ビジネスリサーチラボ

open
読み込み中

コラム

記憶のフィルター:私たちが知らずに行う情報の取捨選択

コラム

私たちは毎日、たくさんの情報を受け取っています。しかし、全ての情報が同じように記憶されるわけではありません。特に、自分にとって嫌な情報は、他の情報よりも覚えにくいことがあります。これを「記憶無視」と言います。

記憶無視とは、自分にとって脅威となる情報を選んで思い出しにくくすることで、自尊心を守る仕組みです。例えば、自分の失敗や欠点に関する情報は、他人の失敗や欠点よりも想起しにくい傾向があります。

しかし、記憶無視はいつも同程度に働くのではありません。状況や条件によって、その効果が強まったり弱まったりします。本コラムでは、記憶無視に関する研究成果を紹介しながら、この現象を詳しく見ていきます。

仲間内の否定的行動も記憶無視の影響を受ける

私たちは自分に関する嫌な情報を思い出しにくいのですが、「記憶無視」は自分だけでなく、自分が所属するグループのメンバーに関する情報にも影響します。

この現象を調べるため、研究者たちは実験を行いました[1]。アメリカ人とイギリス人の大学生に、自国民(内集団)またはアンドラの人々(外集団)が行った良い行動と悪い行動についての文章を読んでもらいました。その後、参加者にそれらの文章をどれだけ思い出せるかを調べました。

実験の結果、参加者は自国民が行った悪い行動を、アンドラ人が行った悪い行動よりも思い出しにくいことが分かりました。記憶無視の効果は自分だけでなく、自分が所属するグループにも及ぶのです。

私たちは自分が所属するグループを自分の一部として捉えているため、そのグループのメンバーが行った悪い行動は、自尊心を脅かす情報となります。そのため、そのような情報を記憶の中で薄めようとします。

一方、外集団の悪い行動については記憶に残ります。これは、外集団の行動が自尊心に直接は影響しないためでしょう。

この結果は、情報を処理し記憶する際に自己防衛メカニズムが役割を果たしていることを示唆しています。自分だけでなく、自分が所属するグループに関する嫌な情報も記憶から排除されやすいのです。

このような記憶の偏りには、適応的な面もあります。所属グループに対する良い見方を維持することで、グループへの帰属意識や連帯感を強め、社会的なつながりを促進する効果があるかもしれません。

しかし、バランスの取れた判断や客観的な自己評価のためには、このような偏りに注意を払う必要があります。自分や所属グループに関する嫌な情報も受け止め、必要に応じて改善につなげることが大事です。

マイノリティは記憶無視の傾向が強い

記憶無視が自分だけでなく所属グループにも及ぶことを見てきました。続いて、社会的マイノリティの人々がより強い記憶無視の傾向を示すことを紹介します。

白人が多数を占めるキャンパスで実験が行われました[2]。参加者には良い行動と悪い行動に関する文章を読んでもらい、その後でそれらの行動をどれだけ思い出せるかを調べました。

実験の結果、黒人の参加者は白人の参加者と比べて、悪い自己関連行動をあまり思い出さないことが分かりました。マイノリティである黒人参加者の方が、より強い記憶無視を示したということです。

マイノリティの人々は、日常的に偏見や差別に直面する可能性が高いため、自己評価への脅威に対して敏感になっています。そのため、悪い自己関連情報を積極的に記憶から排除することで、自己イメージを守ろうとしていると考えられます。

他方で、黒人参加者に平等に関する価値観を意識させると、記憶無視の傾向が減少しました。平等主義のプライミングにより、参加者は自分が公平に扱われるという期待感を持つようになります。その結果、悪いフィードバックを自己評価の一部として受け入れやすくなるのです。

この研究は、マイノリティの人々が日常的に経験している心理的なストレスと、それに対する適応メカニズムを明らかにしています。強い記憶無視は、厳しい社会環境の中で自己イメージを守るための防衛策となっています。

しかし、平等主義のプライミング効果が示すように、社会環境の改善によってこの防衛反応を緩和できる可能性もあります。より公平で包摂的な社会を作ることで、マイノリティの人々が自己防衛に頼ることなく、より柔軟に自己評価を行えるようになるかもしれません。

例えば、企業におけるダイバーシティ・トレーニングにおいて、記憶無視を考慮に入れることで、より効果的なプログラムを設計できる可能性があります。

自己改善の動機や親密な関係で抑制可能

記憶無視は私たちの自己イメージを守る心理的な仕組みです。しかし、その効果は常に同じように働くわけではありません。特定の条件下で、記憶無視効果が弱まります。ここでは、自己改善の動機と親密な関係という2つの要因に注目し、記憶無視がどのように変化するかを見ていきましょう[3]

まず、自己改善の動機が記憶無視に与える影響を考えてみましょう。研究者たちは、自己改善への意識を高めると、記憶無視が弱まることを発見しました。

具体的には、実験参加者を2つのグループに分けて、一方のグループには自己改善に関連する単語を使った文章完成タスクを与え、もう一方のグループにはそのようなプライミングを行いませんでした。その後、両グループに良い情報と悪い情報を提示し、後でそれらをどれだけ思い出せるかを確認しました。

結果、自己改善のプライミングを受けたグループは、悪い情報もよく覚えていました。記憶無視効果が弱まったのです。

自己改善の動機が高まると、悪い情報も自分の成長や改善のために重要な情報として認識されるようになります。通常なら無視されがちな悪い情報も、より注意深く処理され、記憶に残りやすくなります。

自己改善の意識を高めることで、自分の短所や改善点により注意を向けられるようになり、より効果的な自己成長が可能になるかもしれません。

次に、親密な関係が記憶無視に与える影響です。親しい友人からのフィードバックと見知らぬ人からのフィードバックを比較する実験を行いました。

参加者は、親しい友人または見知らぬ人からの良いフィードバックと悪いフィードバックを受け取り、後でそれらをどれだけ思い出せるかを調べました。そうしたところ、見知らぬ人からの悪いフィードバックはあまり覚えられませんでしたが、親しい友人からの悪いフィードバックはよく覚えていました。

親しい友人からのフィードバックは、私たちにとって特別な意味を持ちます。それは長期的な人間関係に影響を与える可能性が高いため、たとえ悪い内容であっても、重要な情報として深く処理されます。一方、見知らぬ人からのフィードバックは、それほど重要視されないため、特に悪い内容の場合は記憶から排除されやすくなります。

親しい人からの指摘や批判は、たとえ一時的に不快であっても、私たちの成長にとって重要な役割を果たす可能性があります。

記憶無視は、状況や関係性に応じて変化する複雑な現象です。自己改善の動機や親密な関係性は、私たちの情報処理プロセスを変え、通常なら無視されがちな悪い情報にも注意を向けさせる力を持っています。

この研究に基づけば、例えば、企業の評価においては、単に悪いフィードバックを与えるだけでなく、自己改善の動機を刺激するような工夫を加えることで、より効果的な成長支援が可能になるかもしれません。また、メンタリングの場面では、メンターとメンティーの間に信頼関係を築くことが、建設的な批判を効果的に伝える上で重要だと考えられます。

認知負荷をかけると記憶無視は弱まる

記憶無視は様々な要因の影響を受けます。ここでは、認知負荷に注目し、それが記憶無視にどのような影響を与えるかを探ってみましょう。

認知負荷とは、ある課題を行う際に必要となる心的な労力のことを指します。例えば、複雑な計算をしながら会話をするような状況では、高い認知負荷がかかっています。認知負荷が記憶無視にどのような影響を与えるかを調べるため、実験が行われました[4]

実験では、参加者を2つのグループに分けました。一方のグループには、行動に関する情報を読む際に同時に6桁の数字を記憶するよう指示しました。もう一方のグループには、そのような追加タスクは与えませんでした。その後、両グループに良い情報と悪い情報を提示し、後でそれらをどれだけ思い出せるかを検証しました。

その結果、通常条件では、これまでの研究と同様に記憶無視が観察されました。悪い情報は良い情報よりも思い出しにくくなっていました。しかし、認知負荷条件では、この効果が消失しました。認知負荷がかかっている状態では、悪い情報も良い情報と同程度に思い出されるようになりました。

私たちは自己関連情報を処理する際、無意識のうちに複雑な評価プロセスを行っています。良い情報は深く処理され、悪い情報は浅く処理されることで、記憶無視が生じます。

ただし、認知負荷がかかると、複雑な処理を行う余裕がなくなり、全ての情報が同じように浅く処理されます。認知負荷は記憶無視を支える自己防衛的な情報処理を妨げるということです。

もちろん、認知負荷によって記憶無視効果が弱まるからといって、常に高い認知負荷の状態を維持することが望ましいわけではありません。高い認知負荷は疲労やストレスの原因となり、長期的には健康やウェルビーイングに悪影響を及ぼす可能性があります。

記憶無視のまとめとマネジメントへの知見活用

記憶無視は私たちの自己認識と情報処理に関わる複雑な心理現象です。その効果は、自己防衛のメカニズムとして機能する一方で、状況や条件によって変化します。それらの知見を総合し、その意義について考えてみましょう。

まず、記憶無視の基本的なメカニズムを振り返ってみます。私たちは自分に関する悪い情報を思い出しにくい傾向があります。これは、自尊心を守るための適応的な反応と言えます。

この効果は単に個人内で完結するものではありません。所属グループに関する悪い情報にも及ぶことや、マイノリティの人々においてより強く現れることが明らかになりました。記憶無視が個人の心理だけでなく、社会的文脈やグループ間関係とも関連していることを表しています。

次に、記憶無視が変化することにも注目する必要があります。自己改善の動機が活性化されたり、親密な関係からフィードバックを受けたりすると、この効果は弱まります。また、認知負荷がかかると記憶無視が消失することも分かりました。記憶無視効果は固定的なものではなく、状況や心理状態に応じて変化する動的なプロセスです。

これらの知見は組織マネジメントに応用可能です。例えば、建設的なフィードバックを行う際には、受け手の自己改善動機を刺激したり、信頼関係を築いたりすることで、より効果的に情報を伝達できる可能性があります。

しかし同時に、慎重な検討も求められます。記憶無視は、ある意味で心理的な防衛として機能しています。この効果を取り除くことが必ずしも望ましいわけではありません。重要なのは、状況に応じてこの効果を適切にコントロールし、自己防衛と自己改善のバランスを取ることでしょう。

記憶無視の研究は、私たちに問いを投げかけています。自分をどのように認識し、評価するべきか。否定的なフィードバックとどのように向き合うべきか。そして、自己防衛と自己改善のバランスをどのようにとるべきか。

これらの問いに対する答えは、個人と組織の価値観や目標、そして置かれた状況によって異なるでしょう。しかし、記憶無視の研究が示唆するのは、私たちには自己認識をより意識的にコントロールするということです。

脚注

[1] Zengel, B., Skowronski, J. J., Wildschut, T., and Sedikides, C. (2021). Mnemic neglect for behaviors enacted by members of one’s nationality group. Social Psychological and Personality Science, 12(7), 1286-1293.

[2] Newman, L. S., Eccleston, C. P., and Oikawa, M. (2017). Ignoring biased feedback: Membership in a stigmatized group as a moderator of mnemic neglect. The Journal of Social Psychology, 157(2), 152-164.

[3] Green, J. D., Sedikides, C., Pinter, B., and Van Tongeren, D. R. (2009). Two sides to self-protection: Self-improvement strivings and feedback from close relationships eliminate mnemic neglect. Self and Identity, 8(2-3), 233-250.

[4] Zengel, B., Wells, B. M., and Skowronski, J. J. (2018). The waxing and waning of mnemic neglect. Journal of Personality and Social Psychology, 114(5), 719-734.


執筆者

伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。

#伊達洋駆

アーカイブ

社内研修(統計分析・組織サーベイ等)
の相談も受け付けています