2024年8月23日
仕事と私生活の境界線を引く:心理的ディタッチメントの実践方法
夜遅くにメールを確認したり、休日に緊急の連絡を受けたり、休暇中も仕事のことを心配している。仕事と私生活の境界線が曖昧になっていることに悩む人は少なくありません。いつも「仕事モード」に陥り、本当の意味での休息を失っているのかもしれません。
こうした状況で「心理的ディタッチメント」という考え方は注目に値します。これは、仕事時間外に、仕事に関する考えや感情から自分を切り離す能力のことです。
しかし、心理的ディタッチメントを実践することは意外に難しいものです。締め切りのプレッシャーや未完了のタスク、職場での人間関係など、様々な要因が私たちを仕事に縛り付けています。
本コラムでは、心理的ディタッチメントを妨げる要因について説明します。仕事量や私生活との境界線、未完了の目標、職場の人間関係、そしてリーダーシップが与える影響を考察します。効果的なディタッチメントの方法も検討します。
仕事量を減らす必要がある
仕事量が心理的ディタッチメントに与える影響について興味深い洞察が提供されています。研究者たちは、87人の様々な職業に従事する個人を対象に、3日間にわたって調査を行いました[1]。参加者は、その日の仕事量、仕事からの心理的な切り離しの程度、そして幸福感について報告しました。
結果は、長期的および日々の仕事量が、夕方の心理的な仕事からの切り離しに悪影響を与えることを示しました。仕事量が多いほど、仕事から心理的に離れることが難しくなるのです。特に、慢性的な時間的プレッシャーが心理的な切り離しを難しくすることが分かりました。
仕事の締め切りやタスクが多いと、人々は無意識のうちに仕事のことを考え続けてしまいます。仕事量が多いと、ストレスや不安が高まり、それらの感情を仕事時間外にも引きずる可能性もあります。
さらに、この研究は心理的ディタッチメントが幸福感に正の影響を与えることも示しました。夕方に仕事から心理的に離れることができた人々は、寝る前により良い気分を感じ、疲労感も低かったのです。これは、心理的ディタッチメントがストレス解消や回復のプロセスにおいて重要な役割を果たしていることを表しています。
公私を分離する規範が大事
仕事量の影響について理解したところで、次に考えるべきは仕事と私生活の境界線です。テクノロジーの発達により、いつでもどこでも仕事ができるようになった現代。便利な反面、仕事と私生活の境界を曖昧にし、心理的ディタッチメントを難しくしています。
仕事と家庭生活の境界線の重要性と、自宅でのコミュニケーション技術の使用が心理的ディタッチメントに与える影響が検討されています[2]。研究者たちは、様々な業種の従業員を対象に、仕事と家庭の区分けの好み、認識される区分けの規範、自宅におけるコミュニケーション技術の使用、そして心理的な仕事からの距離感について調査しました。
その結果、仕事と家庭生活の明確な境界線を好む従業員や、職場で強い区分けの規範を認識している従業員は、労働時間外における仕事からの心理的距離が大きいことが分かりました。
仕事と家庭の役割を明確に分けることで、個人は各役割に応じた思考や行動のモードを切り替えやすくなります。例えば、「家に帰ったら仕事のメールは見ない」という明確なルールがあれば、家庭での時間に仕事のことを考える機会が減り、心理的なディタッチメントが促進されます。
また、職場において区分けの規範が強いことは、組織文化として仕事と私生活のバランスを重視していることを意味します。そのような文化は、従業員が罪悪感なく仕事から離れることを可能にし、結果として心理的ディタッチメントを促進します。
一方で、この研究は自宅におけるコミュニケーション技術の使用が、区分けの好みや規範と心理的な仕事からの距離との関係に部分的な媒介効果を持つことも明らかにしました。たとえ個人が仕事と家庭の境界を明確に分けたいと思っていても、自宅で頻繁に仕事関連の電子メールをチェックしたり、仕事の電話に出たりすることで、その意図が阻害される可能性があります。
未完了の目標に対する計画を立てる
仕事と私生活の境界を設けることの重要性を理解したものの、まだ心から仕事を離れられないという経験はありませんか。その原因の一つとして考えられるのが、未完了の仕事目標の存在です。
頭の中でぐるぐると回り続ける未完了のタスク。これらが心理的ディタッチメントを妨げる要因となっているのです。では、この問題にどのように対処すればよいのでしょうか。
未完了の仕事目標が心理的ディタッチメントを阻害する原因を探り、その解決方法を提案する研究があります[3]。研究者は、103人の従業員を対象に縦断的調査を行い、未完了の目標が心理的ディタッチメントに与える影響を調査しました。さらに、未完了の目標を解決するための計画を立てることで、心理的ディタッチメントが向上することを示す実験も行いました。
結果として、未完了の目標がある場合、達成済みの目標がある場合と比べて、仕事から心理的に離れることが難しくなることがわかりました。やり残した仕事がある場合、仕事から心理的に離れにくくなるのです。
未完了の目標がディタッチメントを妨げる理由として、未完了の目標が「注意資源」を占有し続けることが挙げられます。やり残した仕事があると、それについて考え続けてしまい、精神的なリラックスが妨げられるのです。また、未完了の目標は不確実性や不安を引き起こし、それがさらにディタッチメントを難しくする可能性があります。
しかし、未完了の目標を解決するための計画を立てることで、心理的ディタッチメントが向上します。具体的な計画を立てることで、未完了の目標に対する注意が減少し、ディタッチメントが促進されるのです。
計画を立てるという比較的簡単な行為が、心理的ディタッチメントを促進するという事実は、実践的な観点から有用です。
計画を立てることで未完了の目標に対する「心理的な終結感」が得られます。その目標に対して何らかのアクションを取ったという感覚が生まれ、それによって目標が「未完了」から「進行中」の状態に移行するというわけです。
また、計画を立てることで、未完了の目標を具体的なステップに分解することができます。目標が達成可能なものに感じられ、それに伴う不安やストレスが軽減される可能性があります。
仕事の終わりに未完了の目標に対する計画を立てる習慣を身につけることが有効かもしれません。例えば、毎日の仕事の終わりに5分程度の時間を設け、未完了のタスクに対する簡単な計画を立てるという習慣を取り入れることで、心理的ディタッチメントを促進できます。
職場での攻撃があると問題
個人の努力だけでは解決できない問題もあります。その一つが、職場での人間関係、特に攻撃的な行動の影響です。職場における攻撃行動は、単に仕事中のストレス要因にとどまらず、従業員の私生活にまで悪影響を及ぼす可能性があるのです。
職場における攻撃行動が心理的ディタッチメントとワーク・ファミリー・コンフリクトにどのように影響するかを探った研究を紹介します[4]。様々な職業に従事する104名の従業員を対象に調査を行いました。
参加者は、自身の職場での経験、心理的ディタッチメントの程度、そしてワーク・ファミリー・コンフリクトについて報告しました。参加者の同僚やパートナーからもデータを収集し、より客観的な視点を得ることを試みています。
研究結果は、次の4つの仮説を支持するものでした。
- 職場での攻撃行動はワーク・ファミリー・コンフリクトと正の関連がある
- 職場での攻撃行動は心理的ディタッチメントと負の関連がある
- 心理的ディタッチメントはワーク・ファミリー・コンフリクトと負の関連がある
- 心理的切り離しが職場での攻撃行動とワーク・ファミリー・コンフリクトの関係を媒介する
これらの結果は、職場での攻撃行動が仕事中のストレス要因にとどまらず、従業員の私生活にまで悪影響を及ぼす可能性があることを実証しています。本コラムで特に注目すべきは、心理的ディタッチメントが職場での攻撃行動とワーク・ファミリー・コンフリクトの関係を媒介する点です。
このような結果が得られた理由として、職場での攻撃行動が従業員の心理的資源を消耗させることが考えられます。資源保存理論によれば、個人は貴重なリソース(時間、エネルギー、注意力など)を維持しようとしますが、職場での攻撃行動はこれらのリソースを大きく消耗させます。その結果、仕事から心理的に切り離すための十分なリソースが残らず、それがワーク・ファミリー・コンフリクトの増加につながるのです。
努力回復モデルの観点からも、この結果を説明することができます。職場での攻撃行動は強いストレス要因となり、そのストレスが持続すると、個人は心理的に仕事から切り離すことが難しくなります。その結果、勤務時間外も仕事のストレスから逃れることができず、家庭生活に悪影響を及ぼします。
上司の影響が部下にも及ぶ
職場環境の重要性を理解したところで、次に上司の行動に話題を移しましょう。リーダーの振る舞いは、想像以上に部下に影響を与えます。上司の心理的ディタッチメントの実践(あるいは欠如)は、部下の行動や心理にどのような影響を与えるのでしょうか。
リーダーの心理的ディタッチメントが部下の心理的ディタッチメントと幸福感にどのように影響するかが検証されています[5]。137名の従業員とその上司を対象に自己報告データを収集した結果、次の事実が見えてきました。
- リーダーの心理的ディタッチメントは部下の心理的ディタッチメントと正の関連がある
- 部下の心理的ディタッチメントは疲労感と負の関連がある
- 部下の心理的ディタッチメントは回復の必要性と負の関連がある
- リーダーの心理的ディタッチメントが部下の疲労感と回復の必要性に間接的に負の影響を与える
リーダーが仕事から心理的に離れることで、部下もそれが許容される行動だと認識し、同様の行動を取りやすくなります。また、リーダーが心理的に離脱している場合、勤務時間外に部下に仕事の連絡をすることが少なくなり、結果として部下も仕事から離れやすくなります。
上司が仕事から心理的に離れる行動は、組織全体の雰囲気にも影響を与える可能性があります。上司が仕事とプライベートの境界を尊重する姿勢を示すことで、組織全体でそのような文化が醸成され、結果として部下の心理的ディタッチメントも促進されるのかもしれません。
心理的ディタッチメントは介入で促進可能
ここまで、心理的ディタッチメントを妨げる様々な要因を見てきました。しかし、こうした知識を得ても、実際に行動に移すのは難しいと感じる人も多いでしょう。そこで最後に、心理的ディタッチメントを積極的に促進するための介入方法について考えます。
果たして、心理的ディタッチメントは本当に改善可能なのでしょうか。そして、どのような方法が最も効果的なのでしょうか。
あるメタ分析において、仕事からの心理的切り離しを向上させるための様々な介入の効果を調査しています[6]。1998年から2020年までの期間に行われた30件の研究(34の介入、合計参加者数3725人)を対象とし、心理的ディタッチメントを促進する介入方法の有効性を統計的に分析しています。
結果は、介入が仕事からの心理的ディタッチメントに対して有意な効果を示しました。中程度の効果サイズであり、心理的ディタッチメントが介入によって改善可能であることを示しています。
特に効果的だった介入方法は次のものです。
- マインドフルネスベースの介入
- 認知行動方略
- 境界管理
- 感情調整
- 睡眠改善方略
まず、マインドフルネスベースの介入が高い効果を示しました。マインドフルネスとは、今この瞬間に集中し、物事を良し悪しで判断せずにありのままに受け入れる練習のことで、これによってストレスや不安が軽くなる効果があります。マインドフルネスの実践が現在への集中を促し、仕事に関する思考から離れるのを助けると考えられます。
認知行動方略の効果も高く、これは仕事に関するネガティブな思考パターンを変えることで、心理的ディタッチメントを促進する可能性を示しています。例えば、「仕事のことを考え続けないと問題が解決しない」という思い込みを、「休息することで新しいアイデアが生まれる可能性がある」と捉え直すことで、心理的ディタッチメントがしやすくなるかもしれません。
境界管理の効果が高かったことも興味深い結果です。仕事とプライベートの時間や空間を明確に分けることの重要性を示しています。例えば、自宅で仕事専用スペースを設けたり、仕事用と私用のデバイスを分けたりすることで、物理的にも心理的にも仕事から離れやすくなります。
感情調整と睡眠改善戦略の効果も高く、これらは心身の回復と密接に関連しています。感情調整スキルを向上させることで、仕事に関するストレスや不安を効果的に管理し、心理的ディタッチメントを促進できます。また、質の良い睡眠は心身の回復に不可欠であり、睡眠の質を改善することで、結果的に心理的ディタッチメントも促進されると考えられます。
この研究は介入の特性についても知見を提供しています。長期的なプログラムが短期的なものより効果的であり、個別のコーチングセッションを含むプログラムは特に効果が高いことが見えてきました。心理的ディタッチメントの促進には継続的な取り組みと個別化されたアプローチが重要であることを意味しています。
さらに、高ストレス群で介入の効果が大きかったという結果は、特にストレスの高い従業員に対して、これらの介入が有効であるということです。リスクの高い従業員を特定し、優先的に支援を提供する必要があると言えるでしょう。
この研究が示すように、心理的ディタッチメントは個人の努力だけではなく、適切な介入や組織的サポートによって改善できます。この知見を活かし、個人と組織が協力して心理的ディタッチメントを促進することで、従業員のウェルビーイングと組織の生産性の両方を向上させることができるでしょう。
脚注
[1] Sonnentag, S., and Bayer, U. V. (2005). Switching off mentally: Predictors and consequences of psychological detachment from work during off-job time. Journal of Occupational Health Psychology, 10(4), 393-414.
[2] Park, Y., Fritz, C., and Jex, S. M. (2011). Relationships between work-home segmentation and psychological detachment from work: The role of communication technology use at home. Journal of Occupational Health Psychology, 16(4), 457-467.
[3] Smit, B. W. (2016). Successfully leaving work at work: The self‐regulatory underpinnings of psychological detachment. Journal of Occupational and Organizational Psychology, 89(3), 493-514.
[4] Demsky, C. A., Ellis, A. M., and Fritz, C. (2014). Shrugging it off: Does psychological detachment from work mediate the relationship between workplace aggression and work-family conflict? Journal of Occupational Health Psychology, 19(2), 195-205.
[5] Sonnentag, S., and Schiffner, C. (2019). Psychological detachment from work during nonwork time and employee well-being: The role of leader’s detachment. The Spanish Journal of Psychology, 22, E3.
[6] Karabinski, T., Haun, V. C., Nubold, A., Wendsche, J., and Wegge, J. (2021). Interventions for improving psychological detachment from work: A meta-analysis. Journal of Occupational Health Psychology, 26(3), 224-242.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。東京大学大学院情報学環 特任研究員を兼務。