2024年10月23日
感情イベント理論:感情の力を活かすために
職場における感情は、長い間見過ごされてきたテーマです。毎日の仕事の中で、私たちはいろいろな感情を経験します。例えば、上司にほめられてうれしくなったり、締め切りに追われてストレスを感じたり、同僚との対立で怒りを覚えたりすることがあるでしょう。これらの感情は、私たちの仕事への態度や行動に影響を与えています。
「感情イベント理論」は、このような職場における感情体験が従業員の態度や行動にどのように影響するかを説明する理論です。90年代に提案された、この理論によると、職場で起こる出来事が従業員の感情を引き起こし、その感情が仕事への満足度や会社への帰属意識、さらには行動にまで影響を与えるというプロセスがあります。
本コラムでは、感情イベント理論の基本的な考え方を紹介し、この理論がどのように職場における感情の問題を説明しているかを見ていきます。職場の中で感情がどのように生まれ、どのような影響を与えるのか、そしてそれがなぜ大切なのかを理解することによって、より良い職場づくりに役立つでしょう。
感情と満足は異なる結果をもたらす
感情イベント理論における論点の一つは、職場での感情体験と仕事の満足度が密接に関係している一方で、別のものだという点です。これは、イギリスの85のコールセンターで働く2091人のカスタマーサービス担当者を対象にした研究で明らかになりました[1]。
従業員の毎日の感情体験と仕事の満足度を調べ、それぞれが従業員の行動にどのような影響を与えるかを調査しました。結果的に、感情と仕事の満足度は確かに関係していますが、それぞれが異なる結果をもたらすことが分かりました。
例えば、プラスの感情を多く経験する従業員は、全体的に仕事に満足していました。上司にほめられたり、チームで成功を体験したりすることが、このようなプラスの感情を生み出します。一方で、マイナスの感情を多く経験する従業員は、仕事への満足度が低い傾向にありました。締め切りのプレッシャーや、同僚とのトラブルなどが、こうしたマイナスの感情の原因となります。
興味深いのは、感情と仕事の満足度が異なる結果を予測するという点です。研究によると、毎日の感情体験は主にその日の行動に影響を与えます。例えば、プラスの感情を感じている従業員は、その日により協力的になったり、新しいアイデアを出したりしました。反対に、マイナスの感情を感じている従業員は、その日によりやる気がなくなったり、ミスをおかしやすくなったりしました。
一方、仕事の満足度は主に長期的な行動に影響を与えることが分かりました。仕事に満足している従業員は、会社に長く留まる傾向があり、辞めたいと思うことが少なくなります。また、仕事全体に対して前向きな態度を持ち続け、会社の目標達成に向けて積極的に貢献しようとします。
出来事が感情を部分的に介して態度に
感情イベント理論のもう一つの大切な側面は、職場における出来事が従業員の態度に影響を与える際に、感情がどのような役割を果たすかという点です。この点について、フランスの203人のマネージャーを対象にした研究が参考になります[2]。
マネージャーたちに過去1か月間に経験した仕事上の出来事を評価してもらい、それらの出来事がどのような感情を引き起こし、最終的にどのような態度につながったかを調査しました。研究者たちは、仕事上の出来事が感情的な状態(例えば、喜び、怒り、疲れなど)を引き起こし、それが仕事に対する満足度や会社への帰属意識といった職場での態度にどのように影響するかを明らかにしようとしました。
調査の結果、マイナスな出来事(例えば、上司との対立や仕事の失敗)は全体的に強い感情的な反応を引き起こすことが分かりました。特に、怒りや疲れといったマイナスな感情が強く現れました。一方、プラスな出来事(例えば、プロジェクトの成功や同僚からのほめ言葉)は主に喜びという感情に影響を与えることが示されました。
さらに、これらの感情的な状態が職場での態度、特に仕事満足度や会社への帰属意識に強く関連していました。例えば、喜びという感情を頻繁に経験しているマネージャーは、全体的に仕事に満足し、会社に対して強い愛着を持っていました。
しかし、感情的な状態は出来事と態度の間の関係を完全には媒介していませんでした。出来事は感情を通じて間接的に態度に影響を与えるだけでなく、直接的にも態度に影響を与えていました。
例えば、昇進という出来事を考えてみましょう。昇進は喜びや誇りといったプラスの感情を引き起こし、それが仕事満足度を高めるかもしれません。しかし同時に、昇進という事実そのものが、直接的に仕事に対する満足度や会社への帰属意識を高める効果を持っているということです。
感情は2段階の評価を経て生まれる
職場での感情はどのようにして生まれるのでしょうか。その点について、感情イベント理論を発展させた研究の中で興味深い視点が提供されています[3]。
研究によると、職場における感情は、2段階の評価プロセスを経て形成されるとされています。この2段階評価モデルは、感情の発生の仕組みをより詳しく説明し、なぜ同じ出来事に対して人によって異なる感情反応が生じるのかを理解する手がかりを与えてくれます。
第1段階は「一次評価」と呼ばれます。これは、ある出来事が自分にとってどれほど重要か、どのような意味を持つかを瞬間的に判断するプロセスです。
例えば、上司から新しいプロジェクトを任されたとき、そのプロジェクトが自分のキャリアにとってどれほど重要か、自分の能力をどの程度試すものかを瞬時に評価します。この一次評価によって、その出来事が感情的にどの程度の重みを持つかが決まります。
第2段階は「二次評価」と呼ばれます。これは、その出来事に対して自分がどの程度対処できるか、必要な資源(能力、時間、サポートなど)を持っているかを評価するプロセスです。先ほどの例で言えば、新しいプロジェクトに取り組むための十分なスキルや時間があるか、必要なサポートを得られそうかを判断します。
これら2段階の評価を経て、最終的な感情反応が形成されます。例えば、新しいプロジェクトが重要で(一次評価)、自分には十分な能力があると感じれば(二次評価)、喜びや期待といったプラスの感情が生まれるでしょう。反対に、プロジェクトは重要だが、自分には対処する能力が不足していると感じれば、不安や恐れといったマイナスの感情が生じる可能性があります。
この2段階評価モデルの重要な点は、感情が外部の刺激に対する自動的な反応ではなく、個人の考え方や判断のプロセスを経て生まれるという点です。同じ出来事でも、個人の経験や価値観、自信などによって、異なる感情反応が生じる可能性があるのです。
さらに、この研究では「感情知性」(Emotional Intelligence)の重要性も指摘しています。感情知性とは、自分や他者の感情を認識し、理解し、適切に管理する能力のことです。感情知性が高い人は、この2段階の評価プロセスをより効果的に行い、結果として職場での感情をうまく管理できるとされています。
例えば、感情知性の高い人は、マイナスな出来事に直面しても、その重要性を適切に評価し(一次評価)、自分の対処能力を冷静に判断する(二次評価)ことができます。その結果、過度にマイナスな感情に支配されることなく、建設的な対応を取ることができるのです。
ポジティブ/ネガティブの出来事を分類
職場で起こる具体的な出来事がどのような感情を引き起こすかを理解することは大事です。この点について、ドイツの218人のフルタイム従業員を対象にした研究が行われました。職場における感情的な出来事を分類した研究です[4]。
研究では、参加者に1日2回(午前と午後)、職場で経験したプラスまたはマイナスの出来事について報告してもらいました。その結果、559のプラスな出来事と383のマイナスな出来事が集められました。これらの出来事は、「コンセプトマッピング」という方法を使って分類されました。
コンセプトマッピングとは、参加者自身が出来事を内容に基づいてグループ分けし、それをさらに統計的に分析してカテゴリーにまとめる方法です。この方法によって、職場における感情的な出来事が、従業員自身の視点からどのように認識され、分類されているかを理解することができます。
分析の結果、プラスな出来事は4つの主要なグループに、マイナスな出来事は7つの主要なグループに分類されました。
プラスな出来事の4つのグループは次の通りです。
- 目標達成・問題解決:仕事上の目標を達成したり、難しい問題を解決したりした経験です。例えば、重要なプロジェクトを成功させたり、長年の課題を解決したりした場合が該当します。
- 社会的な成功:同僚や顧客とのやりとりで成功を感じた経験です。例えば、上司から感謝された、顧客から高い評価を受けたなどの出来事が含まれます。
- ほめられた・良い評価:他の人からほめられたり、良い評価を受けたりした経験です。同僚からほめられたり、上司から高い評価を得たりした場合がこれに該当します。
- 外部からのプラスな経験:外部の要因によってプラスの影響を受けた経験です。例えば、プロジェクトリーダーに選ばれたり、昇進したりした場合が含まれます。
一方、マイナスな出来事の7つのグループは次の通りです。
- 仕事の負担が大きすぎる:仕事が多すぎて、処理しきれない状況です。時間が足りない、タスクが重なりすぎているなどの経験が該当します。
- 目標達成の妨げ:仕事の目標達成が何らかの理由で妨げられた経験です。例えば、プロジェクトが遅れたり、進行が止まったりした場合が含まれます。
- 人間関係・コミュニケーションの問題:同僚や上司との間で起きるコミュニケーションや人間関係の問題です。同僚と意見が対立したり、上司とのコミュニケーションがうまくいかなかったりした経験が該当します。
- 技術的問題:機械や技術的なトラブルが原因で生じるストレスです。システムの故障やインターネットの問題などが含まれます。
- マネジメントの問題:上司や組織内のマネジメントに関する問題でストレスを感じた状況です。上司からの不公平な評価や、管理職の指示が不明確だった経験などが該当します。
- 職場の雰囲気や組織文化に関する問題:組織全体の雰囲気や文化が原因での問題です。職場の人間関係が悪化したり、同僚が退職することになったりした経験が含まれます。
- 仕事の邪魔:他の人や出来事が原因で仕事の進行が妨げられた状況です。頻繁な問い合わせで仕事が進まない、顧客からの苦情が多いなどの経験が該当します。
この分類は、組織が職場環境を改善し、従業員の感情的な幸福度を高めるための戦略を立てる上で役立ちます。例えば、「目標達成・問題解決」や「社会的な成功」に関連する機会を増やすことで、プラスの感情体験を促進することができるでしょう。同時に、「仕事の負担が大きすぎる」や「人間関係の問題」などのマイナスな出来事を減らすための対策を講じることも重要です。
感情の要因と結果を検証
職場での感情体験はどのような要因によって引き起こされ、どのような結果をもたらすのでしょうか。オーストラリアの様々な職業に従事する124人を対象にした研究が行われています[5]。
この研究の特徴は、従業員の感情をできる限りリアルタイムで捉えようとした点です。参加者は2週間にわたって、1日5回、その瞬間の感情を記録するよう求められました。これは「経験サンプリング法」と呼ばれる方法で、日常生活の中での感情の変化を追跡することができます。
研究者たちは、プラスの感情(例:楽しさ、誇り、満足感)とマイナスの感情(例:イライラ、心配、怒り)の両方を測定し、これらの感情がどのような要因によって引き起こされ、どのような結果をもたらすかを分析しました。
まず、プラスの感情に関する発見を見てみましょう。研究によると、プラスの感情は主に次の要因によって引き起こされることが分かりました。
- プラスな仕事の特徴:例えば、仕事における自律性(自分で決定を下せる程度)や、上司や同僚からのフィードバックの多さなどです。これらの特徴が強い環境では、従業員はより頻繁にプラスの感情を経験しました。
- 個人のプラスな性格傾向:楽観的な性格や、プラスな出来事に注目しやすい傾向を持つ人は、職場でもプラスの感情を感じやすいことが分かりました。
これらのプラスの感情は、次のような結果をもたらすことが明らかになりました。
- 仕事への満足感の向上:頻繁にプラスの感情を経験する従業員は、全体的に仕事に対する満足度が高い傾向がありました。
- 組織への感情的な愛着の増加:プラスの感情を多く経験する従業員は、組織に対してより強い愛着や忠誠心を示しました。
- 他者を助ける行動の促進:プラスの感情状態にある従業員は、同僚を助けたり、組織のために自発的に行動したりしました。
一方、マイナスの感情に関しては、次のような発見がありました。
- マイナスの感情の主な要因として、仕事における役割の葛藤が挙げられました。例えば、矛盾する要求を受けたり、曖昧な指示を与えられたりすることです。
- 個人のマイナスな性格傾向も要因になっていました。ストレスを感じやすい性格や、マイナスな出来事に注目しやすい人は、職場でもマイナスの感情を感じやすいことが分かりました。
- マイナスの感情の結果として、直接的に仕事を辞めたいと思うようになる影響は見られませんでした。マイナスの感情を経験したからといって、すぐに仕事を辞めたいと思うわけではないようです。
- しかし、マイナスの感情は仕事に対する不満感を高め、それが間接的に仕事を辞めたいと思う気持ちを高めることが分かりました。
これらの発見は、感情イベント理論の基本的な考え方を支持するものです。職場での出来事が従業員の感情に影響を与え、その感情が態度や行動に影響を与えるというプロセスが確認されたのです。
脚注
[1] Wegge, J., Van Dick, R., Fisher, G. K., West, M. A., and Dawson, J. F. (2006). A test of basic assumptions of affective events theory (AET) in call centre work. British Journal of Management, 17(1), 237-254.
[2] Mignonac, K., and Herrbach, O. (2004). Linking work events, affective states, and attitudes: An empirical study of managers’ emotions. Journal of Business and Psychology, 19(2), 221-240.
[3] Ashton-James, C. E., and Ashkanasy, N. M. (2005). What lies beneath? A process analysis of affective events theory. Research on Emotion in Organizations, 1, 23-46.
[4] Ohly, S., and Schmitt, A. (2015). What makes us enthusiastic, angry, feeling at rest or worried? Development and validation of an affective work events taxonomy using concept mapping methodology. Journal of Business and Psychology, 30(1), 15-35.
[5] Fisher, C. D. (2002). Antecedents and consequences of real-time affective reactions at work. Motivation and Emotion, 26(1), 3-30.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。