2020年4月7日
『人と組織のマネジメントバイアス』に寄せて(1):石山恒貴氏
今回のコラムでは、石山氏による書評と、伊達の応答を掲載します。
書評 石山恒貴氏
ヘーゲルの有名な「ミネルヴァの梟は、黄昏が訪れてはじめて飛び立つ」という言葉は、実務と学術研究の分断を象徴している。この言葉は、知恵の象徴である梟が、一日の終わりでようやく飛び立つということだが、ここから、知恵は現実の後追いにすぎないことが多く、もっと学術研究が実務に貢献しなければならない、という解釈につながる。
この実務と学術研究の分断という問題は、人と組織のマネジメントにも当てはまるのではないだろうか。評者自身のキャリアが、人事担当者として実務に携わった後に研究者に転じたというものだ。評者は人事担当者であったとき、実務は複雑な問題で、個々の事例の差が大きすぎ、学術研究とは関係ないものだと思っていた。実務と学術研究は別の世界だと思っていたのだ。ところが研究に携わってみると、人と組織の分野で、研究は後追いではなかった。むしろ、研究だからこそ試行錯誤ができる面もあり、そこで実験的に得られたアイデアは、実務におおいに役立つものが多かった。実務を担当していたときにこれを知っていれば困らなかったのに、というアイデアが多く、残念に思ったものだ。
ところがいまだ、人と組織のマネジメントに関して、実務と学術研究が分断されているという側面が多いことが実態ではないだろうか。これは、まだまだお互いの交流が少ないところに原因があるのかもしれない。本書は、この状況を大きく変える可能性を秘めている。
本書は人事の実務家、コンサルタントとして実務界における「常識」を代表する曽和利光氏と、「アカデミックリサーチ」という人と組織に関するサービスを提供し、学術界における「常識」を代表する伊達洋駆氏という2名の筆者の議論から生み出されたものである。実務界と学術界の常識のぶつかりあいがあるからこそ、その違いを乗り越えて、本書の知見につながったといえる。
本書では、この実務界と学術界の常識のぶつかりあいに基づく知見が、「バイアス」と表現されている。要するに実務を進めるうえでの「誤った思い込み」ということだが、人の採用、育成、評価、組織の成長、文化という5つの領域に分類されたバイアスが、詳しく論じられている。バイアスとしてまとめられたことで、実務に携わる人は、自分の経験に照らしあわせて、わかりやすく内容を把握することができるだろう。
ただし、このバイアスを読み解くのは、少し注意が必要だ。たとえば成長に関するバイアスとして「経営理念が浸透すると、会社は成長する」「エンゲージメントが高まれば、組織の業績も上がる」という項目がある。この見出しだけみると、「経営理念」「エンゲージメント」が役に立つということは誤った思い込みで、役に立たないのか、などという新たなバイアスが生じるかもしれない。しかし、それぞれの内容を読み込んでみれば、そうではないことに気がつく。経営理念やエンゲージメントは、たしかに人と組織に効果がある。そうであっても、単に経営理念やエンゲージメントを向上させれば、効果もどんどん上がる、というものではない。様々な条件や留意点を理解したうえで、注意深く個別に工夫してこそ、効果が上がるのだ。そして学術研究は、こうした重要概念の効果について、多くの場面で追試して研究することで、これらの様々な条件や留意点を明らかにするという特徴をもっている。
評者は、横並びで、とにかく成果主義をいれる、働き方改革を進める、というあり方を「新しい優れたもの依存症候群」と呼んでいる。そうではなく、すでにある多くの重要な概念を、いかに実質的に使いこなしていくか、その利点と欠点を冷静に見極め、活用していく姿勢こそ重要だろう。本書が提示するバイアスという、少し刺激的な言葉は、こうした姿勢を得るために大いに役立つものだと評者は考える。
新型コロナウィルスにより、我々はそれぞれ、自分のあり方事態の見直しが迫られているのかもしれない。こうした危機の時期だからこそ、本書のバイアスを吟味してみることで、人と組織の振り返りをしてみてはいかがだろうか。冒頭のヘーゲルの言葉には、新しい知恵は、一日の終わりという古い状態と決別する時にこそ真の姿を示す、という解釈もある。本書が、実務と学術研究を架橋する新しい知恵を、多くの人々にもたらすことを期待したい。
応答 伊達洋駆
初めに、拙書に書評を寄せてくださった石山恒貴先生に御礼申し上げたい。石山先生の書評において私が特に興味深く感じたのは、石山先生が産業界から学術界に移る中で「実務はそれを取り巻く状況が多種多様であり、研究知見は役に立ちにくい」という考えを見直した、という箇所である。
石山先生とはちょうど逆向きに、学術界から産業界に来た私も、実務の「個別具体性」については多分に(痛いほどに)体感してきた。実際、個別具体性は、とりわけ創業当初において研究知見の活用を難しくさせる主要な要因であった。
人もいろいろ、組織もいろいろ。そのような中で、一般的な知識を蓄積する研究に何ができるか。私の幾らかの経験に基づく限り、ある特定の研究知見をもって実践を読み解いたり良くしたりすることは極めて困難だと思う。それは、ウェットスーツ「だけ」でダイビングをするようなものだ。
実務の個別具体性に挑むためには、前提として研究知見の「幅広さ」が必要となる。そして、実務の文脈を考慮して知見を組み合わせる。いわば、研究知見の「組み合わせの妙」が有益性をもたらすのではないだろうか。
入手可能な様々な素材をもとに作品を組み上げる意味では、「ブリコラージュ」と呼べる作業が、研究知見を実務の中で活用する(一つの)方法である。その意味で、研究知見と実践事例を織り込む本書は、書籍という形をしたブリコラージュ作品と言えなくもない。
ただし、そのことは、本書が「作品」という一つの全体を有したままでは活用しにくいことを示唆している。読者には本書の内容を大胆に解体し、それらの素材を組み合わせて目の前の実務に適用していただきたい。そのようなことを考えさせていただいた書評であった。
法政大学大学院政策創造研究科 教授 研究科長
石山恒貴(いしやまのぶたか)
一橋大学社会学部卒業、産業能率大学大学院経営情報学研究科修士課程修了、法政大学大学院政策創造研究科博士後期課程修了、博士(政策学)。一橋大学卒業後、NEC、GE、米系ライフサイエンス会社を経て、現職。越境的学習、キャリア形成、人的資源管理等が研究領域。人材育成学会常任理事、日本労務学会理事、NPO法人二枚目の名刺共同研究パートナー、フリーランス協会アドバイザリーボード、早稲田大学・大学総合研究センター招聘研究員、一般社団法人トライセクター顧問、NPOキャリア権推進ネットワーク授業開発委員長、一般社団法人ソーシャリスト21st理事、一般社団法人全国産業人能力開発団体連合会特別会員、有限会社アイグラム共同研究パートナー、専門社会調査士
主な著書:『地域とゆるくつながろう』静岡新聞社(編著)、『越境的学習のメカニズム』福村出版、2018年、『パラレルキャリアを始めよう!』ダイヤモンド社、2015年、『会社人生を後悔しない40代からの仕事術』(パーソル総研と共著)ダイヤモンド社、2018年、Mechanisms of Cross-Boundary Learning Communities of Practice and Job Crafting,
(共著)Cambridge Scholars Publishing, 2019年
主な論文:Role of knowledge brokers in communities of practice in Japan, Journal of Knowledge Management, Vol.20,No.6,2016.