2024年1月15日
Deliberate Practice:スキル開発を高速化する熟慮的実践
Deliberate Practiceという言葉をご存知でしょうか。この言葉をどのように訳すべきか難しい問題です。いくつかの案が考えられますが、本コラムでは「熟慮的実践」と訳しておきたいと思います。
熟慮的実践とは、パフォーマンスを向上させることを目的とした、高度に構造化された活動を意味します[1]。この定義はわかるようでわかりにくく、抽象度が高くて意味内容を捉えにくいかもしれません。
そこで、熟慮的実践の特徴を挙げてみましょう。熟慮的実践は、例えば、次のような特徴を持つと言われています[2]。
- 効果的な方法が確立されている
- 明確な目標や改善点に焦点を当てる
- 現在の能力を超えたレベルに挑戦する
- 集中的に努力をして取り組む
- 改善のためのフィードバックが得られる
- 長期間にわたって継続する
特徴を見ると、熟慮的実践のイメージが湧いてきたでしょうか。より簡潔に言うと、熟慮的実践はスキルを高めるための特定の練習です。
熟慮的実践は、様々な領域でエキスパートになるために必要なトレーニングや考え方に影響を与えています。生まれ持った才能だけで一流になれるものではなく、適切な訓練と長い時間の積み重ねが必要であるという世界観を私たちに示しています。
熟慮的実践を定式化した論文においては、エキスパートが現在のパフォーマンスに至るまでの間に行った熟慮的実践が、膨大な時間になることが述べられています。例えば、音楽の世界では成人初期までに平均1万時間の実践を積み重ねているとされています。驚くべき長さです。
熟慮的実践の例
熟慮的実践は世界的に知られる概念ですが、そのきっかけとなったのはベストセラー作家による「1万時間の法則」の紹介です。子どもの教育だけでなく、ビジネスの世界でも注目され、リーダー育成の文脈においても、資質よりもトレーニングの重要性を強調する際に登場します[3]。
熟慮的実践のビジネスにおける具体例を考えてみましょう。例えば、聴衆を勇気づけ、行動を喚起する見事なプレゼンテーションを行う人がいます。この人は、生まれながらにプレゼンテーションを巧みに行えたわけではありません。
この人のように話せるようになるためには、内容の組み立て、ジェスチャーの使い方、聴衆とのやりとり、声の抑揚など、様々なスキルを高めなければなりません。
例えば、プレゼンテーションの様子を録画し、映像を見ながら話し方、身振り手振り、表情などの改善点を特定することが求められます。知り合いにプレゼンテーションを見てもらい、内容やメッセージが適切に伝わっているか、関心を惹きつけることができているか意見をもらうのも良い方法です。
プレゼンテーションでは時間管理が重要です。時間を超過すると、内容がいかに良くても問題視されます。どの部分に何分かけて話すかを計画した上で、それを何度も実践し、感覚をつかむ必要があります。
さらに、様々なタイプの聴衆の前で話をして反応を見る機会を得ること、質疑応答で多くのパターンを体験する中で、的確な回答ができるようになることも重要です。
これらの活動が熟慮的実践の例であり、熟慮的実践を積み重ねることで、プレゼンテーションのエキスパートに近づいていくことができます。
スキル開発を促す熟慮的実践
ビジネスに関するスキルを向上させるためには、具体的な目標を定め、コンフォートゾーンを超えて挑戦し、フィードバックを得ながら改善を図ることが重要です。これはまさに熟慮的実践と呼ばれるものであり、多様なエキスパートの育成に貢献しています。
企業の中で働く上で、スキルを身につけることは非常に大切です。近年、特にスキル開発への社会的な関心が高まっています。スキル開発において、熟慮的実践は重要な役割を果たします。
というのも、熟慮的実践は、特定のスキルを獲得する上で有効な学習方法を提供します。熟慮的実践を通じて自らの弱点を特定し、それに対する改善に取り組むことで、スキルが身につきやすくなります。
熟慮的実践の特徴の一つであるフィードバックは、パフォーマンスの調整にもつながります。また、コンフォートゾーンを超えて挑戦することは成長を引き寄せ、長期的な実践の継続はその効果を引き上げます。
スキル開発の一種であるリスキリングの文脈でも、熟慮的実践は役立ちます。リスキリングは、新しいスキルを獲得し、それに基づいた仕事を行えるようになるプロセスを指します。熟慮的実践をしっかり組み込むことで、リスキリングをより効果的に進められます。
リスキリングの過程には、何かしらの研修を受講することを含むケースがあります。しかし、研修で学んだことを現場で活かすのは簡単ではありません。
通常、研修での学びはすぐに減衰してしまいます。これは研修転移の難しさとして知られている問題です。これに対して、研修後に熟慮的実践に取り組むことで、この減衰を抑えられることが明らかになっています[4]。
熟慮的実践の進め方
ビジネススキルを向上させるための熟慮的実践を進めるには、どうすれば良いのでしょうか。標準的な手順があるわけではありませんが、以下に一案として、6つのステップを挙げておきます。
- 最も重要なのは目標の設定です。熟慮的実践は焦点を絞ることで、その効力を発揮します。例えば、プレゼンテーションスキルの向上や特定の業務の改善など、具体的で難易度の高い目標を立てましょう。
- その目標を達成するための具体的な実践を考えます。実践の内容や頻度、進捗の把握方法も計画に含めると、実践がスムーズに進みます。例えば、月に一度のプレゼンテーション機会を設け、聴衆の満足度を測るなどが方法として考えられます。
- 計画に基づき、集中して実践に取り組みます。ただ漫然と実践に取り組むのではなく、自分の改善点に注意を払うことが大切です。
- 実践のプロセスや成果に対してフィードバックを受け取ります。例えば、プレゼンテーションの内容や進め方について、聴衆から意見や感想を得ることが考えられます。
- 受け取ったフィードバックをもとに、自分の方法を見直し、どのように修正すれば良いかを考えて、実際に修正します。例えば、「話が単調だった」という意見を受けた場合は、抑揚を調整したり、構成を工夫したりすることがあります。
- これらのステップを繰り返しながら、定期的に自分の進捗を確認します。当初の目標に近づいているかをチェックし、必要に応じて目標や計画を変更することもあります。
過大評価される熟慮的実践
熟慮的実践は、しっかりと実行することで、多くの効果をもたらすことができます。例えば、特定のスキルを迅速に習得することが可能です。スキル獲得だけでなく、無駄のない学習方法を通じてパフォーマンスを向上させることも、熟慮的実践の魅力の一つです。
明確な目標があり、適切なフィードバックがあると、一定の緊張感を保つことができ、それが継続につながる可能性もあります。熟慮的実践の中で小さな成功体験を積むと、自信もついてくることでしょう。熟慮的実践を長期にわたって行えば、その分、大きな成長を手にすることができます。
こうした効果は、個々人の可能性を最大限に引き出し、様々な領域での成功に貢献します。しかし、それにもかかわらず、最近の研究の中には、熟慮的実践が過大評価されていると指摘するものもあります。
例えば、チェスやダーツなどのゲームでは、熟慮的実践が成果に与える影響は一定の大きさがあるのですが、より複雑な領域では、熟慮的実践が影響を及ぼすものの、その度合いは相対的に小さいことが示されています[5]。
当然のことながら、ある仕事でパフォーマンスを発揮するかどうかは、熟慮的実践だけで決まるわけではありません。様々な人との出会い、経験、資源、周囲との関係など、他にも多くの要因があります。
また、他の人と比べてたくさんの時間を熟慮的実践に取り組めば、その分、高いスキルが身につくかというと、そう単純なわけではないという報告もあります[6]。実践の累積量が成果を十分に説明するわけではないのです。
熟慮的実践は確かに個人のスキルを前進させるものですが、過剰な期待は禁物です。長時間取り組むことが必ずしも良い結果をもたらすわけでもありません。
難所としての継続性
熟慮的実践に取り組む上で、難所となるのは、それを継続できるかどうかです。熟慮的実践は高い集中力と努力を求めます。一時的にこうした実践に従事することは可能ですが、それを何年も続けるとなると、ハードルはぐっと上がります。
熟慮的実践を提唱した論文において指摘されていたように、熟慮的実践が必ずしも楽しいものではないという点も看過できません。残念ながら、私たちは誰でも苦しいことを簡単に継続できるようにはできていません。
そこで重要になるのは、熟慮的実践を通じたスキルの向上と仕事のパフォーマンスを連動させることです。熟慮的実践の成果が仕事に関連していなければ、そのプロセスにおいてリターンを得られず、継続することが難しくなります。その意味で、熟慮的実践が単なる練習になってしまうと、より苦しさが増すでしょう。
熟慮的実践に毎日などの頻度で取り組む習慣を作ることも一つの手です。つまり、ルーティンを確立するということです。そうすれば、意志の力に頼らずとも、熟慮的実践を継続できます。
同じ目標を持つ仲間との交流も有益でしょう。お互いに進捗を報告し合えば、刺激になります。支援も行うことができ、励みにもなります。
熟慮的実践そのものをバラエティ豊かにすることも効果的です。例えば、プレゼンテーションスキルを高めるための熟慮的実践について、聴衆の前で話す、カメラの前で話す、オンラインで行う、鏡の前で話すなど、多様な方法を準備することで、飽きが来にくくなります。
熟慮的実践がもたらす悪影響
ただし、ここで注意が必要なのは、熟慮的実践を継続すること自体が目的になってはいけないということです。熟慮的実践に取り組む中で、場合によっては目標自体が有効ではなくなる可能性もあります。
これは極端な例かもしれませんが、プレゼンテーションスキル自体が価値を失えば、それに向けた熟慮的実践を行うことの意義も薄れます。むしろ、他のことに取り組めない分、パフォーマンスが下がることさえあるでしょう。
他にも、熟慮的実践にはリスクが伴います。熟慮的実践の良い点は、目標を絞り込むことに起因していますが、そのことは他の選択肢を見逃しているという見方もできます。
要するに、視野が狭くなるかもしれないのです。実際に、熟慮的実践がイノベーション・パフォーマンスに良くない影響を与えることを示唆する研究もあります[7]。
また、高い集中力と努力を求める熟慮的実践が過度になると、ストレス負荷が大きくなり、場合によっては燃え尽き状態に陥ることがあり得ます。
熟慮的実践は自分の弱点に向き合い、それを改善することに意義がありますが、それが過ぎると、自分を肯定的に評価することが難しくなります。これは自尊心の低下になり、結果的にモチベーションも下がるかもしれません。
これらのリスクを小さくするためには、熟慮的実践にのめり込みすぎないことが大事です。自分の限界を認識し、時には休息を取りながら、また他の選択肢に目を向ける時間を取りながら進めることが望ましいと言えます。
熟慮的実践の恩恵を受けやすい仕事
最後に、熟慮的実践が向いている仕事とそうでない仕事について考えてみましょう。
熟慮的実践が功を奏す仕事の特徴として、まず挙げられるのは、高度なスキルが求められることです。専門性の高い仕事は、熟慮的実践の恩恵を受けやすいと言えます。
パフォーマンスがはっきりと現れ、客観的に評価しやすい仕事も、熟慮的実践が馴染みやすく、改善もしやすい上に、熟慮的実践によるリターンも明白になります。
しかし、多様な問題解決が求められる仕事の場合、熟慮的実践の効果は小さくなり得ます。新しい状況に常に直面する場合、熟慮的実践の反復力を発揮しにくいのです。
また、様々な人との関わりが中心になる仕事では、熟慮的実践が合わない可能性があります。一貫した勝ちパターンが見いだせない場合、何を実践すれば良いのかわからなくなるでしょう。
言うまでもなく、人が学習する方法は熟慮的実践に限られるわけではありません。省察、メンタリング、探求など、他の学習方法が適する仕事もあると考えられます。
とはいえ、すべての側面において熟慮的実践が合っている、あるいは合っていない仕事というのもないでしょう。自分の仕事のどの部分が熟慮的実践にフィットするかを正しく理解することが、その効果を引き出すために求められます。
脚注
[1] Ericsson, K. A., Krampe, R. T., and Tesch-Romer, C. (1993). The role of deliberate practice in the acquisition of expert performance. Psychological Review, 100(3), 363-406.
[2] Ericsson, K. A., and Lehmann, A. C. (1999). Expertise. In Runco, M. A. and Pritzker, S. R. (Eds.), Encyclopedia of Creativity. San Diego, CA: Academic Press.
[3] Ericsson, K. A. Prietula, M. J., and Cokely, E. T. (2007). The making of an expert. Harvard Business Review, 2007(July-August), 1-7.
[4] Bilal, A. R., and Fatima, T. (2021). Deliberate practice and individual entrepreneurial orientation training retention: A multi-wave field experiment. European Journal of Work and Organizational Psychology, 31(3), 352-366.
[5] Macnamara, B. N., Hambrick, D. Z., and Oswald, F. L. (2014). Deliberate practice and performance in music, games, sports, education, and professions: A meta-analysis. Psychological Science, 25, 1608-1618.
[6] Molenaar, P. C. M., Huizenga, H. M., and Nesselroade, J. R. (2003). The relationship between the structure of interindividual and intraindividual variability: A theoretical and empirical vindication of developmental systems theory. In Staudinger, U. M., and Lindenberger, U. (Eds.), Understanding human development: Dialogues with lifespan psychology. Kluwer Academic Publishers.
[7] Zhang, H., Ayub, A., and Iqbal, S. (2023). Creative self-efficacy – a double-edged sword: The moderating role of mindfulness between deliberate practice, creative self-efficacy, and innovation performance. Business Process Management Journal, 29(7), 2059-2080.
執筆者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。