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コラム

過去は大きく、未来は小さく:歴史の終わり幻想

コラム

私たちは日常的に過去を振り返ったり、未来を思い描いたりしますが、その認識が必ずしも正確であるとは限りません。特に、未来の自分がどう変わるかを予測するのは難しいものです。このような人間の認識の偏りを、専門的には「歴史の終わり幻想」と呼びます。

「歴史の終わり幻想」とは、過去の自分の変化を大きく感じながらも、未来の変化を過小評価することを指します。今の自分が「完成形」で、これ以上大きな変化はないと考えてしまうのです。

本コラムでは、「歴史の終わり幻想」に関する研究知見を紹介します。大規模な調査データに基づく実証研究や、特殊なケースを対象とした研究、さらには文化間での比較研究など、さまざまな視点からこの現象に迫ります。

「歴史の終わり幻想」を理解することは、自分をより客観的に見つめ直す機会を与えてくれるでしょう。また、未来の変化に対して柔軟な態度を持つことにもつながるかもしれません。

歴史の終わり幻想を大規模調査で実証

私たちは自分の将来をどう想像しているでしょうか。多くの人は、自分の性格や価値観、好みがこれからも大きく変わることはないと考えがちです。しかし、実際にはそうとは限りません。アメリカの研究チームが行った大規模な調査は、私たちが未来の自分の変化を過小評価することを示しました[1]

この調査では、18歳から68歳までの19000人以上を対象に、過去10年間の変化と今後10年間の変化についての予測を求めました。調査は性格的な行動パターン、理想や価値観、好みの3つの領域にわたって行われました。

結果としては、どの年代でも、過去の変化は大きく感じる一方で、将来の変化は小さいと予測する傾向が見られました。

例えば、30歳の人は20歳から30歳までの間に大きな変化があったと感じつつ、30歳から40歳ではあまり変化がないと予測しました。しかし、実際に40歳の人に20歳から30歳までの変化を尋ねると、30歳の人が予測したよりも大きな変化があったと報告しました。

この傾向は年齢が上がるにつれて小さくなりますが、高齢者でも完全には消えません。人生経験を積んでも「歴史の終わり幻想」から完全には逃れられないようです。

研究チームは、この現象が単なる記憶の問題ではなく、未来の変化を過小評価していることによると確認しました。また、質問の解釈や回答の具体性の違いによるものではないこともわかりました。

研究者たちは、自分を魅力的で賢明だと信じ、変化を受け入れたくない心理が「歴史の終わり幻想」の背景にあるのではないかと考えています。未来を予測する難しさと変化の可能性の低さを混同している可能性も指摘されています。

「歴史の終わり幻想」は、私たちの日常生活にも影響を与えています。たとえば、研究では、人々が現在の嗜好を満たすために将来の機会に対して多くの金額を支払うことが明らかになりました。10年後に今好きなバンドのコンサートに行くために、10年前に好きだったバンドの今後のコンサートに行く場合よりも、61%多くの金額を支払うと答えたのです。

自分が将来変化する可能性を過小評価することで、現在の自分に過度にこだわり、新しい経験や機会を逃してしまうかもしれません。将来のニーズや欲求を正確に予測できないことで、長期的な計画立案や意思決定にも影響を及ぼす可能性があります。

「歴史の終わり幻想」を認識することで、未来をより柔軟に捉えることができるかもしれません。変化は避けられないものであり、それを受け入れる心の準備をすることが大切です。現在の自分を肯定しつつ、将来の変化にもオープンな態度を持つことが、より豊かな人生につながるのではないでしょうか。

記憶力とは関係なく生じる

「歴史の終わり幻想」は、私たちの記憶力に関係なく生じるのでしょうか。この疑問を解明するため、研究チームは特殊なケースを対象に調査を行いました[2]。その対象はエピソード記憶に課題のある人でした。

この研究では、参加者には、過去5年間と今後5年間の自己の変化を評価してもらいました。評価項目には、性格特性や社会的能力が含まれていました。

結果は、エピソード記憶に課題のある人も一般的な人と同様に「歴史の終わり幻想」を示しました。過去5年間に自己の大きな変化があったと報告し、今後5年間の変化は小さいと予測したのです。

社会的能力の評価でも同様の傾向が見られました。高校時代から現在までの社会的能力が大きく向上したと評価しましたが、これは一般的な人とほぼ同じ結果でした。

この研究は、「歴史の終わり幻想」がエピソード記憶に依存しないことを示唆しています。

なぜエピソード記憶に課題があっても「歴史の終わり幻想」が生じるのでしょうか。研究者たちは、いくつかの可能性を挙げています。

一つは、意味記憶(一般的な知識や概念の記憶)の役割です。エピソード記憶に課題があり、個人的な体験の詳細は思い出せなくても、自分がどう変わったかという一般的な感覚は持っている可能性があります。

もう一つは、社会的な期待や規範の影響です。私たちは、年齢とともに成長し変化するべきだという社会的な期待を内在化しているかもしれません。具体的な記憶がなくても、過去の自分を現在より未熟だと評価し、未来の自分をあまり変わらないと予測し得ます。

現在の自己イメージを維持したいという心理的な欲求も関係しているかもしれません。現在の自分を「完成形」と見なすことで、自尊心を保つことができます。

社会的動機に影響を与える

「歴史の終わり幻想」は、私たちの仕事への動機にも影響を与えるのでしょうか。ある研究者が、公共サービスの専門家を対象に興味深い調査を行いました[3]

この研究には、アメリカ国内外の220人の公共サービス専門家が参加しました。まず、現在の仕事への動機を評価し、その後、ランダムに2つのグループに分けられました。一つのグループは10年前の動機を振り返り、もう一つのグループは10年後の動機を予測しました。

評価項目には、仕事の安定性、収入の高さ、昇進の機会、労働時間の柔軟性、独立性、仕事の面白さ、他者を助けること、社会に役立つ仕事などが含まれ、外発的動機(報酬や地位など外部からの刺激による動機)と内発的動機(仕事自体の楽しさや社会貢献など内部から湧き出る動機)の両方をカバーしています。

結果は、「歴史の終わり幻想」が仕事の動機にも存在することを表すものでした。将来の動機を予測したグループは、動機の変化を実際よりも少なく見積もりました。特に「独立して働くこと」や「他者を助けること」といった内発的な動機の重要性を過小評価していました。

一方で、「収入」という外発的動機の重要性は過大評価されました。これは、将来においても経済的安定を重視する傾向が強いことを示しています。

この結果は、公共サービス専門家が将来の動機を見積もる際、認知バイアスが存在することを明らかにしています。特に、社会貢献や自己実現といった内発的動機を過小評価し、金銭的報酬という外発的動機を過大評価することが注目されます。

このような傾向が見られる一つの可能性として、現在の社会経済状況が影響しているかもしれません。経済的不安定さが増す中で、将来の収入の重要性を高く見積もることは自然な反応です。

内発的動機の重要性を過小評価する傾向は、現在の自己イメージを維持したいという欲求と関連しているかもしれません。自分は既に成熟し、社会貢献への意欲も高いと考えることで、現在の自己評価を保つことができます。

しかし、「歴史の終わり幻想」は、キャリア設計や職業選択において問題を引き起こし得ます。例えば、将来的に社会貢献や自己実現の重要性が増すことを過小評価することで、長期的な職務満足度が低下するかもしれません。金銭的報酬の重要性を過大評価することで、他の重要な要素(ワークライフバランスや個人の成長機会)を軽視してしまうこともあります。

自分の仕事への動機が将来どう変わるかを正確に予測するのは難しいでしょう。しかし、変化の可能性を認識し、オープンな姿勢を持つことで、私たちはより柔軟に、そして満足度高く仕事に取り組むことができます。

人生満足度については生じない

これまで見てきた「歴史の終わり幻想」は、人生満足度についても同じように当てはまるのでしょうか。アメリカの研究チームが行った18年間にわたる長期的な調査は、興味深い結果を明らかにしました[4]

この研究では、アメリカの成人を対象に、3回の調査を9年おきに行いました。参加者は、10年前・現在・10年後の人生満足度を評価しました。調査は、全体的な人生満足度だけでなく、家族、仕事、経済、健康といった具体的な生活領域についても行われました。

結果は予想外のものでした。若年層(3049歳)と中年層(5059歳)は、過去から現在、そして未来にかけて人生満足度が上がっていくと考える傾向がありました。一方、高齢層(6084歳)は、現在の満足度は高いが、将来は下がっていくだろうと予想していました。

しかし、実際の9年ごとの調査結果を見ると、どの年代でも人生満足度はほとんど変化していませんでした。多くの人は「自分の人生満足度は大きく変化しない」という現実を正しく認識できていないのです。

この結果は、人生満足度に関しては「歴史の終わり幻想」が当てはまらないことを意味しています。むしろ、若年層と中年層は過去の満足度を過小評価し、将来の満足度を過大評価する傾向があり、高齢層は将来の満足度を過小評価する傾向があることがわかりました。

このような結果になった理由として、研究者たちはいくつかの可能性を提案しています。

まず、若年層と中年層が将来の満足度を過大評価するのは、楽観主義バイアスによるものかもしれません。人は一般的に、自分の将来について楽観的に考える傾向があります。特に若い世代は、将来に対して期待を抱きやすいのです。

一方、高齢層が将来の満足度を過小評価する傾向は、加齢に伴う健康上の不安や社会的役割の変化への懸念が反映されているかもしれません。退職や身体機能の低下などの変化を予期することで、将来の満足度を低く見積もります。

対して、実際の人生満足度があまり変化しないという結果は、人間の適応能力の高さを示しています。私たちは、良い出来事にも悪い出来事にも比較的速やかに適応し、基本的な満足度のレベルに戻るのです。

この研究結果は、人生に対する見方に重要な示唆を与えています。若者は将来に過剰な期待を抱き、年配者は必要以上に悲観的になりますが、実際の人生満足度はそれほど大きく変動しません。

このことを理解することで、私たちは現在の人生をより肯定的に受け止められるかもしれません。将来の大きな変化を期待したり恐れたりするのではなく、今この瞬間の満足を大切にすることの重要性に気づくことができるでしょう。

アメリカ人のほうが日本人よりも生じやすい

「歴史の終わり幻想」は文化によって異なるのでしょうか。アメリカと日本の研究者が共同で行った比較文化研究が、この問いに一つの暫定的な答えを提供しています[5]

研究では、アメリカと日本の大規模な縦断的調査データを使い、人生満足度と性格特性における「歴史の終わり幻想」の文化的な違いを検討しました。そして、その背後にあるメカニズムも探りました。

その結果、アメリカ人の方が日本人よりも「歴史の終わり幻想」が強く現れました。アメリカ人は過去の変化を大きく感じ、未来の変化を小さく予測するのです。

文化的な違いはどこから来るのでしょうか。研究者たちは、自尊心と自己概念の明瞭さの二つの要因に注目しました。

アメリカ人における「歴史の終わり幻想」の大きさは、自尊心の高さと関連していました。アメリカ文化では、自分を高く評価するため、過去の自分を現在より否定的に評価することで、自分は時間とともに成長し、より良くなったと感じやすいのです。自己高揚バイアスが、「歴史の終わり幻想」を強める要因の一つと考えられます。

一方、日本人は自己高揚バイアスが比較的弱く、過去の自分を現在とほぼ同じように評価します。そのため、過去と現在の差を大きく感じにくく、「歴史の終わり幻想」が小さくなります。

自己概念の明瞭さも重要な要因です。アメリカ人は自分自身をよく理解しており、将来もあまり変わらないと考えます。この自己概念の明瞭さが、将来の自分を現在とほぼ同じと予測することにつながり、「歴史の終わり幻想」を強めていると考えられます。

対して、日本人は自己概念がややあいまいで、将来の自分を予測しにくいと感じます。そのため、将来に変化の可能性を感じ、「歴史の終わり幻想」が小さくなります。

この知見は、グローバル化が進む現代社会において重要な意味を持ちます。異なる文化背景を持つ人々が交流する機会が増える中で、自己認識や将来予測の仕方が文化によって異なることを理解するのは、相互理解を深める上で重要です。

脚注

[1] Quoidbach, J., Gilbert, D. T., and Wilson, T. D. (2013). The end of history illusion. Science, 339(6115), 96-98.

[2] Halilova, J. G., Addis, D. R., and Rosenbaum, R. S. (2020). Getting better without memory. Social Cognitive and Affective Neuroscience, 15(8), 815-825.

[3] Van Ryzin, G. G. (2016). Evidence of an ‘end of history illusion’ in the work motivations of public service professionals. Public Administration, 94(1), 263-275.

[4] Harris, H., and Busseri, M. A. (2019). Is there an ‘end of history illusion’ for life satisfaction? Evidence from a three-wave longitudinal study. Journal of Research in Personality, 83, 103869.

[5] Haas, B. W., and Omura, K. (2022). Cultural differences in susceptibility to the end of history illusion. Personality and Social Psychology Bulletin, 48(9), 1331-1348.


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

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