2020年4月13日
『人と組織のマネジメントバイアス』に寄せて(2):伊藤智明氏
今回のコラムでは、伊藤氏による書評と、伊達の応答を掲載します。
書評 伊藤智明氏
本書のキーコンセプトはバイアスである。なぜ2人の著者はバイアスをキーコンセプトに選んだのか。自分の仕事が誰かの人生に影響を与えることについての告白から、本書は始まる。「あとがき」に書かれているのは、経営学の知識が実務でほとんど使われていないことへの驚きである。誰かの人生に影響を与えてしまっていることへの恐怖と誰かの人生に影響を与えられていないことへの失望は、どのように混ざり合い、本書の動機となったのだろうか。
バイアスというのは偏りのことである。バイアスをキーコンセプトに選んだ理由は読者への提案と関わる。その提案とは、どこかの企業で改善し続けられている実践的なプログラムや世界中で蓄積されている経営学の知識のどこかに私たちのための唯一無二の正解が存在しているという思い込み、幻想、淡い期待を捨てることである。
代わりに示されるのは、自らの判断基準の精度を向上し続けるための道である。自分にどんな偏りがあるかを知ることは、自らの判断基準の修正につながる。これが、本書が書かれた動機であり、著者の信念であり、45のマネジメントバイアスが本書で紹介されている理由である。
本書は、バイアス1つにあたり、研究者が提供するものの見方、実務上の切実な課題、課題に関連する学術的な知見、これらに関わる事例を紹介するという構成になっている。結果、読者は自らのバイアスの合理性を吟味することになる。
私のお気に入りの箇所を挙げておく。「厳しい研修は、新人を一人前にする上で有効だ」というバイアスに関わる数ページである。このバイアスに続き、レオン・フェスティンガーが提供する「認知的不協和」を紹介した上で、実務的な課題を示す。「どのような新人研修を実施すればいいか」である。この課題に対して、学術的な知見を参照した暫定的な答えを提示する。「厳しい新人研修を行なうことによる認知的不協和の解消」や「厳しい新人研修の意図せざる結果としての心理的リアクタンス」である。最後に事例を交えて、厳しい新人研修の代替案を提案する。「厳しい研修で会社の型に新人をはめるのではなく、新人が自ら会社の型にはまるように仕向ければいい」という提案である。
このバイアスに関わる数ページの記述には、実務での診断的な知見と学術的な知見の双方が織り込まれている。本書の射程は実務的な知にあるのか、それとも学術的な知にあるのか。この問いかけを無効化している。とはいえ、「どちらにもある」がこの問いへの答えにはならない。
極めて粗っぽく表現するのであれば、本書は「臨床の知」を取り扱っている。中村雄二郎は「臨床の知とは何か」を探究する中で、カール・グスタフ・ユングの「受動性の知恵」、すなわち偶然に降り注ぐ回避不可能な危険に対処する中で身につけられた知恵に言及している。
中村によれば、臨床の知は受動を大きく含み込んでいる。臨床の知を示す者は、危険に晒されたことを意味する。より直接的に述べれば、著者は危険に晒されたから本書を書けたのである。より正確に述べれば、能動的に危険に晒されたのである。もっと言えば、誰かの人生を歪めたのである。著者は誰かの人生を歪めたことに自覚的だからこそ、本書を書けたのである。
この姿勢は、私たち臨床経営学者が楽しそうにしていたり、傍観者から楽しそうに見えたりする理由とも関わる。偶然に翻弄され、偶然に救われたことで、偶然を手繰り寄せる技術が分かってきたのかもしれない。
臨床経営のコミュニティの美徳には、恥知らずにやせ我慢できることがおそらく含まれている。
応答 伊達洋駆
伊藤さん(書評への応答という形式には相応しくないかもしれないが、あえてそう呼びたい)は、私が大学院時代から継続的に様々な議論を行っている研究仲間だ。まずもって、伊藤さんらしい文体と内容の溢れる書評に思わず笑みがこぼれたことを告白しつつ、素晴らしい書評に御礼を申し上げたい。
伊藤さんは書評の中で「バイアス」という概念に注目しつつ、本書が「自らの判断基準の精度を向上し続けるための道」を提示していると述べている。これは、私が本書において企図したことであり、そのことを汲み取っていただけたのは非常に有り難い。
本書は、実務家の持っている考えを取り上げ、それを学術研究で否定するという、単純な構造を持ったものでは「ない」(もし、そのような構造であれば、執筆はもっと楽だったろう)。実践知に勝るものとして研究知に絶対的な地位を与えるものでも「ない」。
本書におけるバイアスとは、主には日々実務に取り組む中で構築された信念や慣行のことを指している。私がバイアスという概念を用いたのは、読者が本書を通じて日々の実務を振り返ることを促進したかったからである。
人は多かれ少なかれ、多種多様なバイアスに駆動されて、仕事に取り組んでいる。それらのバイアスは往々にして自明なものであり、問い直されない。研究知を用いて、そうしたバイアスを前景化させ、バイアスに健全な疑いの目を向けていただきたい。それが本書の狙いである。
そうした「臨床」的な介入は、伊藤さんの指摘するように「危険」を伴う行為である。一つは、読者の平穏な日々に揺らぎをもたらすという危険であり、もう一つは、私たち著者が多角的な批判に晒され得るという危険である。
特に後者について取り上げよう。実際のところ、本書はツッコミどころ満載だと思う。実務的には「そんなバイアスは持っていない」「そのソリューションには納得できない」などの反応、研究的には「解釈の仕方に無理がある」「それは一般化し過ぎている」などの反応が想定される。
しかし、それでも私が本書を世に問うたのは、臨床的な介入の価値を信じているからである。本書の読者が、自身の足元を揺さぶられる中で、普段は進めない領域まで思考を進め、そこから新たな実践が芽吹くことが楽しみでならない。
立教大学社会学部卒業、法政大学専門職大学院イノベーション・マネジメント研究科専門職学位課程修了、神戸大学大学院経営学研究科博士前期課程修了、神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程退学、経営管理修士(専門職)、修士(経営学)。立教大学卒業後、株式会社アズバーズ、伊藤智明事務所、京都大学大学院経営管理研究部を経て、現職。アントレプレナーシップ、組織行動、定性的方法論が研究領域。日本ベンチャー学会清成忠男賞論文部門(奨励賞)受賞。
主な論文:「創業経営者による使用理論の省察と経営理念の制作:創業期のベンチャーにおけるアクション・リサーチ」『組織科学』第51巻第3号, 98-108頁, 2018年。
(共著)「企業家による事業の失敗に対する意味形成プロセスの解明:省察的対話における語り直しとスキーマの更新に着目して」『VENTURE REVIEW』第27号, 15-29頁, 2016年。