2020年5月22日
『人と組織のマネジメントバイアス』に寄せて(3):安斎勇樹氏
今回のコラムでは、安斎氏による書評と、伊達の応答を掲載します。
書評 安斎勇樹氏
イノベーションの基盤となる人と組織の「創造性(creativity)」について突き詰めていくと、必ずと言っていいほど、人が暗黙のうちに形成する固定観念の存在、つまり「バイアス」の問題にぶちあたる。アイデアの発想を無意識に抑制するだけでなく、人間のパフォーマンスそのものに大きな制約をかけるからである。
本書は、そのタイトルの通り、人間の集団からなる組織をマネジメントする上で陥りやすい「バイアス」について、学術的なエビデンスに基づきながら、一つずつ揺さぶりをかけていく構成になっている。たとえば「バイアス16:人の能力は基本的に、固定的で変わらない」に対しては、そのような価値観(固定理論)を保有した上司のもとでは、実際に部下は育ちにくく、他方で人間の能力を可変と捉える価値観(増大理論)を持つ上司のもとのほうが、部下が育ちやすいことが指摘されている。他にも「バイアス31:エンゲージメントが高まれば、組織の業績も上がる」に対しては、現場における”エンゲージメント”という用語の曖昧さを批判しながら、”従業員エンゲージメント”と”ワークエンゲージメント”の用語整理を行い、必ずしも従業員エンゲージメントはパフォーマンスにプラスの影響をもたらさないが、ワークエンゲージメントはパフォーマンスに直結することが指摘されている。他にも「厳しい新人研修は有効だ」「MBOは社員のポテンシャルを引き出す」「競争環境は努力を促す」などのバイアスが、次々に揺さぶられていく。本書はこのようにして、学術研究の知見を引用しながら、読者の概念理解の解像度をあげ、現場に蔓延するバイアスのアンラーニング(学習棄却)を促し、人と組織のポテンシャルを正しく信頼するための指針をくれるのだ。私自身、ベンチャー企業を経営する実務家として耳が痛いところもあるが、学術研究の力を信じる研究者としては、痛快な本である。
そもそも人はなぜ「バイアス」を形成してしまうのだろうか。これは、人間が「経験から学ぶ力」が高いがゆえ、と解釈することもできる。人間にはあらかじめ、少ない経験から法則を抽出したり、事前に仮説を立てて物事に取り組んだりすることで、不確実な状況のなかでもスピーディに意思決定を下す力が備わっている。けれどもその判断の準拠枠が非合理的なものであった場合に、それはバイアスと呼ばれるのだろう。
経験学習(experiential learning)の理論的基盤を築いたジョン・デューイは、人が過去の具体的経験から「自分なりの法則」に気づく性質を良しとしながらも、他方で、人が囚われがちな古い習慣から逸脱し、本質的に変化を生み出すためには、人間の内側から湧き上がる「衝動」がその原動力となると述べている。そして伝統的な学校教育における根本課題を、生徒の衝動に「蓋」がされていることだと指摘した。
現代の組織マネジメントにおいてもまた、従業員の衝動に「蓋」がされがちなことは、組織の創造性を抑圧する重要課題だと私は考えている。そしてその「蓋」の要因となるのは、マネージャー自身が経験から獲得してしまった非合理的なバイアスなのではないだろうか。組織にとっての学習を「ルーティンの変化」としたときに、マネージャーがバイアスから抜け出し、組織論と行動科学の知見を正しく参照することは、従業員の衝動と創造性を解放する前提となるだろう。
そうかと思えば、本書では「”集団が機能するにはダイバーシティが重要である”という信念を持った集団は、組織内でダイバーシティが高まると、パフォーマンスが高まる」といった研究知見も出てくるから、面白い。ある種のバイアスを持つことが、組織のパフォーマンスを上げるというのである。”バイアスはよくないものである”というバイアスにすら、著者らは揺さぶりをかけてくる。
読み進めていくうちに、読者は気づくだろう。本書はマネジメントに「答え」を提供する類のものではない。研究者が示唆する知見を手がかりとしながらも、人と組織のマネジメントに関わる人々が試行錯誤をするための羅針盤となるところに、本書は意義を持っている。本書によって、少しでも多くの組織において従業員の衝動が解放され、組織の創造性が発揮されることを願っている。
応答 伊達洋駆
安斎さんとは、大学院への進学や会社の創業など、共通点が多い。研究と実践を架橋するという問題意識も共有している。一緒に学会で発表したこともある。安斎さんならではの書評に感謝申し上げたい。
安斎さんの書評において特にハッとさせられたのは、バイアスが経験学習の産物であるとの指摘だ。バイアスには、半ば不可避の心理現象というニュアンスがあり、実際にそのように用いられる場合もある。しかし本書では、実践を積み重ねる中で構成されるものとしてバイアスを位置づけしている。
本書におけるバイアスは、その意味で“知識”の一種である。私たちはバイアスのお陰で妥当な判断を迅速に下すことができる。(安斎さんの書評にもあった通り)バイアスはよくないものであるどころか、必要かつ有効なものでさえある。
しかし、特定のバイアスが全ての状況において有効であるとは限らない。時代の流れの中で古くなることもあり得る。健康を維持するのに定期診断が必要であるのと同じ理由で、自らのバイアスを見つめる機会を意識的に作ることが望ましい。
一方で、自らのバイアスを自覚するのはなかなか難しい。バイアスは当たり前の存在であり、気づきにくいからである。
そこで本書では、研究知見を(実に安斎さんらしい表現を拝借すると)「揺さぶり」の道具として用いている。読者に研究知見をぶつけ、違和感をはじめとした思考を喚起しようと意図している。
このことはすなわち、本書の提示する研究知見は普遍的な正解では「ない」ことを意味してもいる。研究知見は(少なくとも本書の中では)バイアスを見直すための一つの人工物である。
経営学では近年“Evidence-based Management”という考え方が話題になっている。Evidence-based Managementとは、4つの知識によって良質な意思決定を下すことを指す。①経験に基づく知識、②学術研究からの知識、③ローカルな現状を表す知識、④利害関係者の視点を考慮した知識、である。
本書で言うバイアスは、1つ目の「経験に基づく知識」に該当するだろう。それを2つ目の「学術研究からの知識」によって浮上させ再考を促す。それが本書の狙いである。
株式会社ミミクリデザインCEO
安斎勇樹(あんざいゆうき)
1985年生まれ。東京大学工学部卒業、同大学院学際情報学府博士課程修了。博士(学際情報学)。東京大学大学院情報学環特任助教、株式会社DONGURI CCOを兼任。組織の創造性の土壌を耕すワークショップデザイン・ファシリテーション論について研究している。
主な著書:『問いのデザイン:創造的対話のファシリテーション』学芸出版社、2020年、『協創の場のデザイン:ワークショップで企業と地域が変わる』幻冬舎、2014年、『ワークショップデザイン論:創ることで学ぶ』慶應義塾大学出版会、2013年