると、組織は従業員の感情の経験に注意を払い、ポジティブ感情を促し、ネガティブ感情の影響を最小限に抑える環境づくりが大切だと言えます。感情イベント理論の応用は、より人間らしく生産的な職場環境の創出に貢献する可能性を秘めています。

脚注

[1] Dasborough, M. T. (2006). Cognitive asymmetry in employee emotional reactions to leadership behaviors. The Leadership Quarterly, 17(2), 163-178.

[2] Nadim, M., and Zafar, M. A. (2021). Evaluation of nurses’ job engagement as an outcome of experienced compassion in the workplace, using the lens of affective event theory. SAGE Open, 11(4), 1-15.

[3] Junca-Silva, A., and Lopes, E. (2023). Testing the affective events theory in hospitality management: A multi-sample approach. Sustainability, 15(9), 7168.

[4] Carlson, D., Kacmar, K. M., Zivnuska, S., Ferguson, M., and Whitten, D. (2011). Work-family enrichment and job performance: A constructive replication of affective events theory. Journal of Occupational Health Psychology, 16(3), 297-312.


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

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