2023年7月25日
女性活躍推進の最前線:研究成果とその実践(セミナーレポート)
ビジネスリサーチラボは、2023年6月にオンラインセミナー「女性活躍推進の最前線:研究成果とその実践」を開催しました。
本セミナーでは、女性活躍推進研究の第一人者である正木郁太郎氏(東京女子大学現代教養学部心理・コミュニケーション学科心理学専攻 専任講師/株式会社ビジネスリサーチラボ テクニカルフェロー)と当社代表取締役の伊達洋駆が登壇し、女性活躍推進に関する研究の概況やホットトピックについて対談形式で議論しました。
※本レポートはセミナーの内容を基に編集・再構成したものです。
登壇者
正木郁太郎
東京女子大学現代教養学部心理・コミュニケーション学科心理学専攻専任講師。株式会社ビジネスリサーチラボ テクニカルフェロー。東京大学大学院人文社会系研究科博士後期課程修了。博士(社会心理学:東京大学)。組織のダイバーシティに関する研究を中心に、社会心理学や産業・組織心理学を主たる研究領域としており、企業や学校現場の問題関心と学術研究の橋渡しとなることを目指している。著書に『職場における性別ダイバーシティの心理的影響』(東京大学出版会)がある。
伊達洋駆:株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。
『職場における性別ダイバーシティの心理的影響』のポイント
伊達
本日のセミナーでは、女性活躍推進をテーマに据え、研究の最新動向や注目すべきトピック、そして個々の企業が取り組むべき女性活躍推進の方略について、またアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)についても検討します。今回は私と正木さんの二人で進めていきます。
女性活躍推進の研究に関しては、正木さんが私よりも遥かに詳しいので、セミナーでは私から正木さんに質問を投げかけ、そこから対話を通じて様々なポイントを提示していきます。最終的な「結論」を出すのではなく、いくつかの論点を提出することを目指しています。
早速ですが、対談の本題に入ります。正木さんは女性活躍推進のテーマに深く取り組んできており、博士課程での研究では「性別ダイバーシティ」に焦点を当て、その成果を博士論文にまとめました。そして、書籍「職場における性別ダイバーシティの心理的影響」を出版されています。
書籍の内容は、博士論文が基になっており、多岐にわたる議論が含まれています。その全てについて詳細に説明しようとすれば、今回の対談だけでは収まりません。正木さんが特に重要と考えるポイントをいくつか教えていただければと思います。それが正木さんの自己紹介にもつながると考えています。そこから話を始めていただけますか。
正木
簡単に3点に絞ってご紹介します。1点目は、この本の核となる問題意識にも通じる点になるのですが、社会心理学の研究を見てみると、”似た人々がチームを組んだときの方が一体感が高まる”とされています。もちろん、それが必ずしも良い結果を生むわけではなく、問題点も存在するのですが。
私がこの研究を始めたのは2015年頃ですが、当時は「多様な人々が集まれば企業にとって必ず利益となる、良いチームが出来上がる」という考えが一般的でした。しかし、人間やチームの集団心理を考慮すると、そんなにうまくいかないのではと疑問を持っていました。実際に様々な研究を調べていくと、多様な人々が集まったチームが必ずしも良い結果を生むわけではないということが分かりました。
お互いに属性も価値観も違うような人たちが集まれば、プラスのこともマイナスのことも生じます。では、実際にどのようなことが起こるのか。そして、マイナスが生じた際にも、そのマイナスをどのようにセロやプラスに変えるか。このことを取り上げたというのが1点目の特徴です。
2点目として、この本や博士論文を書く際に約10社の方々にご協力いただいて調査を行いました。調査結果は非常にシンプルで、”各社によって状況が異なる”という結論が導き出せました。
例えば、社員のエンゲージメントや仕事へのモチベーションについて、男女間で大きな差がある企業もあれば、差がない企業も存在します。したがって、「女性はこう、男性はこう」といった形で一律の解決策を提供するのではなく、各企業の状況を詳細に理解する必要があります。このことが、第二点目の特徴となります。
3点目は、ダイバーシティの影響を好転させるための組織風土についてです。組織風土を作る際、インクルージョンを重視するべきか、それとも特定の集団(例えば女性)をエンパワーするべきかは、企業ごとに異なります。例えば、男性と女性の間に大きな差がある企業では、女性に焦点を当ててエンパワーする取り組みが必要となるかもしれません。一方、男女間の差がない企業で「女性」を強調した風土づくりをすると、性「平等」との違和感から逆にコンフリクトが生まれる可能性もあります。このような会社では、属性を問わずすべての人の個性を尊重し、フェアに扱うことが重要となります。
各企業の特性に基づいた取り組みが求められ、万能の解決策は存在しないということが、3点目の特徴となります。以上が本書の主な特徴です。
伊達
ありがとうございます。ダイバーシティがパフォーマンスにつながるのか、それとも逆にネガティブな結果に直接つながるのかという点については、一貫した結論が出ていないということですね。各企業でどのように異なっているのか、本書ではこの点を多角的に検討しています。
企業ごとに適した女性活躍推進策は異なるが、具体的な方針は
伊達
正木さんのお話の中で、企業ごとにダイバーシティやインクルージョンの推進方法について、唯一最善の方法が存在するわけではないといった点がありました。どの企業でも「この進め方をすれば絶対に成功する」というものは見つけられないということです。
また、正木さんが挙げた論点の中に、多様な人々を受け入れる風土と、女性をエンパワーメントする風土の二つがあるという話もありました。どちらの風土がよりフィットするかは企業によって異なる可能性があるということですね。
これらの点を総合してうかがいます。「このような企業なら、このような女性活躍推進の方針を取ると、うまくいきそうだ」という、企業の特徴と推進方針の種類を対応づける形で、現在分かっていることを教えていただけますか。
正木
はい、その点については、私が博士論文を書いていた当時と現在の結論は大きく変わっていません。また、国際的な研究トレンドが劇的に変わっているわけでもありません。考えられる二つの方針として、第一に、マイノリティの人々をエンパワーメントする、つまり特定の属性に注目するという方針があります。
一方で、属性を取り上げるというよりは、人それぞれが異なる個性を持っているので、それぞれをフェアに扱い、その個性に基づいて進めていくという方針もあります。これら二つの大まかな方向性があり、それぞれ細かいアレンジが可能です。
では、自社や自身の組織がどちらの方向性を取るべきか考える際には、過去・現在・未来の観点から分析してみるのが良いと思います。それぞれ具体的には以下のような内容を指します。
「過去」とは、これまで企業がどのような方針を取ってきたか、特定の属性に基づいて何らかの方針を採用してきたかということです。例えば、元々総合職と一般職に分かれていたか、あるいは全員がプロフェッショナルで、実績主義の環境だったかなどです。これまでの歴史から大きく離れた施策を打つとすぐにうまくいくとは限らないため、過去の方針を考慮することが重要です。
「現在」とは、現在の労働観や求める仕事の内容、エンゲージメントの度合いなどを考慮することです。例えば、男性と女性で求めるものが大きく異ならない場合、性別に基づいて施策を打つと新たな問題が生じかねないため、現状を適切に分析することが必要です。
ただし過去・現在の状態に合わせるだけでなく、先々「どうありたいか」を考える必要もあります。「未来」とは、どの方向性に向かって進みたいのかを考えることです。職種やコース、働く価値観の違いなどを区別するような方針を取るか、(属性の違いに関わらず)全員が一体となって活躍する方針を取るかなど、組織のあり方や、多様な人々の協働のあり方を考えることも重要です。そして、その方向性は過去と現在の状況に基づき、長期的な視点で決定することが望ましいでしょう。
これらの三つの視点を合わせて、冒頭にお話しした二つの方針のどちらを選択するか整理することが現実的な策であると思います。
伊達
なるほど。属性による違いの有無が一つの分岐点となりそうですね。過去と現在において、今回の場合は特に男女による違いが、仕事の違いや心理的な違いなどに影響しているかどうかを考察するということですね。
例えば、男女間に違いがないとみなされるのであれば、評価基準は別の軸に移るでしょう。「性別は関係なく、成果を出せば評価される」というように、評価は性別よりも成果に基づくものになる企業もあるかもしれません。
もう一つ考えさせられる点は、未来の展望ですね。ダイバーシティについて、今後どう進めていくかということです。役割をはっきりと分ける方向性と、全員が活躍しつつ混ざり合う方向性の二つがあると思います。
この二つの論点、つまり「属性による違いがあるかどうか」と「分けるか・一律か」という視点について、もう少し掘り下げましょう。
正木
理解しやすいのは、後者の「分けるか、一律にするか」という議論ですね。まず「分ける」という選択については、社会的に様々な議論があります。分けることが是なのかというと、例えば、「女性活躍推進として、管理職に女性を登用するべきだ」という風潮がある中でハレーションを生む可能性もあります。
しかし、分業・役割分担を推進することが必ずしも悪いとは限らないと思います。そこで働く人々が「私はバリバリ働きたい」「私はゆとりを持って働きたい」といったように、自分に合った働き方を選べるようにすることが重要です。
属性による偏りが出ることは問題ですが、自分自身にフィットした働き方を選べるようにすべきだと思います。また、男性でも女性でも、ライフステージにより働き方が変化する可能性もあるので、柔軟な選択が可能な環境を提供することが、結果的に組織で働く全員にプラスになるのではと思います。
一方で、「みんな一緒」に扱うという選択については、無理に役割を分けるような施策を導入しない方が、問題を起こさないかもしれません。例えば、子育て中の人々にテレワークを努力義務にするといった議論がありますが、これも例えば元々フェアで実力主義な会社だと問題になる可能性があります。生産性やウェルビーイングの向上のためにテレワークを活用するなら、そこに「配慮されるべき理由」かどうかによる違いを設けるべきか、という議論です。そうした会社の場合、子育てなどに理由を限らずに、自分に合った働き方を自分自身で選ぶことができるような環境を作ることが重要だと思います。
つまり、前者のようにそれぞれの属性によって人々を分けるのであれば、「違い」を固定化せず、自分の意思や能力、努力でそれを超える機会も提供するべきです。他方の後者のように一律に扱う場合でも、その方針に反する施策を取らず、一貫性を保つ方が効果的だと考えます。このバランスが重要なポイントだと思います。
伊達
例えば、役割で分けるケースでも、個性をフェアに扱うケースでも、それぞれが本人の意思と能力に基づいて選ばれているのであれば、それは必ずしも問題ではありません。本人が選択し、それが自発的であり、また能力に合っているのであれば、大きな問題にはなりにくい。
一方で、暗黙のうちに役割が分けられてしまっている企業もあります。本人が「実はこういう仕事をしたい」という意思を持ち、その能力があるにもかかわらず、属性という別の基準で評価されてしまい、結果としてその仕事ができない。これは問題だと思います。
バイアスが強い社会における「公正な評価」とは
伊達
この議論に関連して、ひとつ難しい質問も頂きました。「企業によっては、属性による差異を強調しないというケースもあるとのことでしたが、これはインクルージョン、つまり個性を尊重する部分でしょうか。また、管理職が少なく、家庭や社会におけるバイアスが強い社会において、男女関係なく個人を公正に評価しようとするのは適切なのでしょうか」という質問です。
正木
ありがとうございます、非常に難しいポイントを含むご質問ですね。私の個人的な意見として述べさせていただきます。伊達さんの話と重複しますが、属性により不利な状況にある人々が物理的にその不利を解消できる手段が存在するなら、その手段を提供すべきだと思います。これには金銭的補助や、身体の不自由さを補うための社内施設の改善などが含まれます。
そして、家庭や社会におけるバイアスが強い社会で、男女関係なく個人を公正に評価しようとするのは適切なのかという問いについてですが、ここでは「社会全体として何をすべきか」と「一企業として何をすべきか」を区別することが現実的な解決策へとつながると思います。
特に日本社会では、家庭や社会におけるバイアスが強いと言えます。女性に対するバイアスと同時に、男性にも大黒柱として働かなければならないというプレッシャーが存在します。これらのバイアスは社会全体の歪みとして存在し、それぞれの企業はこの歪みをどう対処するかを問われます。バイアスの影響が比較的に少ない企業や組織がある一方で、例えば伝統的な大手企業などは、社会全体の歪みを背負う形になっていることもあります。
こうしたことを踏まえると、「男女関係なく個人を公正に評価しよう」という考えは、外資系企業やフェアネスの高い企業では可能かもしれませんが、社会全体として日本に当てはまるわけではないでしょう。
そのため、社会全体のバイアスを強く反映するような、例えば歴史が長く、地域社会と密接に関わるような企業においては、男女関係なく個人を公正に評価するというよりは、むしろ女性をエンパワーメントするアプローチが重要になると思います。このように、社会全体と企業個々とで議論を分けて、「自社がどうか」に焦点をあてなければ、現実的な解決策には到達しないでしょう。
伊達
社会全体と各企業の議論を分けて考えるべきという意見に私も賛成です。各企業は様々な歴史や考え方を持っています。企業のダイバーシティが市場にあり、労働者が自分に合った企業を選べることが重要だと思います。
各企業は自分たちなりの施策を打ち出し、その背後にある考え方を明確にしておきたいところです。それを理解した上で労働者が企業に入る。ただし、選ばれにくい・選ばれやすいという差は出てくると思います。
“男性的”な働き方をする女性リーダーが評価される傾向について
伊達
「女性リーダーが多い会社でも、『男性と同じ働き方・考え方をする』女性、つまり『中身が男性』であると評される人々だけが上に昇進するというケースが多いように感じます。これについてのご意見をお聞かせください」という質問をいただきました。
正木
この状況については、私自身も明確な答えを持っていません。社会全体としては望ましくないと感じますが、もし企業内の人々がその状況を受け入れているのであれば、それはそれで問題ではないとも言えます。つまり男女ともに「男性的に働くことが『仕事』だ」と受け容れている会社があるならば、そこでは問題は少ない・無いのではないかと思いました。このように、企業レベルではある程度ばらつきはあっても良いと思うものの、社会全体としての施策については、さらなる検討が必要だと感じます。
伊達
私はこの点について最近考えていることがあります。長時間働くことが評価され、昇進するという状況になっている企業は少なくありません。このような状況下では、プライベートで時間が必要な事情があると、長時間労働が難しくなり、評価されにくくなります。
しかし、実際、長時間働くことで成果が上がりやすい仕事と、そうでない仕事があります。例えば、長時間労働が成果に繋がりやすい仕事の中に「経営者」があります。そう考えると、長時間労働が評価される仕組みというのは、要は「あなたは経営者にどれだけ近いんですか」ということを問われる仕組みになっていると言えないでしょうか。
当然ながら、全員が経営者になるべきというわけではありません。経営者を目指さない人のためのキャリアパスや評価軸を作ることが重要ですね。
「女性のエンパワーメント」とは
伊達
「先ほど『女性をエンパワーメントする』という表現が出てきましたが、具体的にはどういうことを指すのか」というご質問がありました。
正木
私の説明がやや不十分だったかもしれませんので、補足をいたします。最近のダイバーシティに関する国際的な研究では、「ダイバーシティとどう向き合うか」という考え方に、大きく二つの道筋が提唱されています。一つ目は、特定の属性に基づいて人々を捉え、違いを意識し、尊重するものです。これは女性に限らず、障害者であったり、年齢の違いであったりと、あらゆる属性が該当します。このアプローチでは、属性による違いや強みを重視し、特定の属性を持つ人々にサポートを提供したり、属性を考慮した取り組みをします。
例えば、そうした属性の一つとして性別を取り上げた場合、女性向けのリーダーシップ研修や、女性対象の何かしらのケア施策、あるいは女性の管理職登用やクォーター制などが含まれます。これは、性別やカテゴリーに基づいて人々を選別し、何らかの不利な立場にある人々に特別な支援を提供する考え方です。これを私は「特定の人たちをエンパワーする施策」と呼んでいます。
伊達
特定の属性の人を優遇するというイメージでしょうか。
正木
そうですね。特定の属性を持つ人々を優遇したり、属性を重んじる理由は様々で、例えばその人々が特定の分野で不利な立場に置かれているために支援が必要だったり、その能力を更に伸ばすために優遇が必要だったりという議論があります。
一方、優遇するアプローチとは対照的に、フェアに扱うことを重視するアプローチも存在します。伊達さんが先ほど述べたように、自分に合った働き方を自分で考えるというスタイルもありますし、人それぞれ個性があるのだから、属性をあえて見ない、という考え方もありえます。例えば、「私は少し控えめに働きたい」という人は、性別に関わらずそのように選択できますし、逆に「今は自分を追い詰めて積極的に働きたい」という人もそのように選択できます。つまり、属性に関わらず、個々の個性を尊重し、全員に対して平等な扱いをするというアプローチです。これがエンパワーと逆の方向を向いていると言えるかどうかは定かではありませんが、女性や男性を特別扱いするのとは異なる提案です。先ほど触れた、属性を重んじる考え方のもとでのエンパワーについては「優遇する」という言葉で言い換えても良いかもしれません。
伊達
何も考えずに進めてしまうと、これらの考え方が混在し、組織内で混乱を引き起こす可能性がありますね。その結果、従業員にとっては、自社の重視するダイバーシティ&インクルージョンの方向性が分からなくなってしまいます。
「上を目指さないキャリア」の在り方
伊達
私が先ほどの言及した「みんなが経営者を目指す仕組みでなくても良い」という考えについて、いくつか質問をいただいています。
「現在部長職の女性です。皆が経営者を目指さなくても良いというところにとても納得しました。現在評価面談等で当たり前のように執行役員を目指すには、と話されることに違和感を覚えつつも、目指したくないと言い出せないところに苦しさを感じていました。多様なキャリアのあり方についてさらにヒントをいただけたら嬉しいです」というコメントをいただきました。
日本の企業や社会が考えるべき論点の一つだと思うのは、「上昇しないキャリア」の可能性です。
例えば、多様なキャリアパスを描く企業は多くありますが、それぞれのパスをよく見ると、上昇することを良しとしているんですね。上昇しないキャリアを肯定できるかという点が重要だと思います。
キャリアを必ず上にいくものとしてではなく、その場に留まることも認め、尊重することはできないものでしょうか。
正木さんは、このコメントについてどう思いますか。
正木
私が考えていることについて、自分自身でも矛盾していると感じる部分がありますので、どのようにお話すべきか迷っていました。
この点に関して比較的うまくできている会社さんを観察すると、他の人に対していい意味で「無関心」な会社さんが多いのかなという印象を持ちます。具体的には、他の人が上に上がるキャリアを目指すのであればそれを支持し、目指さないのであればそれも支持する、つまり個々の従業員が自身らしくあることを大切にするという姿勢です。無理に全員を一つか二つの枠に当てはめようとしないことが、成功している会社の特徴の一つと言えるでしょう。
先ほど私が述べた考え方には矛盾する部分があります。それは、この手法が行き過ぎると、企業は従業員を完全に放置・放任にしてしまう可能性があるということです。そうなると企業は非常に厳しい環境になるでしょう。また、キャリア支援やキャリアパスの策定という観点とは異なる方向性となり、従業員自身に「あなたは何がしたいのか」と自問自答させる方向になるので、一般的なキャリア設計とは矛盾する点が出てくるかもしれません。
最終的には「あなたは何をしたいのか」という問いを受け止め、それに応じた支援を提供できる企業であるべきだと思います。また、それをきちんと考えられる人材を育成することが大切です。実際、このようなことができている会社が多様な働き方を推進し、様々な調査で高い評価を得ています。
伊達
「『昇進しないキャリア』という考え方には大いに賛同できますが、労働力人口が激減している現状を考えると、日系企業は肯定しにくいところはありそうですね」とのコメントもいただいています。
確かに各企業の問題であると同時に、国全体の労働力や労働市場の問題でもありますね。どちらか一方に偏ると、持続可能性がありません。それでも、「昇進しないキャリア」を選択する人々を認めるのかという点は、より積極的に検討しても良いのかなと個人的には感じます。
アンコンシャスバイアスとどう向き合えばよいか
伊達
特に女性活躍推進の文脈で「アンコンシャスバイアス」について言及されることがあります。
バイアスは心理学の中で重要なトピックであり、多くの蓄積があります。正木さんはアンコンシャスバイアスに対して、どのような見解を持っていますか。
正木
この問題について、まず社会心理学ではアンコンシャスバイアスは専門的には「認知バイアス」や「非意識的なバイアス」と呼ばれます。人間は自身のイメージに合った情報をより記憶しやすいという性質を持っており、これも一種のバイアスです。実際、私が数えてみたところ、下手をすると100個、あるいはそれ以上の数のバイアスが知られているのではと思われます。人間は理性だけではなく、多くのバイアスに影響を受けて判断を下します。
それを踏まえて、ジェンダーに関するアンコンシャスバイアスには二つの論点があります。一つ目は、バイアスの測定方法についてです。例えば以前、社会心理学の学会で「アンコンシャスバイアスを測るチェックリスト」は適切なのか、という議論がありました。
伊達
議論になっていましたね。
正木
アンコンシャスなものは意識的には捉えられず、したがってチェックリストに自分でチェックをつけることは論理的には不可能です。人間の非意識的なものを数字で可視化できるということは魅力的な分、決めつけが入っていないか、しっかり測定できているかということはきちんと考えていかないと、それが新たな差別を生み出しかねません。
二つ目は、バイアスの使い方についてです。人間は自然と先入観や思い込みを持つ傾向があり、それによって複雑に思考するための労力を節約しているのではないか、と考えられています。そうした節約がなければ複雑な社会生活を送ることは困難です。これらのバイアスは人間の進化の過程で身につけてきたスキルや特性とも言えるかもしれません。
ですので、これらのバイアスを全て取り除くというのは現実的ではないでしょう。例えば社会心理学の研究で「白熊効果」というものがあります。「白熊のことを考えないでください、考えないでください」と言い続けると、ついつい頭に白熊の絵が浮かんでしまうというものです。このように、バイアスそのものの是正は非常に難しいということです。
それよりも、自分自身のバイアスを理解し、それとどう向き合うか、どのようにして「適切な行動」を取れるようにするか、といったことを考える手がかりやツールとして使う方が現実的です。
しかし、「非意識的なバイアスが強いからあなたを採用しない、昇進させない」ということになると、これも新たな差別を生む可能性があるため注意が必要です。内心で何を思っているかに関わらず、マネジメントに長けている方も多くいます。バイアスを自覚し、それをどう振る舞いに反映させるかを考えることが重要だと私は考えています。
伊達
アンコンシャスバイアスについては、潜在的なものであっても「測定すると可視化される」ことについて考えてみる必要があると思います。
例えば、「潜在連合テスト(IAT)」という手法があります[1]。例えば性別や人種などのステレオタイプを可視化するテストです。このテストは果たして何を測っているのか、きちんと測れているのか、といった議論もあります。
アンコンシャスバイアスの測定は一筋縄ではいかないことを頭の中に置いておきましょう。数値化されたものを鵜呑みにして制度を設計すると、新たな差別を呼んでいくことになり、それは本末転倒ですね。
正木
今お話しいただいた通りで、アンコンシャスバイアスを測定するというのは、歴史的にさまざまな方法が存在します。その中でも現在はIATという方法が頻繁に使われていますが、過去を見ていくと、自身が持つ潜在的な自己肯定感や自己意識を測る際に、例えば実験で参加者に自身の名前のサインを書かせ、その文字の大きさを用いて測定するといった方法があった時代もありました。そのくらいバイアスはさまざまな場面に現れる可能性があるということですが、「本当にそれでいいのだろうか」という疑問が湧くことも多々あります。
例えば、「名前を書いてください」と言ってもらったサインの字が大きいからといって、その人を解雇する、という決定が適切なのかどうかという問題が生じます。それと同じくらい、非意識的なものを測定するのは難しく、それを何かに積極的に用いると問題が生じる可能性があると思います。
人がさまざまなバイアスを持って生きているという認識は重要です。そして、それゆえに注意が必要であり、自己分析の一環として「あなたはこういう傾向があるかもしれません」というように使ったり、組織の状況を分析したりすることには役立つと思います。しかしながら、その含意や、本当にそれをもとに何らかの処遇まですることが適切なのかという問いに対する議論は必須です。
アンコンシャスバイアスという言葉が独り歩きすると危険ですし、現状、ややその傾向が見られると感じます。だからこそ、アンコンシャスバイアスとは何か、それをどういった使い方をしてよいのか、それが適切なのかということは、議論が必要であると強く感じています。
伊達
何かの行動を取った後、「何かしらのバイアスが強く作用していないか」を振り返って考えてみるのも良いかもしれません。行動を修正できます。その際にバイアスに関する知識や、自分に特徴的なバイアスを知っていれば、振り返りが楽になります。
人的資本経営におけるダイバーシティ指標の扱われ方
伊達
少し話を変えましょう。人的資本に関する開示を義務化する動きが進んでいます。女性管理職比率や、男女間の賃金格差など、性別ダイバーシティをめぐる指標も挙げられています。
また、「新しい資本主義」という方針の中で「三位一体の労働市場改革の指針」が出されました。今後の労働市場のあるべき姿を示したものなのですが、その中でも女性活躍推進やダイバーシティについて言及されていますが、開示の話も併せて指摘されています。
女性活躍推進と開示の関係について、正木さんのご意見を聞かせてください。
正木
まず、非常に強いメッセージ性があるので、ある意味、私たちが目指すフェアで、自分らしく働ける社会にしていくという上ではチャンスであると言えます。
多くの方々がこの問題に関心を持つようになったということも、このような動きのきっかけの一つかもしれません。女性の管理職比率の増加や男女間の賃金格差の是正など、性別に関わらずフェアな職場を目指すことが現在の社会に必要だという強いメッセージ性を持つものなので、社会全体でこの問題について考えるきっかけになったという意味では非常に評価できることです。そして、それがこれから社会を変えるチャンスになると私は思っています。
ただ、注意すべき点が二つあります。一つ目は、先ほども述べたように、このメッセージが本当に適切なのかという点です。女性の管理職を増やすという目標が、社会全体にとっては正解かもしれませんが、各企業の観点から見ると、必ずしも性別をあえて強調するという価値観が正しいとは限りません。
労働人口が減少する中での対策として女性の活用が重要という議論はありますが、理想的な社会とは何かという観点から見ると、実際には、男女問わず分業やサポート職に適性や志向がある人もたくさんいます。その人たちの生きる場を奪ってしまうことには慎重になった方が良いと思いますし、このメッセージが適切かどうかを考える必要があると私は思います。
二つ目の問題は、比率の開示が何をもたらすのかという点です。これは一つのゴールになり得ますが、目的と手段を混同してしまうと問題が生じます。女性の管理職比率を上げるという目標の達成自体がゴールになってしまうと、本来の目的を見失ってしまう可能性があります。
本来の目的とは、どのような組織になり、どのように利益や社会貢献を果たしたいのかということです。女性管理職が40%の組織になりたいというのは、結局のところ全ての人にとって公平な組織を作りたいという目標につながります。しかし、単に比率を上げることだけを目指すのは、問題を生む可能性があります。
そして最大の問題は、解決策が不明確であることです。極端な話、男性の管理職を全て解雇すれば、女性管理職の比率は上がります。しかし、それは当然ながら本来の目的とは異なります。それゆえ、何をすべきかという手段や解決策が明確でないまま、ゴールだけが提示されているという現状は、解決策を提示しきれていない私たち研究者側の問題でもありますが、目標だけが設定されてそれに対する解がないという状況は避けなければなりません。
無理に女性を管理職にすることで、全員が不幸になるような結果を招くことは避けなければなりません。そのためには、どのような手段があるのか、何ができるのかをきちんと考える必要があると思います。
伊達
自分たちの会社がどういう会社になっていきたいのかを明確にした上で、様々な目標を設定し、必要なものを開示するのが望ましいわけですね。
女性管理職比率を強調することの是非
正木
いただいた質問の中で考えさせられるものがありましたので紹介します。「先ほどの議論で、男女問わず管理職になりたい人、なりたくない人がいることを指摘されました。最近は若い世代の中に、新卒であっても、ワークライフバランスを重視し、管理職にならなくてもいいと思っている人が多いようです。この視点からも、管理職を目指すかどうかは個々の選択であり、性別に関係なく尊重すべきだと考えます。一方で、評価者が男性に偏っている現状で、個々の能力を適切に評価できていないことについては、一時的な解決策として女性の管理職比率も指標として重要ではないでしょうか」というご意見をいただきました。これらは私もその通りだと思います。
しかし、この問題は難しいところでもあります。別の方からは「比率を強調することによって反発する人が増えるのではないか」というご意見も頂いています。そういった意味で、この問題は、まさに諸刃の剣であると感じています。
ですから、管理職比率という指標にどのようなメッセージ性を企業のマネジメント層やマネージャークラスが付け加えるのか、それを通じてどのような組織を目指していて、どのような働き方で会社に貢献してほしいのかをしっかり説明していくことが重要だと思います。比率だけが独り歩きしないように、それに対する具体的な説明や意義を伝えることが必要だと思います。
この点については、うまく活用できている企業もあり、そのような企業では説明の仕方が巧みであると感じます。
伊達
性別ダイバーシティに関する多くの議論を、まだ対策が十分ではない年齢ダイバーシティなど、他のダイバーシティを考える際に参考にしたいところです。
ダイバーシティを実現するための対話の在り方
伊達
最後に一つ取り上げましょう。「対話なくしてダイバーシティは実現されません。当然のことのように思いますが、そういった機会を作るのも実は難しいことも多いと感じています」というご感想をいただきました。
正木
確かに難しい問題ですね。そこを「難しい」で終えないために分解して考えてみたのですが、重要なポイントは三つあると思います。それは、「適切に聞く力」、「自分の考えを伝える力」、そして「安全な議論や主張が可能な場の提供」です。これら全てが求められることが、この課題の難しさを生んでいます。
第一に、適切に聞く力は、マネージャーだけでなく、全員に必要なスキルです。第二に、自分の思考を適切に相手に伝えるための話す力が必要となります。そして第三に、これらの能力を持つ人々が集まっても、それがうまく機能するためには安全に議論や主張ができる環境が必要です。
一方で、伊達さんの本(『60分でわかる! 心理的安全性 超入門』)などにも示されているように、心理的安全性の高い場の構築に関しては、少しずつ議論が進んでいます。そうした状況の中で、私たち一人ひとりに求められるのは、他人の話を真摯に聞いて受け止め、自分の思考を適切に表現することです。
これはコミュニケーションスキルとして極めて重要であり、特に日本の文化や企業で長年受け継がれてきた「言わなくても分かる」思考から、「言わずには分からない、話さなければ理解されない」という意識に移行する必要があると感じます。
このようなスキルは、大学生や研究者も例外ではなく、一般的に欠けているように感じます。したがって、まずは聞く力と話す力のトレーニングが必要なのではないかと思います。ありがとうございました。
伊達
聞く力・話す力に加えて、人間関係の構築は重要な要素です。心理的安全性も人間関係の質を捉えるものです。対話を成立させるためには、人間関係の構築が同時に必要です。
例えば、正木さんと私も10年以上にわたって議論を重ねる中で、関係を作ってきており、だからこそ難しいトピックについても、各自が自分の考えを述べることができています。良質な人間関係はコミュニケーションのインフラのようなものです。
おわりに
正木
まず、このようなテーマにも関わらずたくさんの方にご参加いただいたことに感謝します。今日は様々なご質問をいただき、全てにお答えできなかった部分もありました。それだけこのテーマが、多角的な視点から議論が可能であり、さまざまな問題が絡んでいることを、今回のセッションを通じて改めて感じました。
今日話したキーワードなどが皆さんの今後のためになれば幸いです。あるいは、普段何気なく思っていることを改めて冷静に見直すきっかけになればと思います。その際にディスカッションのパートナーや何かしらの考える材料が必要であれば、私を含む多くの研究者がおりますので、是非お声がけください。本日はありがとうございました。
伊達
本日の対談を通じて、どのような社会や企業が理想なのか、良いと言えるのかを考え続けることが重要だと感じました。それが、一歩一歩前進していくことにつながるはずです。
では、以上で対談イベントを終了します。ありがとうございました。
脚注
[1] IATの詳細は当社コラム「アンケート以外のデータ収集方法:縦断的調査、実験室実験、生理学的指標、IAT、日誌法、経験サンプリング法の紹介」をご参照ください。