2024年5月24日
セルフ・コンパッション:自分に対する思いやりは職場に何をもたらすか(セミナーレポート)
ビジネスリサーチラボは、2024年4月にセミナー「セルフ・コンパッション:自分に対する思いやりは職場に何をもたらすか」を開催しました。
仕事をしているとうまくいかないことがあります。そこから早く立て直し、前を向いて進むことは大事です。
そのために近年注目を集めているのがセルフ・コンパッションです。セルフ・コンパッションは自分への思いやりとして理解されています。
人事領域では、まだあまり知られていない考え方かもしれません。しかし、自分をいたわることは、例えば、ストレスの影響を緩和します。
本セミナーではセルフ・コンパッションについて学びます。特に、職場やマネジメントに対する含意を探ります。
※本レポートはセミナーの内容を基に編集・再構成したものです。
セルフ・コンパッションとは
セルフ・コンパッションとは何でしょうか。セルフ・コンパッションは、主に次のように定義されます。困難やストレスに直面した際に、自分自身に優しく接すること。つまり、何か難しい状況に陥ったときに、自分に対して優しくするということです。
セルフ・コンパッションは、セルフ・カインドネス、コモン・ヒューマニティ、マインドフルネスという三つの要素から構成されています。それぞれの要素を見ていくと、セルフ・コンパッションの意味がより明確になります。
まず、セルフ・カインドネスは、文字通り自分に優しくすることを指します。自分の失敗や不完全さを認めることは大切です。誰もが完璧な人間ではなく、いつも成功するわけではありません。
ミスをしたりうまくいかないことがあったりしたときに、自分を批判するのではなく、自分に対して優しい理解を示すことがセルフ・カインドネスです。例えば、「そういうときもあるよね。次は頑張ろう」と自分に優しく接することです。
二つ目のコモン・ヒューマニティは、自分だけが苦しい状況にいるわけではなく、それは他の人にも共通する経験だと考えることを指します。苦しみや失敗は、特定の個人だけが味わう現象ではありません。
誰もが難しい状況に直面することがあります。このことを認識することがコモン・ヒューマニティです。例えば、「私だけではなく、みんなも同じ経験をしているんだ」と考えます。
三つ目がマインドフルネスです。つらいことがあったときに、ネガティブな感情や思考から逃げたり、無理やり抑え込んだりするのではなく、ありのままに受け止めて観察することがマインドフルネスの意味するところです。
例えば、自分が悲しい気持ちになったとすれば、「今、悲しいと感じているんだな」と、今の状況を観察し、ありのままに受け止めます。
セルフ・コンパッションの独自性
アメリカで大学生を対象に、セルフ・コンパッションが幸福感に与える影響について調査が行われました。調査の結果、セルフ・コンパッションが高い人は、抑うつや不安、ネガティブな感情が低いことが明らかになりました。
また、ストレスにさらされると幸福感は減ってしまうものですが、セルフ・コンパッションが高い人は、ストレス負荷があってもウェルビーイングがそこまで下がらないことがわかりました。
セルフ・コンパッションと同じく自分と向き合う感情として、従来から知られているのは自尊心です。自尊心とは、自分を肯定的に評価し、自分には価値があると考えることを意味します。
しかし、自尊心を追求することには、実はリスクがあることが近年分かってきました。自尊心が高いことがナルシシズム(自己愛)や偏見をもたらす可能性があるのです。自尊心は取り扱いに注意が必要だと言えます。
他方で、セルフ・コンパッションは、成功や他者との比較に基づくものではありません。むしろ、失敗したときにこそ重要な役割を果たします。セルフ・コンパッションを高めるために、他者をおとしめたり低く評価したりする必要はないのです。
セルフ・コンパッションは、人間は誰しも不完全であることを認識し、それを受け入れることで効果を発揮します。例えば、プレゼンがうまくいかなかったとしても、「誰にでもミスはあるよね。次はうまくいくように努力しよう」と自分を慰め、優しく接します。
失敗や拒絶を和らげる
セルフ・コンパッションは、失敗や拒絶などのうまくいかなかったことの影響を和らげることができます。うまくいかなかったとしても、それによってダメージを受けて前に進めなくなることを防げるのです。
日常生活の中で、イライラしたり不快に思ったりネガティブな感情を感じることは誰にでもあります。研究では、被験者にそのような不快な出来事の報告を求め、セルフ・コンパッションが高いかどうかを質問しました。
その結果、セルフ・コンパッションが高い人は、不快な出来事に直面しても自分に優しく接し、状況を客観的に捉えることができることがわかりました。また、問題を大げさに感じないということも明らかになりました。
恥ずかしいタスクを行っている最中に、自己評価と他者評価を比較した分析結果があります。セルフ・コンパッションが高い人は、自分のパフォーマンスを客観的に評価できることが見えてきました。
さらに、ネガティブな出来事を考えてもらった上で、セルフ・コンパッションを誘導する実験も行われました。ネガティブな出来事を考えるとネガティブな気持ちになりますが、セルフ・コンパッションを行うことでそれを緩和させることができました。
人は、特に学びや成長のプロセスにおいて、失敗を経験することが多くあります。そのような状況でセルフ・コンパッションは、失敗からの立ち直りを助け、失敗がもたらす苦しさを和らげる作用があると言えるでしょう。
学習を促す効果がある
大学生を対象にした興味深い調査があります。調査によると、セルフ・コンパッションが高い人は、内発的動機づけに基づいて活動に参加します。何かをもらえるからやるのではなく、楽しそうだとか関心があるから行動するのです。
セルフ・コンパッションが高い人は、失敗に対する恐れも薄く、失敗しても自分に優しくできるので、興味関心に基づいて行動しやすいことも見えてきました。
また、セルフ・コンパッションが高い人は、自分の能力を高めたいという学習志向が高い傾向があります。自分の能力を伸ばしていきたいと考えているわけです。一方で、成果を認められたいという気持ちとは負の関連にあります。
中間試験に不満を持つ大学生、要するに、うまくいかなかった人たちを対象にした調査でも、セルフ・コンパッションが高い人は学習志向が高いことがわかりました。問題に直面したとしても、学ぼうとする気持ちが湧いてくるのです。低い評価を受けたくないという成果回避志向も低くなりました。
セルフ・コンパッションは学習を促す可能性があります。何かを学ぶプロセスには失敗がつきものですが、セルフ・コンパッションがあれば失敗を受け止め、前向きに学び続けられるからです。
さらに、セルフ・コンパッションが高い人は、弱点を克服した人をロールモデルにします。自分を批判するのではなく、客観的に捉え、失敗と適度な距離を取りながら、学びに進んでいきます。
変化の激しい時代に適応するためにも、新しいアイディアを生み出すためにも、個人のスキルを高めるためにも、学習は欠かせません。セルフ・コンパッションによって失敗を恐れず学習できるようになれば、個人も組織もポジティブな効果を得られるでしょう。
セルフ・コンパッションを高めるには
セルフコンバージョンを高めるために、何をすれば良いのでしょうか。セルフ・コンパッションを高めるための実験的な操作を行っているケースは数多く存在します。被験者に対してセルフ・コンパッションを高める介入を行っていますが、その介入の仕方はセルフコンバージョンを高める上でのヒントになります。
ある研究の背景を説明すると、セルフ・コンパッションを高めることで、自分の弱点を考えた後に生じる不安やネガティブな感情が軽減されることがわかりました。被験者に弱点を考えた後の思いを記述してもらい、その内容を分析しました。
その結果、セルフ・コンパッションの介入を受けた人と受けていない人で、文章の内容に違いが見られたのです。セルフコンバージョンが高くない人は、自分の弱点について「私は人前でうまく話せない」「私はコミュニケーション能力が低い」というように、一人称単数の代名詞を使って文章を書きました。
一方、セルフ・コンパッションが高い人の特徴として、一人称複数の代名詞や社会的参照をよく用いることが明らかになりました。例えば、「私達は緊張するものだ」「周りの人も同じ経験をしているはず」といった文章が見られました。
さて、この研究では、セルフ・コンパッションを高めるための具体的な方法として、「二つの椅子」というエクササイズが行われています。このエクササイズは、向かい合わせに置かれた二つの椅子を使います。
一方の椅子では自分の内なる批判的な声を話し、もう一方の椅子では自分への思いやりのある声を発します。参加者は、交互に椅子に座りながら、批判的な声とそれに対する思いやりのある声の対話を繰り返し行います。
例えば、仕事でミスをしてしまい、上司に怒られ、同僚にも迷惑をかけてしまった状況を想定してみましょう。批判の声の椅子に座ると、「自分はなんて無能なんだろう」と自分を責めるかもしれません。
しかし、もう一方の思いやりの声の椅子に移ると、「ミスは誰にでもあることだ」「一生懸命仕事に取り組んでいるじゃないか」「次はきっともっとうまくできるようになる」と自分に優しい言葉をかけることができます。
他にも、重要なプレゼンで緊張してうまく話せなかった場面や、同僚に対して言い方が適切でなかったと反省する場面などで、同様に批判と思いやりの声を交互に対話させていきます。
二つの椅子エクササイズを行うことで、自分が自分を責めるパターンが見えてきます。さらに、意識的に思いやりの声を出すことを通して、自分の中にあるポジティブな側面にも目を向けられるようになります。
このように、批判や失敗から目を背けるのではなく、そういった声に耳を傾けつつも、思いやりのある声で自分を励ましていくことが大切です。二つの椅子エクササイズを通して、うまくいかないことがあっても自分を思いやる経験を積み重ねていくことで、セルフ・コンパッションが高まります。
問題を個人に還元しない
セルフ・コンパッションがいつも適応的であるとは限りません。場合によっては不適応になる可能性もあります。
セルフ・コンパッションは、自分に目を向けるものです。自分の失敗を自分で思いやるわけですが、それが行き過ぎると問題の責任を自分だけに帰属させてしまうかもしれません。
自分に目を向けて、自分の良くなかった点を認識しつつも、失敗は誰にでもあるものだと自分を慰めることは大切ですが、自分だけに注意が向くと、構造的な問題を覆い隠すことにつながりかねません。これは注意すべき点だと思います。
セルフ・コンパッションはあくまで個人の話です。それにとどまってしまうと仕組みの改善には至りません。結果的に、同じような失敗やうまくいかない状況が再現されてしまいます。
例えば、ミスを起こした場合、セルフ・コンパッションの観点からは自分を励まし、優しく接することが大切ですが、なぜミスが発生したのかという背景や環境を見直さないと根本的な解決にはつながりません。
自分を慈しむことはもちろん重要ですが、繰り返しミスが起こるようでは生産性も下がりますし、本人にとってもつらい経験になってしまいます。
セルフ・コンパッションは有望で可能性のある概念だと思います。しかし、個人の内面の問題にのみ閉ざされてしまうのは問題です。セルフ・コンパッションを踏まえた上で、状況を変えるための一歩を踏み出すことが重要だと思います。
セルフ・コンパッションはうまくいかなかった状況に向き合うためのエネルギーを供給する取り組みだと言えます。しかし、エネルギーだけでは意味がありません。そのエネルギーを活用して改善に進んでいくことが求められるのです。
個人と環境の両方に目を向けることができれば、セルフ・コンパッションがより意味のあるものになっていくのではないでしょうか。
Q&A
Q:セルフ・コンパッションと自己肯定感の違いを教えてください。
自己肯定感と自尊心はほぼ同じ意味で、自分を高く評価し、自分には価値があると思うことを指します。一方、セルフ・コンパッションは自分の短所や苦しみ、失敗などを優しく受け止めることを意味します。
自己肯定感は成果や成功の影響を受けますが、セルフ・コンパッションはそれらの影響を受けません。むしろ失敗した時やうまくいかない時にこそ、セルフ・コンパッションが発揮されます。また、自己肯定感は他者との比較に巻き込まれる可能性がありますが、セルフ・コンパッションは比較から解放される点が違いです。
Q:自尊心が低くてもセルフ・コンパッションが高い人はいるのでしょうか?
はい、います。セルフ・コンパッション研究では、セルフ・コンパッションと自尊心の相関を見ることで、両者が異なる概念であることを検証しています。
結果としては、中程度の相関が得られました。総じて自尊心が高い人ほどセルフ・コンパッションが高い傾向にありますが、例外もあるということです。自尊心が低くてもセルフ・コンパッションが高い人や、その逆のパターンも不思議ではありません。
Q:セルフ・コンパッションについて他者に介入する際の方法を教えてください。
講演の中で紹介した二つの椅子エクササイズに似ていますが、自分の感情や失敗の認識などをノートに書き、言語化することで、二つの声を再現することもできます。他にも、静かな場所で目を閉じ、自分を励ます言葉を言ったり、失敗について考えたり、今の感情を呼吸しながら意識したりするという方法も挙げられます。
登壇者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。