2024年1月4日
人事の”流行”を科学する:新しい概念・現象が注目を集め、廃れるメカニズムとは(セミナーレポート)
ビジネスリサーチラボは、2023年12月に「人事の”流行”を科学する:新しい概念・現象が注目を集め、廃れるメカニズムとは」と題したセミナーを開催しました。
エンゲージメント、心理的安全性、人的資本・・・。人事領域では、様々な概念や現象が人々の注目を集めます。
長きにわたって、実践に影響を与える概念や現象があります。その一方で、すぐに廃れるものもあります。
人事領域における「流行」は、どのように起こり、鎮まるのでしょうか。また、私たちは、そうした流行とどう付き合っていけば良いのでしょうか。
ビジネスリサーチラボ代表取締役の伊達洋駆が人事領域における流行について解説を行いました。
※本レポートはセミナーの内容を基に編集・再構成したものです。
なぜ流行は生まれ、廃れるのか
「人事は流行に従う」そして「組織は戦略に従う」という言葉はご存知ですか。ある種、格言めいた言葉ですが、前者は大手前大学の平野先生が著書で触れているものです。後者はドラッカーが述べたものです。
これらの言葉通り、人事領域で働く皆さんは、毎年新しいトレンドが出現しているのを実感していることでしょう。
例えば、人事領域で見られるトレンドを挙げてみましょう。職能資格制度、年俸制、目標管理制度、ジョブ型雇用、リスキリング、エンゲージメント、心理的安全性、キャリア自律など、古くから現在に至るまで、枚挙に暇がありません。
本日は、こうした人事の流行について考察しますが、その際にマネジメント・ファッション研究を参照します。特定のマネジメント手法がなぜ広まり、どのように広まるかを検討する領域です。
流行という表現には、少なからずややネガティブな響きもあります。しかし、人事の流行にはポジティブな側面もあります。流行を取り入れることによって、時代の要求に応え、環境の変化に対応できるかもしれません。
例えば、人事トレンドを取り入れることで、求職者を引きつけ、労働市場で有利な立場を獲得することができる可能性があります。社員のモチベーション向上につながる可能性があります。
また、流行は人間の心理に深く根ざしています。例えば、新しいものへの興味、取り残されることへの恐れ、自己実現の手段など、様々な心理が絡み合って流行は生まれていきます。
とはいえ、全ての流行が定着するわけではありません。下火になるものもあります。その理由としては、いくつか考えられます。
人事側から見ると、実践してみて役に立たないことが判明することがあるでしょう。新しいトレンドに目移りすることもあります。
HR事業者側からは、流行を広める経済的メリットが低下することがあります。あるいは、新しいトレンドを普及させる方が有利になることもあり得ます。このように流行の沈静化は、人事側とHR事業者側の両方の理由によって起こります。
流行が広まり、消えるプロセス
流行がどのように広まり、そして消えていくかを掘り下げてみましょう。マネジメント・ファッション研究を参照すると、流行のプロセスは5つに分けて整理できます。
誕生
1つ目は「誕生」です。これは新しい考え方が生まれることを指します。ある企業の人事部において新しいアプローチや取り組みが始まります。
ただし、この段階では、まだ人事領域全体で注目されることはありません。一角で静かに新しい動きが始まっている状態です。
「オンライン採用」を例に取ってみましょう。ウェブ面接やオンライン説明会といった実践は、インターネットの普及とともに発展してきたのですが、当初、多くの人がこの新しい方法を意識していたわけではありません。
オンライン採用はもともとグローバル企業で実践されていました。異なる国の候補者と面接する際、毎回飛行機で移動するのは大変です。往復の時間や日程調整の難しさから、ウェブ面接が活用されていました。
ところで、こうした新しいトレンドはどこから生まれてくるのでしょうか。なかなか興味深い問題です。HR事業者がトレンドを作り出していると思うかもしれません。
しかし、実際HR事業者が流行に本格的に関与するのは、次のステップ以降です。先ほどのオンライン採用の例に典型的に現れているように、新しいトレンドは、人事部門のような需要側で生まれるのです。
発信
2つ目は「発信」です。これは、新たに生まれたトレンドが言葉になって出回り始める段階を指します。
供給側すなわちHR事業者が、新しいトレンドについて情報を発信したり、需要側すなわち人事部門が、自社の取り組みを概念化し、それを広めようとしたりします。
先ほどの話を引き継ぐと、ウェブ面接といった言葉は、発信に際した概念化の例です。この言葉は、インターネットを介した面接の一連の実践を簡潔に表すもので、こうした概念化に伴い、サービスが生まれるなど、新しいアイデアや方法が広く知られるきっかけができます。
この段階で、供給側のHR事業者は重要な役割を果たします。需要側である人事部門が行う様々な取り組みを把握し、他社にも活用できるかを評価します。
需要側の人事部門が新しい実践を生み出し、供給側のHR事業者がその中から重要なものを選んで、それを広く発信することで、トレンドがより明確に定義されていきます。
伝播
3つ目に、新しいトレンドが爆発的に普及する「伝播」というフェーズに入ります。トレンドに対する支持が増えるにつれ、その影響力は雪だるま式に拡大していきます。この現象は「バンドワゴン効果」と呼ばれます。
例えば、オンライン採用というトレンドは、新型コロナウイルス感染症の影響で急速に注目されました。対面での面接が困難になった中、オンラインでの面接方法が注目され、多くの企業によって導入されるようになりました。
ただし、伝播のプロセスを詳細に見ると、そこには紆余曲折が伴います。初期の熱狂が一旦落ち着き、一部の人々に失望が広がる幻滅の谷や、新しいトレンドを早期に取り入れた人がその利益を実感し始めて普及が加速する啓蒙の坂などがあります。
なお、伝播の中では、マネジメント・グルが主導的な役割を果たすこともあります。マネジメント・グルには大きく3つの種類があります。
第1にアカデミック・グルで、著名な研究者が新しいトレンドの価値を伝えます。第2にコンサルタント・グルで、HR事業者の有名人がその普及に努めます。第3にヒーロー・マネジャー・グルで、人事部門のインフルエンサーが伝播に関与します。
定着/収束
4つ目に移りましょう。トレンドが爆発的に広まった後の流れは大きく二つの方向があり得ます。
一つは、流行が持続し、定着する道です。一つの慣習として受け入れられるようになります。もう一つは、流行が次第に冷めていき、最終的にはほとんど消えてしまう道です。
オンライン採用で考えてみます。新型コロナウイルス感染症が5類に分類されたことにより、対面での面接や説明会が復活してきました。
このことから、オンライン採用が下火になったと捉えることもできます。一方で、都市部の大企業における初期選考では、オンライン採用が定着したとも言えます。
再生
流行は一度消え去っても、それが永遠に戻らないとは限りません。再び生まれ変わることもあります。
また、全く同じ形ではなく、新しい言葉で再流行することもあります。以前に存在した考え方に新しい用語が付けられ、それが広まることで、再生するのです。いわば「古いワインを新しいボトルに詰める」状態と表現できるかもしれません。
どんなものが流行しやすいか
これまでのプロセスに従って、全てのトレンドが最後まで進むわけではありません。中にはほとんど注目されずに終わるトレンドもあります。それほど広まらないトレンドも存在します。
どのようなトレンドも必ず広がるとは限らないのです。流行しやすい特徴を持つトレンドがあれば、そうでないものもあります。
ここで、どのような特徴を持つトレンドが流行しやすいのかを考えてみましょう。マネジメント・ファッション研究では、例えば、5つの条件に当てはまるものが流行しやすいと言われています。
- パフォーマンス向上の約束:例えば、人事領域で、エンゲージメントの概念が広まった際、それが企業のパフォーマンス向上に貢献するという主張が同時に普及しました。
- 有名な成功企業の存在:例えば、心理的安全性が広まる上で大きな役割を果たしたのはグーグル社です。グーグル社のプロジェクト・アリストテレスは、この概念の広がりに貢献したと言えるでしょう。
- 普遍的な適用可能性の強調:限定された領域でのみ使える概念は伝播しにくいものです。例えば、ダイバーシティ&インクルージョンは適用範囲が広く、普及しやすいと考えられます。逆に、特定の業界や職種にのみ適用可能な概念は、なかなか広がりません。
- タイムリー・革新的・未来志向の印象:例えば、AIによる分析を含むトレンドは、現代的でイノベーティブなイメージがあり、流行しやすいかもしれません。
- 解釈の余地があること:解釈の幅が広いトレンドは、曖昧さを持ちつつも多くの活用法が可能であるため、流行しやすくなります。例えば、エンゲージメントや人的資本は多様な解釈が可能であり、そのために広く受け入れられています。
実践と切り離される流行
マネジメント・ファッションの普及とは、例えば、「ジョブ型雇用」や「人的資本」などのように、言葉が広まることを意味します。この点は、人事の流行を考える上で重要なポイントになります。
言葉が流行ったとしても、それが組織内で実際に実践されるかどうかは別問題です。言葉と行動の不一致が生じることがあります。流行は広まるものの、実践からは切り離されているという現象が起こり得ます。
こうした現象を「脱連結」と呼びます。脱連結とは、公式的な方針と実際の慣行が異なる、すなわち、両者の連結が外れている状態を指します。
例えば、会社が公式にテレワークを推進すると言っていても、実際の仕事で対面のすり合わせが必要になる場合、水面下で対面でのやりとりが続けられるでしょう。
脱連結は、ある意味で合理的です。公式的な方針を掲げることで、会社が先進的であるかのように見えます。例えば、「うちの会社はテレワークを推進しています」と公言すると、働き方の柔軟性を持つ会社に見えます。
トレンドを取り入れることで、きちんとしている会社だと思ってもらえます。それが実践されていなくても、経営層からの信頼を得たり、求職者を惹きつけたりすることもできます。さらに、会社の評判が高まったり、宣伝した人の報酬が上がったりすることも示されています。
しかし、流行が現場で適用されるかというと、そう簡単にはいきません。結果的に、組織は舞台裏では公式的な方針を取り入れず、実践に落とし込まないのです。マネジメント・ファッション研究では、新しい流行がいかに良いものであると広く言われている一方で、それを実践している企業が少ないことが指摘されています。
脱連結については、トータル・クオリティ・マネジメント(TQM)が研究上の事例として有名です。TQMにおける特に統計的手法が難解で、マネージャーや社員から抵抗に遭うことがあるようです。そのため、TQMは十分に実践されないのですが、一部の成功事例が経営層に伝わり、組織全体としてはTQM導入で成功したとアピールされることがあります。
流行り廃りは短くなっているか
続いて、流行のサイクルが短くなっているかについて見ていきましょう。最近、新しいトレンドが現れてはすぐに消えていくような印象がありませんか。
結論から言うと、マネジメント・ファッションのサイクルは、近年になるほど短くなっています。つまり、流行り廃りの波がどんどん短くなっているのです。新しく流行るものが早く見切られたり、放棄されたりする傾向が強まっています。
ただし、例えば、生産性向上を約束するマネジメント・ファッションは、サイクルが短くなりがちである一方で、人間性を豊かにするマネジメント・ファッションは、相対的に長く続きます。
全体としては、マネジメント・ファッションのサイクルが短くなっているのですが、これはなぜでしょうか。
一つの理由は、時間に対するプレッシャーです。競争の圧力が増し、時間的な切迫感が高まっているため、新しいことに取り組む必要があります。このような状況が、流行のペースを速めています。
もう一つの理由は、ソーシャルメディアの影響です。ソーシャルメディアの普及により、人事系のインフルエンサーが増え、特定のソーシャルメディア上で流行が生じやすくなっています。
その結果、人事の流行が以前に比べて範囲が狭まり、サイクルが短くなっています。小さな流行が多くなり、それらは短いサイクルで終わることが多いのです。
流行とどう向き合えば良いか
流行には変化への適応という良い側面もありますが、流行にただ追随することは必ずしも良いことだけではありません。先ほど、流行に追随することで「脱連結」が生じ、実践が伴わないという事例を紹介しましたが、他にも問題点が存在します。
会社にはそれぞれの目標や戦略があります。流行を無節操に取り入れると、目標や戦略と乖離したトレンドを採用してしまう可能性があります。これにより、目標達成や戦略の実行が難しくなるかもしれません。
さらに、効果が低い流行に投資することになりかねません。その末に、組織的に無駄や非効率が生じる場合もあります。
また、次々と新しいトレンドを取り入れることは、組織や個人にとってストレスや混乱を招くことがあります。組織変革は大変な作業です。
それでは、流行にどのように対応すれば良いか考えていきましょう。流行に近づきすぎず、しかし遠ざかりすぎず、適切な距離を保つことが重要です。具体的にどうすれば良いかというと、いくつかの方法があります。
- 批判的検討:新たなトレンドが出てきた時に、その有効性をしっかりと考え、自社に合っているかどうかを検討します。
- プリンシプルの参照:自社の人事プリンシプルを定め、それに基づいて、新しいトレンドを評価することです。これにより、自社の価値観に合わないトレンドを採用するリスクを避けることができます。
- データドリブン:流行している概念や実践が本当に効果的かどうかを、データに基づいて検証します。
- 学術研究との照合:アカデミックな議論を参考にして、流行の概念を検証することで、振り回されることを防ぎます
- 長期的な視点:中長期的な目標や戦略を定めます。それに基づいてトレンドの採用を判断します。短期的な成果にとらわれると、流行に振り回されがちです。
- 社員の声:組織サーベイやインタビューを通じて、社員の意見を収集します。それを基にトレンドの採用を検討します。
- 継続的な学習:流行が自社に合っているかを考えるためには、幅広い知識が必要です。学びをやめないことが大事になります。
- 副作用の検討:新しいトレンドを取り入れるかを吟味する際に、良い効果だけでなく、潜在的なリスクも考慮に入れることが重要です。
これらのポイントを意識して、流行に対して適切な距離を保つようにしましょう。
最後に、皆さんに流行に対する姿勢についてお伝えしたいと思います。流行を取り入れる目的の一つは、組織変革です。流行への対応は、組織変革に対する姿勢が反映されます。
「ピースミール・ソーシャル・エンジニアリング」というアプローチを紹介しましょう。社会の課題に対して小さな変更を加えていく方法です。一度に大きく変えるのではなく、少しずつ変化を加えるという考え方です。変更を行った後に、その結果を観察し、さらに少しずつ改善していくというステップを踏みます。
なぜこうしたアプローチが提唱されているかというと、現実は複雑で多様であり、多くの利害関係者が存在し、矛盾やパラドックスが多いためです。大きな理論や思想に基づいて一気に物事を変えようとすると、うまくいきません。
これは、人事の世界も同じです。一つのトレンドを取り入れるだけで、全てがうまくいくことはありません。少しずつ改善していく姿勢で、人や組織に向き合いたいところです。
ピースミール・ソーシャル・エンジニアリングの考え方で組織変革に向き合えば、流行に対して良い距離感を保つことができるはずです。
実際に変えられるのは、少しずつです。様々な流行があったとしても、その一部を自社に合わせてカスタマイズしたうえで取り入れて確認するという流れで、流行に着実に対応するのが良いでしょう。
Q&A
Q:人事領域では様々なトレンドが毎年現れますが、注意すべき流行はありますか?
特定の条件に当てはまると、その流行から距離を取るべきだという一般的な原則はないでしょう。しかし、考えようはあります。
例えば、私が先ほど紹介したように、まず自社の組織戦略や人事プリンシプルを定めます。そうすると、それに反するものは注意が必要な流行と考えることができます。
乖離しているトレンドを導入すると、組織内で混乱が生じたり、戦略の実行が難しくなったり、価値観が守られなくなるリスクがあります。
Q:流行と良い距離を保つために学術研究を参考にすることが有効だと伺いましたが、具体的にどうすればよいですか?
人事実務に忙しい中で学術論文を読むことは時間がかかる上、慣れていないと難しいかもしれません。
そこで、まずは、特定のトレンドに関連する学術的な概念を探すことから始めてみてはどうでしょうか。例えば、「静かな退職」「エンゲージメント」「キャリア自律」などに対応する学術的な概念は何なのかを探してみます。
例えば、「エンゲージメント」というトレンドに対しては、「ワーク・エンゲイジメント」や「組織コミットメント」といった研究が行われています。
アカデミック・グルが発信している情報を調べるのも一つの方法です。トレンドのテーマや研究者の名前で検索することで、役立つ情報を見つけることができるかもしれません。
Q:今後の人事領域で流行しそうなものは何ですか?
これは難しい質問です。私は流行をテーマにセミナーを行いましたが、これは流行を予測できるという意味ではありません。正直に言って、今後何が流行るかは私にも分かりません。
ただし、参考になる視点は提示できるかもしれません。マネジメント・ファッションは、供給側からではなく、需要側から生まれてきます。
このことを踏まえると、人事担当者同士で情報交換を行うことが大事だと分かります。最近の取り組みについての情報交換は、今後何が流行るかを見極めるための手がかりになるでしょう。
さて本日は、人事の流行について、そのメカニズムや、どのように距離を保つべきか、流行の中で何が起こっているのかをお話ししました。特殊なテーマのセミナーだと思いますが、ご視聴いただき、ありがとうございました。
登壇者
伊達 洋駆 株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。